日本人に取って靖国神社とは。
日本人に取って靖国神社とは。 幼い頃から現在までの年月の中で考える。(前篇)
←ブログランキング応援クリックお願いします。 私は今年62歳であるが、思えば靖国神社に参拝を始めたのが22歳の頃と記憶しているので、もう40年という歳月が流れた。靖国神社の存在を知ったのは小さなまだ小学校にも上がらない頃だったと思います。そうであれば靖国神社を知ってからはもう50年以上はゆうに過ぎている。
先ず幼い頃の思い出ですが、私の家の玄関には靖国の家というブリキ板に書かれた小さなプレートがありました。画像検索をかけてみたら、この靖国の家がありました。もう50年ぶりに目にした。

古い空家の表札の横に2枚の小さな金属プレートを見つけ一瞬ドキッとした。
「遺族の家」と「靖国の家」のプレート、今まで知らなかったけれども、それが意味することはすぐに判った。
朽ち果てていく空家を見て、その出征兵士がここで生活した頃の村の風景や生活を想像しながら65年前を偲んだ。
http://www.jutok.jp/cgi/blog/blog.cgi/permalink/20110306145741
当時はどこの家の玄関にもこのプレートがあった。私の生まれた東北の片田舎の部落では殆どの家にありました。当時はまだ新しく青の色が鮮やかだった。それを私の祖母が布切れで毎日のように磨いている光景が今でも目に浮かぶ。
その頃はまだ何かは全く分らなかった。当時の農家の朝の食事風景といえば、板の間にお膳が並べられ祖母、親父、母、そして私と妹が正座して食べた。その時に祖母の隣には誰も座らないお膳が一つ置かれ、そこにはいつもご飯やお味噌汁、おかずが備えてあった。
誰も座らないので当然、その味噌汁やおかずは残ってしまうが、手を合わせて食事が始まると母がそのおかずを父のお膳に移したり、時には私のお膳に運んで来ることもあった。
この風習がいつまで続いていたかは覚えていない。小学校に上がる前に祖母は亡くなった。それからはお膳が出ることはなく、その代わりご飯だけが仏壇に添えられることになった。
このお膳は大東亜戦争に行って戦死した長男の方のものだった。私の父は次男だったが、長男が戦死したので家を継いだ。後で知ったことだが近所の家の多くでこのような戦争で亡くなった方がおられた。当時は遺族会の活動が活発であり、8月15日には遺族会の地区の代表が上京して靖国神社に参拝していたようだ。
たぶん、この頃の記憶がもう一つ鮮明に頭の中にある。ここまで書いてきたら、かってブログで書いたことがあることに気がついたので今検索した。2006年2月3日のブログより転載します。
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家の玄関には戦争に徴集され亡くなったことを証明する「戦没者の家」と書かれた小さな看板(プレート)が掛けられていた。祖母はそれが何よりの誇りだと言っていたのを聞いて育った。
本来なら我が子が戦争で亡くなっている訳だから、国に対する恨みつらみの言葉が一つくらいあっても当たり前だと思ったが、祖母は全く逆に「国のために戦い死んだ、こんな名誉なことはない」が口癖だった。
自分が幼少の頃のことで忘れられない光景がある。近くに東北本線があるが、その沿線に多くの人が列をなして座りこんでいた。皆ゴザを敷いてそこで座っている。その人数はとても多く、驚くほどの人だかりであった。一体何が始まるのか?私には全く分からなかった。
やがて列車がやって来た。まだ蒸気機関車の時代である。皆が一斉に立ち上がる。座り込んで頭を下げている人もいた。誰からとなく「天皇陛下、万歳!」の大合唱が始まった。私が昭和天皇をこの目で見た初めての日でした。
昭和天皇は列車から身を乗り出して、帽子を片手に持ちながら左右に大きく振って、皆の万歳三唱に応えておいでであった。人々は列車が遠く離れて見えなくなるまでその場に立ち尽くしていた。
これは後に昭和天皇が全国を廻り、国民を激励して回った“全国行脚”と知りました。
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昔の人は自分の大切な子供を戦争で亡くした。戦争の責任が天皇陛下にあるとして、反天連などは靖国神社に向けて「天皇いならい!靖国いらない!」などと言って毎年デモを行っている。
