2024年02月23日
天皇陛下64歳のお誕生日
天皇陛下64歳のお誕生日
犠牲者と被災者への追悼とお見舞い
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天皇陛下は、お誕生日を迎えられた日に皇居で能登半島の自然災害で被害に遭われた人達へのお言葉を述べられました。
ここで日本保守党が結成されたので、保守とは何か? について議論がネット上では盛んに論点となった。
そこで国柄という言葉が出ている。伝統や文化の継承と歴史などへの興味が高まる。
私の前々からの持論はそれは日本国家とは天皇であると考えています。
私と故篠原節会長は二人で自然社会主義協会を設立し勉強会を開催した。
左翼出身の故太田竜氏もこの考えに大いに賛同して勉強会に参加され、その後も交流が続いた。
さて、日本は天皇陛下を国民が崇める国家である。
よって自然と国家は一体であり それが日本という国柄に他ならない。
特に天皇陛下を日本国の象徴などと押し付けた憲法を直ちに変えなければならない。
象徴と言う意味ですが? これは英語からの翻訳にすぎない。
最近の風潮で言えば象徴とはシンボルという意味だと解する人も入るようですが、決してそうではありません。
その辺りについては後で述べたい。
犠牲者と被災者への追悼とお見舞い
天皇陛下は、お誕生日を迎えられた日に皇居で能登半島の自然災害で被害に遭われた人達へのお言葉を述べられました。
ここで日本保守党が結成されたので、保守とは何か? について議論がネット上では盛んに論点となった。
そこで国柄という言葉が出ている。伝統や文化の継承と歴史などへの興味が高まる。
私の前々からの持論はそれは日本国家とは天皇であると考えています。
私と故篠原節会長は二人で自然社会主義協会を設立し勉強会を開催した。
左翼出身の故太田竜氏もこの考えに大いに賛同して勉強会に参加され、その後も交流が続いた。
さて、日本は天皇陛下を国民が崇める国家である。
よって自然と国家は一体であり それが日本という国柄に他ならない。
特に天皇陛下を日本国の象徴などと押し付けた憲法を直ちに変えなければならない。
象徴と言う意味ですが? これは英語からの翻訳にすぎない。
最近の風潮で言えば象徴とはシンボルという意味だと解する人も入るようですが、決してそうではありません。
その辺りについては後で述べたい。
2024年02月22日
政治とカネ、マスコミの責任
政治とカネ、マスコミの責任
岸田総理は狡猾な人間
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自民党の裏金問題は、旧安倍派を狙い撃ちする岸田総理の狡猾な政治手法であり、それにまんまと乗っているのがマスコミと野党です。
それを国民の多くが知っているので、岸田内閣の支持率は下がり野党の支持率も伸びない。
このままでは岸田は4月解散もやりかねない、自分だけ良ければ他はどうなっても構わない。
それが岸田という人物の正体です、彼の頭の中には、選挙で藪敗北すれば野党と組んでの野合、つまり生き延びれば何でもありです。
このような男が仮に生き延びたとしても、プーチン大統領や新しく誕生するトランプ氏に翻弄され、ますます日本は弱体化するだけです。
さてこんな日本の暗すぎる政治に新しい風を呼び込むのは日本保守党です。
小池百合子東京都知事は今回都知事をお辞めになり、国政復帰を狙い、江東区の15区から出馬すると言われており、対して日本保守党の有本香さんが出馬すると言います。
既に有本香さんは選挙運動を開始しており、商店街で挨拶を始めた。確かに容易な戦いではありません。しかし、ここで勝たなければ保守党のブームは起こせない。
その覚悟を見せてこそ、保守党は大きく成長するでしょう。
以上
岸田総理は狡猾な人間
自民党の裏金問題は、旧安倍派を狙い撃ちする岸田総理の狡猾な政治手法であり、それにまんまと乗っているのがマスコミと野党です。
それを国民の多くが知っているので、岸田内閣の支持率は下がり野党の支持率も伸びない。
このままでは岸田は4月解散もやりかねない、自分だけ良ければ他はどうなっても構わない。
それが岸田という人物の正体です、彼の頭の中には、選挙で藪敗北すれば野党と組んでの野合、つまり生き延びれば何でもありです。
このような男が仮に生き延びたとしても、プーチン大統領や新しく誕生するトランプ氏に翻弄され、ますます日本は弱体化するだけです。
さてこんな日本の暗すぎる政治に新しい風を呼び込むのは日本保守党です。
小池百合子東京都知事は今回都知事をお辞めになり、国政復帰を狙い、江東区の15区から出馬すると言われており、対して日本保守党の有本香さんが出馬すると言います。
既に有本香さんは選挙運動を開始しており、商店街で挨拶を始めた。確かに容易な戦いではありません。しかし、ここで勝たなければ保守党のブームは起こせない。
その覚悟を見せてこそ、保守党は大きく成長するでしょう。
以上
2024年02月21日
自叙伝 静岡市長選に出馬
自叙伝 静岡市長選に出馬
昭和58年4月の統一地方選挙でした
自ら組織する憂国会の代表として隊員を引き連れ、黒い大型車両でまさに右翼そのままでの選挙運動でした。
私に投じられた票は3千3百48票でした。実にこの数字は全体の1.6パーセント、70人に1人が私に投票した。
当時は立ち合い演説があり、私は3千人の前で演説した。
私の番がきた。会場はヤジなどで大騒ぎでした。
私が壇上に立ち、ゆっくりとコップの水を飲んだ時です。
私が壇上に立ち、ゆっくりとコップの水を飲んだ時です。
何かっこつけている、早くやれ、ヤジや怒号が飛びかった。しかし、間もなく私の第一声で会場は静まり返った。
今を時めく内閣総理大臣、中曽根先生は私達の大先輩です。
先生は若かりし頃、右翼団体青雲塾を率い活動してきた。
行政改革によって散らかった部屋を大掃除して、床の間にある占領軍から押し付けられた古い憲法ではなく、日本人の手による新しい憲法を据え、教育の正常化も成し遂げる!
それが戦後の総決算であり私の使命だとおっしゃっていますが、これは我々が目指すところと全く同じでした。
この辺りで大きな拍手が起きた、それは私の前に演説した共産党の候補者を私が激しく攻撃したからです。
共産党の配下である日教祖は、「日の丸は人殺しの旗、君が代は人殺しの歌、天皇陛下は人殺しの張本人」と教えているのです。
拍手は鳴りやまなかった。
この単行本には直木賞作家胡桃沢耕史(くるみざわこうし)先生より、100万円頂いた。
その御礼のために私は単行本のあとがきに先生の時代劇の「泣かせる侍」の紹介をさせて頂きました。
(関連記事)
我が回想録『静岡市長選挙出馬』
2005年08月20日
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