歴史上最低の北京冬季五輪
歴史上最低の北京冬季五輪
薬物・ドーピング疑惑とスーツ規定違反
その後の戦争の危機【フィギュア】ワリエワ、新たに検出された物質2種類は事前に記載されていた AP報じる
北京オリンピック(五輪)に出場しているフィギュアスケート女子ROC(ロシア・オリンピック委員会)代表のカミラ・ワリエワ(15)のドーピング違反問題について、新たに検出された禁止指定外の物質2種類は、事前に提出された書面に記載されていたとAPが報じた。
高梨沙羅はこうしてハメられた…疑惑の「スーツの規定違反」の真相
かつて、これほど違和感を覚えるオリンピックがあっただろうか。目につくのは疑惑の判定ばかり。それもそのはず。いまや「平和の祭典」は、政治とカネの骨がらみになってしまったのだから。
【写真】日本全国からエール、高梨紗羅に「胸を張って帰ってきて」の声続々
以上
何ともやりきれない気持ちでしょう。今回の北京五輪は支那(中国)共産党独裁者・習近平の力を誇示する為に行なわれたと、ほとんどの国の人が見ています。
北京では習近平派とそれに対抗する勢力の暗闘が続いており、習近平も失脚の恐れがあり、台湾に対する侵攻や尖閣諸島への上陸も懸念される。ロシアの軍部にもウクライナ侵攻に反対する勢力が声を上げ始めた。
世界平和を願う多くの国民が独裁者の戦争への道に反対の声を上げて団結しており、今後どうなるか? オリンピックの後に何が起きるのか? 戦争なのか、それとも戦争好きの独裁者の失脚の道が早まるのか・・・興味はそちらに傾いている。
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Posted by the_radical_right at 05:48│
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ワリエワ4位だそうで…ww
神様はいるんだな
でも、このオリンピックのどさくさに紛れて
ウクライナ侵攻するんじゃ…
合わせて中共の台湾侵攻…
怖い怖い(((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブルガタガタブルブル
こんな醜悪北京五輪でも心から応援してる人たちが日本にいるんです。
立憲共産党とテレビ司会者、政治評論家やその類の人たち。日本人選手を憎み、また日本選手失敗を喜び、中国選手の成功を喜ぶ。テロドスと五輪委員会も同じ穴の狢。
※北京五輪中にチャッカリ入れてきました偏向報道反日NHK。 係争中の案件を一方的に。視聴者から抗議も行ったようです。
NHKプラス@nhk_plus
#伊藤詩織 さん。実名と顔を公表し、性被害を訴えた。社会に問い続けた5年を見つめる。
「声をあげて、そして」配信中https://plus.nhk.jp/・・・・
#目撃にっぽん
※ 以下 NHKTwitterへの批評
民事で係争中の案件、しかも刑事では市民からなる検察審査会ですら嫌疑不十分とされた案件なのに一方のみ取り上げる放送は
公共放送として偏向していませんか?
伊藤さん又は関連団体と関係してる製作者なのでしょうか。だとすれば公共放送の私的利用であり、かなり問題だと思います。
更に訝しいのは、私達の払っている受信料が伊藤詩織の財布に入っている可能性があること
伊藤詩織を食わせるために受信料を払っているわけではないんだよ。
東京地裁での口頭弁論に向かう車中…
ノリノリで歌を…歌詞『あんたが私にした仕打ちのことを考えたの私は強くなったし、生きていく術を学んだわ…』
PTSD(心的外傷後ストレス障害)の治療も行っている身で?死ぬかも…と思った程に暴行された相手に対面?
本当にならこれ程危険な行動はありません。
この番組のDは宣英理氏。彼女は、慰安婦啓蒙活動団体の代表である梁澄子氏の娘ですよね。
そして、加害者とされた山口氏はかつて、ベトナム韓国軍慰安婦の件を報じました。韓国に都合の悪い話を。
当事者の片方、伊藤氏の主張しか伝えないのは、宣英理氏に、山口氏を貶める意図があるからでは?