私は自分の家から戦争で亡くなった人がいる戦没者の家系だが、子供の時から天皇陛下を尊敬するごく普通の家庭に育った。当時の家には天皇陛下の写真が掲げられていた。毎朝神棚に手を合わせる祖母は天皇陛下の写真にも深々と頭を下げていた。
今祖母が生きていて「天皇いらない!靖国いならい!」などのデモを見たら、卒倒してしまうのではないか?或いは怒り狂って飛び掛るかも知れない。
多くの戦没者の家庭は天皇陛下や靖国神社を恨んでなどいない。祖国の為に殉じた子供を持った親として誇りに満ちていた。私がまだ幼少の頃の記憶だが、それだけは確信を持って言える。
反天皇連絡会などの反日活動を許しておくことは出来ない。それは国に殉じた我々の先祖を冒涜するものであり、誇りとして生きていた日本人を悲しませる行為の何ものでもない。
靖国神社とは戦争犠牲者の魂を鎮める神聖な場所でもある。それを解体させようと企むのは左翼共産主義者と在日などの反日活動家である。
今年もこの彼らを絶対に許さないという信念で、九段下交差点で反日左翼を迎撃する決意です。皆様も共に戦いましょう。
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Posted by the_radical_right at 05:46│
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誤報放置は「犯罪的行為」 病の完治を 英国人ジャーナリスト・ストークス氏
2014.08.14
立派な社屋から誤報を発信した朝日新聞社
ヘンリー・S・ストークス氏
今回の件は、単なる誤報ではない。英国人ジャーナリストとして、一連の経過を観察してきた私として
誤報放置は「犯罪的行為」 病の完治を 英国人ジャーナリスト・ストークス氏【草莽崛起ーPRIDE OF JAPAN】at 2014年08月14日 17:05
靖国神社は、この世に必要ありません。戦没者を英雄のように扱うことで、戦争を美化しようとしてるようにしか見えない。戦争を経験した日本人に話を聞いたことがありますけど、「あれは侵略戦争だった。日本は愚かだった。」、「靖国神社なんて要らない。」って、仰ってましたよ。
「靖国神社いらない」と言う人は日本人じゃないなんて言ってる馬鹿がいるけど、日本人として戦った人が「靖国いらない」って発言してるのを、私は見ましたよ。
戦争は本当に愚か。靖国は日本の愚かさの象徴です。
凛七星ですね。
あいつ執行猶予で出てきて、ひさびさに罵詈雑言を再開させたんでしょう。
読むだけで気分が悪くなるので、あまり相手にしたくないのですが。
それとここで話題を変えます。
昨日反転連のカウンター終了後に、在特会の懇親会になんちゃって右翼が乱入して、女性が大けが負ったような話があります。
なんでも14針縫う多いけがだったとか。
桜井会長のツィッターが注目されますね。
親愛なる日本国日本人の皆さまへ〓反天反日在日⇒韓国語で<パンイル>のブログ荒らしで超有名な[平井宏明・日本再生投資(株)代表取締役社長〜アメブロ]なるバカ者が、本日終戦記念日を敗戦国として歴史認識〜事実誤認の稚拙・幼稚極まりないコメントを自身のブログ更新で書いています。心ある皆さま方の攻撃・粛清を是非お願い致します!拝。
支那戦線で日本兵の残虐性を言うなら、なぜ同じように太平洋戦線で同じような残虐性をいう人がいないのだろうか。支那戦線では支那人への日本兵の残虐性をあげつらい、太平洋戦線では日本兵の日本人への残虐性をあげつらっている。この奇妙な非対称性は何に起因しているだろうか。
これらも河野談話と同じように、日本人と誰かとの談合にもとにする、証言ではないだろうか。特に支那戦線における日本兵の残虐性を言う元日本兵はその証言において、奇妙なことに苦痛の表情がない。とくとくkというその表情には大きな疑問が生じえう。中帰連という団体は周恩来苦心の策で、その団体のブースを一度見たがいたのは乞食のような印象を当てる人ばかりだった。当たり前でしょう。
結局<聞けわだつみの声>を編集した人々はそのように編集することが時代に合うことだから、したにすぎない。彼らは戦時中なら逆に<鬼畜米英>と叫んだ人々にすぎないのではないか?
