大衆の「政治参加」とマスメディアの沈黙
何故、産経新聞社までもが「反NHKデモ」を無視したのか?
青年に告ぐ!
NHKに対する大衆の抗議行動に1000名以上の人が参加をし、デモ終了後もNHKを取り囲んで抗議したとの事実に関しては完全に新聞・テレビのマスメディアは無視を決め込んだ。
参加者の顔ぶれを見れば、産経新聞だけでも取り上げて良さそうですが、昨日の産経新聞には一行の記事も掲載されなかった。主催者側だけではなく、この抗議デモ行動に参加した多くの人達が奇異に感じたことでしょう。
今日はこの点に関して考えてみたいと思います。
それでは何故マスコミは無視したのか? 幾つかの考えられる点を挙げてみましょう。
1.NHKという同業者に対する抗議であったから
2.台湾問題ということでシナ・中国に対する遠慮が働いた
3.これを報道することで、そのような抗議行動が行なわれたという事実を世間に周知することを恐れた
まだありますが、3番目に挙げたことを中心に論じてみることにしたいと思います。今回明らかになった点の一つとして、このような「行動する運動」は、数に関係なくマスコミは無視するという事実でした。
5月2日に行なわれた『在日特権を許さない市民の会』が主催した、「外国人参政権に反対する」デモ行進にしても、300名近い人が参加をしましたが、報道したマスコミはありませんでした。
今回はその3倍以上ですから、主催者側も「明日の産経新聞のトップ記事だろう」とかなりの自信を見せていたようですが、一面どころか何処にもなかった。
出席者の中には好んで産経新聞社が取り上げてきた人物も多かった。しかし、産経新聞社も昨日取り上げなかったことを見ると、これは集まった人の数やメンバーだけではないように思われます。
では、一体何が考えられるのか?
新聞社などのマスメディアにとっては、一般大衆が「政治」に参加するのは選挙の時だけであり、それ以外に「政治参加」を求める主権の行使にビクついているという表れではないか。
しかし、左翼勢力についてはどうか? 左翼は少人数であってもデモ行進などを報道している。新聞社が左翼にシンパシーを持っているということなのか。
私は違うと思います。少なくとも産経や読売は左翼に同情的ではない。ではどのような理由が考えられるのか。
それは今回のデモが左翼のような特殊なイデオロギー集団ではなく、一般大衆であったという事でしょう。ごく普通の人達が声を上げ始めたのでマスメディアは困惑していると考えられます。
昨日の「行動する保守」運動の緊急集会に参加した村田春樹氏(外国人参政権に反対する会東京・代表)は次のように語っていました。村田さんはこれまで日本会議やチャンネル桜などの保守系団体の集会・講演会には必ずと言って良いほど出席されている方です。
「見たことのない顔ぶれが多かった。特に若者の参加が目立った7割くらいは若者だったのではないか」
これまでは選挙こそが唯一の「政治」参加の道であるとされてきた一般大衆が反旗を翻した。その中でも特に若者が「政治変革」へのヘゲモニーを握るために動き出し始めたのです。
大衆社会はこれまで「政治権力」から疎外され続けてきた。しかし、歴史的変革期に直面した今、祖国の危機的な命運を感じて立ち上がりつつある。
政治参加への道を選挙という手段にのみ封じ込んでおけば、マスコミは報道によって選挙に介入し、自らの優越的な地位に甘んじていることが可能であった。
しかし、大衆はそれをもはや許さない。主権が行使できるのが選挙の時だけなどということを容認し続けるならば、大衆は永久的に政治からシャットアウトされる運命であることに気づき始めた。
変革期にあたって大衆が動き出した時、特に若者が動き出した時に、社会のこれまでの権力構造などは脆くも崩れ去るのは、古今東西の歴史の示す通りです。
一体誰がこの変革期において、この状況を正しく把握して戦いの先覚者となり得るのか。今、我々に問われているのはそのこと以外にはあり得ない。
旧来の秩序維持なのか、創造的な未来に向けての破壊なのか。
民族的な愛国運動なのか、売国的な左翼運動なのか。
闘争の継続と決起なのか、臆病な闘いの放棄なのか。
敗戦から半世紀を経て今、大変革(維新)への激動の時代は、祖国日本の岸に押し寄せた。この国の命運を左右するものは、既得権益を守る為に汲々としてうろたえる者どもではない。
変革への確かな理念であり、精神であり、果敢なる行動への野心である。来れ、青年学生諸君! 既に戦場は諸君達を待っている。
我々こそが権力者であらねばならない。
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