>オリンピックの後に何が起きるのか? 戦争なのか、それとも戦争好きの独裁者の失脚の道が早まるのか・・・興味はそちらに傾いている。
高い確率で「戦争ビジネス」が開始されると思います。トランプ時代に「戦争ビジネス」が出来なかった分、バイデン大統領が「戦争ビジネス」を開始する、というよりバイデン大統領の背後に隠れるグローバリズム勢力(国際金融資本)が戦争ビジネスを始めるでしょう。アメリカ・イギリス・インド・オーストラリア・ロシア・ウクライナ・中華人民共和国・中華民国・北朝鮮等、戦争ビジネスの材料は揃っています。
後はどことどこをどうぶつけるかでしょう。
オリンピックはその選手のそばに札束が積まれている。これでおしまいでしょう。我々日本人は偽善者の集まりだ。競技、興行のために俺たちの税金を使うな。スポーツ庁を廃止せよ。
みんなそれを知って騒いでいる。誰が金を出しているのか?
自分の生存にオリンピックなど関係ないのが99.999パーセントの人だぞ。自分を見失うな。
やっぱり五輪中継はBS NHKが一番やな。
CMと余計な演出、司会のいる民放は見ちゃおれん。
私が考えるこれからのオリンピック(五輪)とスポーツのあり方(2)
・現在のコロナ禍が収まったとしても、同じような危機は今後いつ襲ってくるか分からない。大会開催のリスクを下げるためには、無理に数多くの競技を一度に一か所に集めて大会を大型化する方法をやめる。また、莫大な開催費用を乱費させ、世界各国の持ち回りでやるのは大きな無駄。日本の高校野球甲子園のように「開催地固定論」もあるが大いに検討すべきである。
・冬季では2026ミラノ、2030(都市名未定)、夏季では2024パリ、2028ロサンゼルス、2032ブリスベンはどうなるか分からない。IOCに関係なく同等の、あるいはそれ以上の利益が開催地や競技団体、競技者たちにもたらされるなら、新たな方法を選ぶに決まっている。ロスはすでにそうした解決策を模索しているはず。そうした動きとうまく協力し合って、IOCと手を切ったシステムを構築していく。
・そうした一連の活動、運動を、今回最大の「オリンピック被害」を作りだし、オリンピックの矛盾点をさらけ出してしまった中国抜きで進める。
私が考えるこれからのオリンピック(五輪)とスポーツのあり方(1)
・なぜ北京2022が悲惨な結末に至ったか、オリンピックをここまで汚してしまった要因は何なのかという反省をし、その内容を包み隠さず世界に向けて公表する。
・IOCとの決別を表明し、「オリンピック」という「商標」を使わず、新たに全く違う名称のブランドを使うことを呼びかける。新名称は何でもいいが、極力既存の言語等をイメージさせないようなものがいい。仮に「ナナポン」(説明しやすいように適当につけた)とするなら『ナナポンワールドベースボールクラシック(WBC)』『ナナポンワールドカップサッカー』『ナナポンツールドフランス』『ナナポン世界フィギュアスケート選手権』等という風に世界平和をスポーツの力で訴える新ブランド「ナナポン」の冠をつけることで各競技大会の連帯を表明し、利益の一部をスポーツ振興や貧困・病苦の救済等に充てる。
・現在の競技別世界選手権(WBC等)の運営組織、競技連盟に、「世界大会の価値を広げる」ことを提言し、援助する姿勢を示す。ここで言う「世界大会の価値を広げる」とは、世界最高レベルの競技者を決めるだけでなく、スポーツを通じて世界平和の希求や多様性を認め合う精神を培うといったもの。これは本来オリンピックが求めた価値のはず。