これを見ると現在の反戦運動がまったく力がないことは十分理解できる。逆にそのことはわが国の軍事問題の深刻さを示している。それは現在の対北朝鮮外交や、ロシアの軍事演習に対してなんら対抗措置を取れないわが国うに現れている。おい北海道の道民よ、ロシアが上陸してくるぞ。それに対してまず北海道の道民が一兵卒となって、行く覚悟を決めないと防衛はできないぞ
従軍慰安婦問題の捏造はばれたわけだが、これは河野洋平氏と韓国の合作でした。ではこれだけだろうか。違う。大江健三郎氏の例を見ればいいでしょう。彼の沖縄ノートは大江氏の妄想の産物に過ぎないと思うが、それでも渡嘉敷島の集団自決問題は興味深い。曽野綾子女史が明快に事実を追求されているがそれは確か1972年ごろだった。これは従軍慰安婦よりはるかに古い。
さらに調べると有名な<聞けわだつみの声>においてもその遺書の改竄といわないまでも、従軍慰安婦と似たような状況がある。版元は岩波で、その文庫のあとがきの能書きを読むと、よく書くなあということが書いてある。それは<聞けわだつみの声>の編集方法をみればいい。事は簡単で、われわれは軍事においては17歳の少年が神風で対抗したが、帝国憲法の改正に対して法曹界は誰一人GHQに神風攻撃をかけたわけではないことに起因している、なぜでしょうか、なぜ美濃部達吉はあれだけ天皇機関説で攻撃され、戦後も帝国憲法でよいと言明しておりながら、なぜGHQに神風攻撃をかけて、帝国憲法を擁護しなかっただろうか?
さらに岩波は文庫のあとがきで述べたことを実行するなら、なぜ<聞けわだつみの声>を戦後にご時勢に合わせたように改ざんといわないまでも、編集したのだろうか。わが国の戦争への反背のマスコミ界、出版会のそこの浅さがそこに現れ、それは半藤利一氏に現れている。
専門家では無いので、深い言及は出来ませんので、ご了承ください。
何度か、日本人として参拝していますが、階級戦犯者が眠る場所に対し、供養の一念を申し上げ、現代の日本人として、巡りのパワーを頂く。
神であり、魂が眠る場所。神の現象が起きた時、初めて有り難さが分かり、驚かす現象を体感したならば、何らかの形で神を揺さぶり、世界を驚かすパワーで、靖国という場所を、理解していけると考えている。
専門家では無いので、深い意味での言及出来ないので、ご了承ください。
何度か、参拝しましたが、階級戦犯者の魂が眠る場所。
現代の日本人が、全身全霊を掛け、供養の一念の形を示す事により、神となる巡りが何らかの形で、驚かす現象が起きた時、有り難さを感じる事であろう。
朝日の加藤千洋元記者は、昭和60年8月7日の「中国日本的愛国心を問題視」の記事をはじめとして、執拗に中曽根首相の靖国参拝批判を記事にし、旧社会党がこれに便乗して中国にたき付け、日中間の大問題に仕立て上げた。
首相の靖国参拝阻止の仕掛け人・加藤元記者は、植村隆元記者と並ぶ売○奴として、糾弾し続ける必要がある。
小学校に上がる前、元軍人だった父が靖国神社に連れて行ってくれました。
拝殿で頭を下げるのが、少々恥ずかしかったのを覚えています。躊躇していたら「頭を下げなさい」と叱られました。当時は全面砂利が敷いてありました。
その後真冬、別の機会に赤坂の乃木神社に連れて行ってもらいましたが、誰もいない神社で持参の冷たい握り飯を食べ、水道の水を飲んで昼食にしました。乃木大将が、厩を一番よい場所と定めた話などその時知りました。
話は飛びますが、栃木県那須塩原市にも乃木神社があります。
乃木大将が那須野が原で農業を始めたとき、お住まいとしていた場所がそのまま神社になりました。車で境内まで入れますから、お近くを通る時、一度お寄りください。
舛添都知事「ヘイトスピーチがなくならなければ東京五輪を返上する」
花田紀凱 | 『WiLL』編集長、元『週刊文春』編集長
2014年8月10日 12時1分
それにしても25日、ソウルの大統領府で朴槿恵大統領に媚びを売るようなつくり笑いで、ぺこぺこ頭を下げていた舛添要一東京都知事、みっともないったらありゃしない。韓国メディアは得たりとぺこぺこシーンを繰り返し報道していたという。要は最近、話題になることの少なかった舛添都知事のスタンドプレーだ。
しかも「週刊文春」によると今度の訪韓、朴元淳ソウル市長の招待に応じたものだった。この朴市長元弁護士で、日本でも騒動になった女性国際戦犯法廷(2000年)に検事役として参加、昭和天皇に有罪判決を下した張本人で、ゴリゴリの反日政治家だという。