・新理念をを追加した世界大会では、スポーツの環境が整っていない国や地域への援助や、そうした地域からも選手が何らかの形で参加できる(必ずしも選手でなくてもよい。例えば演出家として参加するとか、関連イベントにアーティストやメッセンジャーとして参加するといった)ような仕組みを考案していくだけでなく、大会開催地の人々と選手たちの交流も図る。
中国共産党を育てたのはロスチャイルド
条件や面積にもよるができる国のほうが少ない。許しているのは日本政府だ。日本人は中国の土地は買えない。借りるのすら規制が厳しく面倒だ。不条理だが中国のほうが世界的には当たり前の対応である。国際常識からすれば日本のほうが「間抜け」呼ばわりである。
「政府が許してるんだから仕方ない。もうかなわないよね、お金もってるし。日本もコロナ気にせず経済まわしてりゃね」
人命の問題なので致し方ないとはいえ一理ある。もちろん本稿は中国や在留中国人の方を過度に煽るためのものではない。ただ人権意識が高い国のほうが損、という昨今、それにつけこまれることも事実である。目に見えて新たな中国コミュニティが形成され、これまでと違う資本や意図も含めた正体不明の影が見え隠れする。もはや世界の超大国である中国、3兆円以上のODAを止めた2018年の時と同様に、日本の安全保障という点でもこれまでのつきあい方を考え直す機会が訪れている。
東京五輪でお披露目するはずだった、213か国をイメージした着物。
着物プロジェクト イマジンワールドは、残念ながら五輪で日の目を見ませんでした。
内紛で採用不可となったとの報道ですが、4億円の寄付を集め着物業界が匠の技を駆使して213着もの芸術品を作り上げました。、
もし、五輪の舞台で採用されていたら、圧巻の伝統美を世界中に魅せられた事でしょう。
内紛との続報では前役員らが、後のスポーツ関連会社の元役員らに組織を乗っ取られた様相で、前役員らが訴えを起こしています。
貴重な213点もの着物が、素人集団に支配されて返却を求めるも応じて貰えない状況のようです。
東京五輪の衣装などは「ジャップ」という名の会社が製造しているそうですが、
日本の伝統的な和装(浴衣など)ではいけなかったのでしょうか?
※ 4兆5千億かけた平和の祭典?北京五輪の真実。
北京五輪の会場、鳥の巣周辺には五つの収容所(刑務所)が点在しています。
そこでは日夜、強制労働や拷問、臓器摘出や処刑が行われています。
Harano Times さんが、米国人からの目線でインチキ祭典を批評(選手の国籍問題)しています。
Harano Times Official Channel チャンネル登録者数 19.2万人
https://www.youtube.com/watch?v=uvNNxy5OICI
アメリカ国籍の選手が中国の代表になる?チームの半数以上が帰化選手だが、本当は永住者?
自国の法律とIOCのルールを同時に破って、メダルを目指す中共、米中関係の悪化も感じる選手の国籍問題
国民の総意チャンネル
1000人行きましたね。
オリンピック開催費が過去最高額なのに、過去最低の開会式をした国があるらしい。どことはいわんが。
>五角六角さん
朱舜水が江戸初期に日本に与えた影響はおおきい。楠木正成を現在の日本人が持つような姿にしたのも、朱舜水の影響です。詳しくは知らないが、そこから明治に表に出る尊王思想の始まりで、我が国開国以来その思想が連綿としてあったのではない。そこから、山鹿素行や山崎闇斎などが生じて、江戸期の知識人層に普及したと思うがそれはあくまで上層部だけでしょう。実際の政治はお側用人を見ればわかるように儒教に元ずくものではない。
それと靖国神社は朱舜水とは関係ないと思う。しらべると大きな矛盾がある、靖国神社には。あれは招魂祭というものが元でしょう。
徳川幕府が一応の形態をとるのは綱吉の頃からだと思うが学者の意見はどうだろうか?