朴大統領との会談で、舛添知事、ヘイトスピーチに言及「ヘイトスピーチがなく成らなければ、東京オリンピックを返上する」とまで言ったという。それをいうなら、韓国のヘイトアクション、安倍総理の写真にバッテンを書いたり、日の丸を燃やしたりする、あのへイトアクションもやめさせろというべきだろう。 (中略)
GHQの洗脳は執拗で悪質であったとは思いますが、それで大和民族の魂を捨てた者は言わば大和民族であることを放棄し離脱したと考えることが出来ます。残念ながら我が国ではそういった人達が中心となり戦後ニホンを担って来ました。
そう考えると瀬戸様のご実家や周辺での風景が、大和民族の当り前の日常だったのではないでしょうか。それを取り戻すことが、大和民族への復帰を意味すると思います。
反天皇、反靖国などと言っている人は、間違いなく全員、日本人ではありません。
日本侵略をもくろむ『中国人か、中国人から金貰ったヤツか、中国人から金貰ったヤツの手先』です。人間ですらありません。人でなしです。
靖国神社は誰が参拝しても良いと思います。
それが外国人であろうが在日外国人であろうが、国のために命を捧げた英霊に対する敬意の念があるならば、それは洋の東西を問わない普遍的な心の在り方であり、そうした心が備わっているのであれば大いに参拝するべきです。
しかし、論理性なきとどのつまりのアウトローの言い分を信奉する者らは敷地内に入ってはなりません。
それは英霊を平然と汚す行為と同等になるからです。
先生が、引退したらこの先不安です。引き続ぐ人は、かなり居ると思えますが、果たしてその人に付いて行けるかでしょう?瀬戸先生や桜井誠氏、村田先生が引退したらカリスマ的存在は、果たして現れるかなー?
九段の靖国神社だけではなく全国各地の県市町村単位やで護国神社、招魂社、靖国忠霊社、招魂場や忠霊塔、忠魂碑等自分達の町や身近な場所でも戦死者がお祀りされていて、戦死者をお祀りすることは決して特別なことじゃないのに、近年忘れ去られているような感じがします。
ちなみに私はお盆を前に近所の招魂場と忠霊社に参拝してきました。
靖国神社は神聖な場所です。
シナ人や韓国人、在日に対しては立ち入り禁止にすべきです。
【神戸市へ
・帰化未帰化在日韓国人職員と帰化未帰化在日韓国人教員の解雇と採用禁止
・神戸市からの民団排除
・多文化共生=他文化強制=韓国文化強制の排除
・グローバル思想強制=左翼思想強制=韓国思想強制の排除
を要求しよう!メール・facebook・FAX・葉書52円】
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神戸市東灘区在住バーテンダー 君 Twitter HXX/XX/XX (加筆済版)
神戸市立向洋小学校の帰化未帰化在日韓国人教諭たちとグローバル馬鹿日本人教諭たちがお揃いで倒産寸前韓国企業サムスンのロゴ入り運動服を着ているんだけど、やめてほしい。
日本人小学生へ韓国文化と韓国思想を強制している。
帰化未帰化在日韓国人職員と帰化未帰化在日韓国人教員の雇用=憲法違反
多文化共生=他文化強制=韓国文化強制
グローバル思想強制=左翼思想強制=韓国思想強制
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by長野県J
(転載)
旧西ドイツ首相ヘルムート・コール(キリスト教民主同盟=日本国の自民党に当たる)
「靖国神社は、日本国の素晴らしい悠久の歴史と伝統の結実である。日本国民が靖国神社に参拝することは、日本国民が日本国の素晴らしい悠久の歴史と伝統と一体化するここである。」
これは日本人の問題だけではなく世界中共通していると思います。
あの時日本が戦わなかったら現在のような世界情勢では無く、お恐らく植民地政策が今なお続いており世界は混沌としていたのでは、と想像します。
私達が現在存在出来るのも好き勝手に反日出来るのも、日本の為に戦った人達がいるからこそです。
反天連なる人士は『天皇らない』を唱える以上
天皇を不要とする憲法改正草案を提示してもらいものですね。
是非とも反転連の『天皇不要の憲法改正草案』を拝読させていただきたいと思います。
現代の日本人はGHQの戦後教育によって、天皇陛下の有難さをすっかり忘れてしまったように思えます。
皇統が2千年以上も続いたということ・・・これは世界にふたつとない、まさに日本だけの奇跡なのです。
世界ではどんなに栄華を誇った王朝でも、継続できたのはたかだか数百年です。
ではこれほど長く、人々が天皇陛下を尊崇してきた理由はいったい何なのか?
世間の多くの人々からどれほど圧倒的な支持を得たものでも、それ自体が思ったほど良くなかったり、隠されていた欠点が出てきたりすると、時をおかずして人々からは捨て去られるものです。
長く人々から愛されるのは、私たちにとって必要不可欠な『本物だけ』ということになります。
実は日本人は、自分たちを幸せに導いてくださる存在が、天皇陛下を置いて他にはないということを、太古の昔からよくわかっていたのです。
であるからこそ、一部の民族からは妬みそねまれ、何とか天皇と国民とを離反させようとする卑怯な工作活動をやるのです。
かつてオウム真理教の事件があった時、テレビに出てくるサヨクコメンテーターどもが、「オウムの信者って、まるで日本の戦前と一緒ですよね。日本人も「天皇陛下の為には死んでもいい」、なんて考えてた時期がありましたから」などと無礼なコメントを言っていました。
こういう愚かな言葉が「失言」として認識されないほど、戦後の日本人は鈍感になってしまったのです、いや「させられた」とい言うべきかもしれません。
おはようございます。
時折ブログを拝見し勉強させていただいております。
多くの日本人の犠牲・頑張りによって今の幸せがあるなんだと感謝の気持ちとお詫び(自分も含めて個人主義になった戦後日本人)の気持ちも明日は伝えたい思っております。
失礼いたします。
父親はなくなる一年前に靖国神社へ行きました。戦後一度もいったことはなかった。
>確かに土壇場まで世界に背を向けて悲劇を積み重ねていった昭和20年の夏、その一日一日がわが国にとっては痛恨の日付ではあったろうが、わが国は敗戦国ではない、終戦に応じただけだ。この事を私たち日本人は胸に刻み込む必要が有る!
この回答を与える必要があります。
敗戦国ならこれだけ経済的に繁栄するか
戦勝国ならこれだけ卑屈になるか
われわれは大東亜戦争を戦ったのであって、太平洋戦争でもなく第二次世界大戦でもない。
今まさに第二次世界大戦の結果の変更、具体的には国連の廃止へのうねりがある。
>反天連などは靖国神社に向けて「天皇いならい!靖国いらない!」などと言って毎年デモを行っている。
この類の人種に関する疑問その��
●靖国いらない!
現在の靖国神社は宗教法人法に基づき存在する宗教団体である以上、
靖国神社を不要とする反天連は、靖国神社が宗教法人法に抵触する明白な反社会性を提示しなければなりません。
具体的には、どこぞの宗教団体がかつて引き起こした強引な信者勧誘、生活困窮や経済的破綻を引き起こす金銭の寄付要求、あからさま政治活動すら宗教活動の範疇とする強弁、その他不正な投票活動に言論妨害、不正な通話記録入手、そらには組織に批判的あるいは敵対する人物に対する組織的盗聴や組織的付き纏いに組織的ハラスメント、さらには暴力団等の反社会的集団との密接な関わり、
以上、このように宗教法人法に抵触する反社会的所業の数々が引き起こされているならば、靖国神社は解散させなければなりません。
ですが靖国神社に関してこのような反社会性など聞いたことがありません。
従って反転連は靖国神社不要を唱えるならば、まず最初に宗教法人法に照らして靖国神社が宗教団体としての適格性を欠くこと提示しなければなりません。
それをしないまま靖国神社不要を唱えるならば、ここでも法治を無視したただの煽動でしかなくなります。
結論として、反転連の『天皇いらない』『靖国いらいない』などの唱え事は、法治を無視したただの煽動でありアウトローの言い分にすぎません。
とどのつまりはヤンキーやゴロツキ、ヨタ公の言い分と本質的に同じだと言うことです。
もう少し少し真面目に考えて行うべきでしょう。
おはようございます。
私が今、3食ご飯が食べられるのは、戦争で亡くなった日本人の犠牲があったからこそ、と思っています。
母が昔から言っていましたから。
遊就館の中の若くして散った特攻隊の方々の写真を見て今の日本を見てどう思うかな〜…と思っています。
>反天連などは靖国神社に向けて「天皇いならい!靖国いらない!」などと言って毎年デモを行っている。
この類の人種に関する疑問その��
●天皇いならい!