上杉鷹山の統治思想には朱舜水の影響はないと思う。
幕末の運動の一側面は、俺も討幕に参加して、どこかの大名になるという戦国時代の残滓を基にした人はたぶん多くいたが、それは起きないとみた人々が明治を見ていた。つまり幕府体制はもう無理があって、別の体制へと行く必要がある。その時奈良時代の律令制を見習ったように西洋を見習ったが、律令制は一年と持たなかったように、その体制は持たなかった。
幕府体制の近代化を目指すことだった。これに尽きる。少し進み始めたがごろつきに過ぎない高杉晋作たちがぶち壊したと俺は思っている。
最低の五輪はあるが、最高の五輪もない。
例えば、靖國神社の思想は水戸学尊皇イデオロギーからくる楠木正成崇拝である。
水戸学尊皇イデオロギーは中国人儒学者 朱舜水の思想である。
すなわち靖國神社は中国人によって創設された!といえる。
安積澹泊、佐々十竹、木下順庵、林春信らに直接に与えた影響など、ごく一部であろう。光圀が企画した『大日本史』のすべてが朱舜水の示唆から始まっているのだし、その全貌が朱舜水の影響そのものなのである。それをここでかいつまむわけにはいかないので、別のところで議論することにするが、たとえば前田綱紀が狩野探幽に描かせた楠木正成父子の桜井の別れの図に朱舜水が寄せた賛ひとつでさえ、いまは湊川の楠公碑にも読めるものだが、この一事にその後の日本の歴史観を大きく左右する思想がひそんでいるというべきなのである。
それまで日本人は、楠木正成の忠臣忠義の言動を存分に理解していなかったのである。評価する言葉をもっていなかった。これは明室を失った朱舜水によって教えられた思想なのである。
ぼくが朱舜水を解いていくのは、これからのことになる。そのためには少し時間がほしい。そういうことについて考えていることを披露するには、いまは忙しすぎる。しばし端座する必要がある。朱舜水を考えるとはそういうことなのである。
儒臣の小宅生順を長崎につかわして、東遊を勧めた。65歳になっていた舜水は何度かこれを固辞するのだが、ついに江戸に向かうことになる。生順にはこう言っている、「貴国、邪教に惑わされ深く骨髄に入る。豈に能く一旦にして豁然せんや」。
江戸に入った舜水を光圀は最上の敬礼をもって迎える。光圀は40歳。舜水の深い学識とその静寂で苛烈な人物におおいに惹かれた。そしてなんとか水戸に招いて教えを請いたいと言う。舜水は「僕は翰林学士にあらず。すなわち明室の一書生」と言いつつも、光圀の熱意にほだされ、しばしば水戸と江戸を往復する。
光圀は水戸に学校をつくり、舜水を賓師としての指導者に迎えたかった。舜水は『学宮図説』を描いてこれに応え、光圀もこれに応じて寛文12年に彰考館を創建する。
ここに初めて日本に本場の朱子学と陽明学が入ることになった。日本に経世済民の学が入ったのはこのときである。
また、「誠→敬→礼→学→行」という儒学のオーダーが確立したのもこのときである。水戸学の確立もこのときから始まった。これらはまた、武士道の精神にもかかわっていった。
実は舜水が日本にもたらした影響は、ここからおおいに展開されるべきなのだ。
そこに登場してくるのが鄭成功である。
鄭成功は明室光復の大義を抱いて海外経営に乗り出し、父の鄭芝竜が清に降伏したのちも海上権を守って、連年大陸に反攻した。その間、日本に数度にわたる援助を期待したが成らず、厦門を奪ってここを拠点に明朝復興を志した。
1658年に厦門を出発して北征の途についたときは、その軍士たちは「神兵」「天兵」と称えられたのだが、ついに南京進撃は挫折した。この神兵を操って帝室回復の先頭をきった稀代の英雄・鄭成功が、近松門左衛門が人形浄瑠璃に仕立てた傑作『国姓爺合戦』の国姓爺である。母は平戸の日本人だった。鄭成功が日本人の血をひいていることは、朱舜水が日本乞師になったことと相俟って、その後の日本人のアジア的歴史観に大きな影響を与えることになった。
舜水はこの24歳も年下の鄭成功の北征に伴った。北征は南京奪還のための行軍をいう。
この事実はなかなか知られていなかったのであるが、本書はそのことをほぼ実証した。が、すでに60歳になっていた舜水にはこの行軍はあまりにも難行であり、ここで鄭成功との合意のもとに、援兵を求めて日本に渡ることになる。七度目の日本であったが、舜水はそのまま日本に投化した。
こうして舜水は日本に望みをかけて、生涯にわたって明室の回復を念願とする。国姓爺鄭成功はあえなく39歳の若さで台湾に急死した。
朱舜水が最後に長崎に来たのは1659年の冬である。江戸は明暦の大火が終わって、将軍家綱の時代になっている。長崎は隠元が黄檗山万福寺を創建したばかりであった。
日本側の仲介者であった安東守約は、すぐさま舜水に自分の俸禄の半分を割いている。守約は舜水に惚れぬいていた。それほどの人物だった。明室を救おうとした大義の人・朱舜水の名はすぐ江戸にも届く。
ここで動くのが水戸光圀である。家綱の叔父、水戸黄門。
帝国の墜落を傍観し、反撃を諦めていたわけでもない。それでは何をしていたかというと、「海外経営」を試みていた。
浙江省の舟山を拠点に日本・安南のあいだを往来していた。そして「日本乞師」(にほんきっし)になったのである。
朱舜水が明の滅亡を匡救する志をもちながらも、ついに機会を得ず、そこで中国・安南・日本の三角交易を試みて漢民族の中国の存続を密かに再来させようとしていたことは、この時期の東アジア史を代表する精神のドラマだというべきである。
このような精神のぎりぎりのドラマを、日本人がもったのは佐久間象山や渡辺崋山や吉田松陰以前では、ない。かれらは勤皇佐幕を超えるほど切羽詰っていた。その精神のドラマを体験した起源がどこにあったかといえば、それが朱舜水なのである。
ぼくには、そう推測される。もっとも、そうでもしなければ朱舜水とて絶望する以外はなかったにちがいない。
日本はこの時期に信長秀吉期をおえて、徳川幕府は鎖国体制に向かっていく。なぜ鎖国をしたのかさまざまな議論があるが、一言でいえば世界史がアジアを食べ尽くそうとしていたからだった。西力東漸の時期なのである。あるいは、すでに何度か日本を訪れていた朱舜水の進言があったかもしれない。
そういう東アジア急変のなかで朱舜水が見たものは、愛国畏敬の気概を秘める実学者・朱舜水にとっては信じがたいことばかりである。
朝臣たちが腐敗していること、それを諌めるべき儒学者たちが迂腐の学に堕していたこと、女真のヌルハチが満州を統一して後金を建国して明から独立していったこと、ヌルハチのあとのホンタイジが李朝朝鮮を服属させ、明の北方を蹂躙していったこと、農民は飢饉に苦しんで陝西に蜂起し、これを李自成が指導して数十万の軍としつつ西安を占拠すると皇帝を自称したこと、明室はこれを制圧しそこなって北京を失い、そしてついに崇禎帝はみずから紫禁城を出て首をくくったことである。
こんな前代未聞の事情を「文武全才第一」「開国来第一」とよばれた朱舜水が許せるはずはない。
朱舜水が生まれたのは、この万暦の28年だった。
満州族のヌルハチ(のちの太祖)が明と開戦したときが19歳、李自成が乱をおこしたときが29歳、後金が国号を清とあらためたのが37歳、江戸幕府が鎖国令を出したときが40歳。朱舜水は明朝の衰亡とともに人生を送ったことになる。
この時代の符牒が朱舜水と日本の関係を象徴的にした。
朱舜水を見ることは、17世紀前後の世界史を見ることであって、また日本を世界史的に見ることである。
ヨーロッパは三十年戦争に突入し、東インド会社をつくったイギリスはインドを狙い、オランダはジャワにバタヴィアを建設して、さらに台湾や日本を窺っていたし、ポルトガルは広州にマカオを建設していた。ロシア人はエニセイスクやヤクーツクに城塞を築いてシベリア戦略をかため、北東アジアに進出したくてうずうずしていた。スペインはマニラを占領して、メキシコとマニラを結ぶガレオン貿易を開始した。ピューリタンがアメリカに次々に移住を始めていた時代でもある。
アジア全体が風前の灯火の前にいたといってよい。
中国には「明の亡ぶるは崇禎に亡びずして万暦に亡ぶ」という言葉がある。明室衰亡の本質を言いあてている。
実際に明が滅亡したのは李自成が北京を占領し、明の崇禎帝が自殺した1644年である。これで満州族の世相順治帝が即位して清朝が成立し、中国における漢民族の歴史が終わった。以来、今日にいたるまで中国に漢民族による国家は出現していない。1644年は日本でいえば家光の正保元年にあたる。
ところが「明は万暦に亡ぶ」となると、万暦帝の在位は1572年から1620年だから、信長が入京して室町幕府が滅んだころにすでに明室は衰亡していたことになる。少し時期をずらしていえば、明朝は豊臣氏と同時に滅んだことになる。
そのくらい明の滅亡は中国にとっては大事件なのである。47年に及んだ万暦帝の時代のどこかで何かが変わっていれば、中国は漢民族の歴史に幕をおろさなくともよかったかもしれない。中国人の歴史観のどこかには、つねにこの「問い」が潜んでいる。