日本国憲法第一章 天皇
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
と明記されています。
天皇を不要とするなら反天連は、まず憲法改正とともに天皇不要を唱えなければ筋が通りません、つまり論理が通らないということです。
法律には法理論というものがある以上、それに基づく論理的な主張がなされなければ国民大衆を納得させることはできません。
現在の日本は世界的に見ても高学歴社会です。
戦前や終戦直後、あるいは昭和30年代ような高等教育を受けた者が少数な社会とは異なります。
このような社会であればいくらでも国民大衆を幻惑させることが可能でしょう。
してみると反転連なる人々の意識の根底には、いまだに無知蒙昧な国民が多いと言う1950時代の日本社会を想定するという時代錯誤から目が覚めないでいるとしか言いようがなくなります。
反転連なる人々はなぜ天皇不要だけを唱え憲法改正を唱えないのか?
このような憲法改正が伴わない天皇不要は、非論理的であり法治を無視したただの煽動でしかありません。
天皇不要を唱えるならばもう少し真面目に考えて行うべきでしょう。
お早うございます、瀬戸先生
インチキブログランキングは今朝もネトウヨだらけの
固定ですな。これが朝鮮外道どもの反日工作の一つだとしたら???
なあ創価朝鮮外道どもよ、インチキ集団ストーカーブログも、もっと上位に上げたらどうだ。
そうしたほうが、創価学会集団ストーカーを訴える者を妄想患者扱いさせるのに都合がよかろう。
安部総理も、奥方から集団ストーカーの話聞いてませんか? ミス・インターナショナル絡みで。
靖国参拝は、今年も見送られるようで、移民政策とか保守政治を標榜されるにしては面従腹背的な言動が目立つと評判が宜しくないようです。
◎広島原爆忌の6日が過ぎ、長崎の惨禍を心に刻む9日を経て、今年もまもなく15日が巡ってきます。8月…私たち日本人にとっては鎮魂の思いを深くさせる日付です。しかし、昭和20年の夏はそれだけではありません。69年前の今ごろの一日一日が日本の運命を決していったのですね…。例えば12日は、ポツダム宣言受諾交渉の中で連合国側の回答が伝えられた日だと歴史の授業で習いましたね。文中には「天皇および日本国政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官にsubjecpt toする」とあったと。当時の外務省はこれを「制限の下に置かるる」と意訳したので当時のわが国の軍部は憤激したと聞いています。つまり「隷属する」と受け止めて身構えたと教わりました。お互いに譲れぬサブジェクト論争が有ったと教わりました。そうしている最中にも13日14日、15日未明まで日本国内の各地に爆弾が降り注いだと教わりました。そして、ポツダム宣言をめぐっては、既に7月末にわが国に突きつけられて軍部並びに戦争指導者たちは当然黙殺を決め込んだと。新聞各紙は、あの朝日でさえ「笑止!」などと大見出しで報じたのだそうです。ところが連合国側は、これを「拒絶」と解釈し、あの8月の悪夢がもたらされた…。確かに土壇場まで世界に背を向けて悲劇を積み重ねていった昭和20年の夏、その一日一日がわが国にとっては痛恨の日付ではあったろうが、わが国は敗戦国ではない、終戦に応じただけだ。この事を私たち日本人は胸に刻み込む必要が有る!
明日は仕事前、朝一番に九段に行って参ります。皆様の活動の一助になりたいのですが・・・