石原莞爾先生の予言から学ぶ〔1〕
「反中国歴史講座」 ��
石原莞爾先生の予言「世界最終戦争論」(1)
今日は満州問題を語る上で絶対に避けることの出来ない戦略家・石原莞爾先生について触れてみたい。私は平成の時代が始まった頃に、急に石原莞爾先生について学びたくなった。
冷戦の崩壊で戦争の危機が遠のいたと一般的には云われ、平成という年号が「平和が成る」という願望から命名されたと聞いた時に、「世界最終戦争論」を世に出した石原莞爾先生の書物がどうしても目についたからであった。
もっとも石原先生のことを全く知らなかったわけではない。ただし先生に心酔するようになったのは、昭和の時代の終わり頃から平成の時代にかけてであった。今回は「世界最終戦争論」そのものよりも、私が学んで行く内に経験したことなどを書かせて頂こう。
記帳
念願かない、先生の墓に参りました。先生の唱えた「世界最終戦争」を読破して、居ても立ってもおられない心境でこの地にやってきました。やがてくる「世界最終戦争」の時代に勝利して、国家・民族の繁栄に尽くします。
平成元年8月13日 瀬戸弘幸 37歳
今から17年前の私の日記に書かれた、石原莞爾先生の墓参の記事の中にある事柄だ。この日記から紹介させていただきます。
8月13日、日本列島は熱い夏の真っ只中にあった。盆休みを利用して、かねてから行かなければならないと思っていた山形県鶴岡に向った。東北自動車道の村田インターから、新しくできた山形に向う高速道路に乗り換えて鶴岡市に向った。
深い緑に覆われた山々、ひときわ目につく高い山は国立公園にも指定され、登山家なら一度は必ず登っている月山である。周りの素晴らしい自然に見とれながら車を飛ばしていると、今度は見渡す限りの水田地帯に入った。
庄内平野は一面が緑に覆われていた。稲の穂が一斉に出始めたばかりで、風に揺れその穂が波打つ姿は壮観そのものだ。私が目指すのは鶴岡市と酒田市の丁度中間に位置する西山町である。
石原先生は日本の敗戦後、自分の生まれ故郷に帰り、この地を開墾されて西山牧場をつくった。今日、開墾や開拓などと言えば、何か夢や浪漫を感じさせる言葉だが、当時は大変な苦労を伴う事だった。
私の母方に戦後都会から田舎に来られて開墾地に入られた人がおり、その経験談を直接聞いたことがあったが、私には信じられないようなことばかりだった。
家を建てるのにも材料がまったくなく、先ず山間に穴を掘り何本かの杭を打ち、その上にトタンの屋根をかけて雪や風の寒さを凌いだというのだ。西山町も日本海側からの冷たい風にさらされる場所にあった。
地元の人達に聞きながら目的地を探したが、尋ねる人すべてが「あっ〜あの偉い先生ですね」と言って教えてくれた。
昼でも松林に覆われ薄暗い、そんな道を進んでいくと、そこの場所だけぽっかりと穴が開いたように光が差す場所があった。そこにこんもりと土が積まれて高くなっている場所があった。
先生の墓は小高い山の上にあった。石原先生の墓という案内板がなければ、それが墓とは思わない。見過ごして通り過ぎてしまう、そんな質素なものだった。
私はこの墓で驚くべきものを目にすることになった。
それはまた明日の夜に書かせて頂きます。思わせぶりですみません。あまり長い文章になるよりは短い文章で進めて行きたいと思います。
※石原莞爾先生のファンの方は是非コメントください
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Posted by the_radical_right at 19:02│
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反中国講座
うぅ・・・申し訳ない<煬帝さん
何故か何故かなーぜーかー加藤紘一の地盤が固すぎて、去年の9.11選挙でも民主は対抗馬すら立てなかった
実家の親は選挙がツマランと嘆いていた・・・
落としたいんだけどねぇ・・・(涙)
何かの本で、戦後東京裁判で証人としてリヤカーに引かれながら写っているを見たことがあります。終戦時にロシア(旧ソビエト連邦)で抑留され苦労されたのでしょう。日本に戻され、東京裁判の正当性をつくる為にGHQに利用されたのでしょう。不思議な事に、石原莞爾氏自身は東京裁判法廷で裁かれていません。その当時のアメリカの意向でロシアに関する諜報機密が取引として渡っていたのかもしれません。しかし、戦勝国が敗戦国を裁くという形は違和感が禁じ得ません。
庄内といえば現在は加藤紘一の地盤ですよね。
雲泥の差だなあ。
岩手県水沢市から斎藤実と小沢一郎が出てるのも不思議ですが。
こんばんは(^-^)/ まぁ石原のファンってわけでもないですが、彼の戦略が採り上げられていたら、もう少しちがった戦いになったかと思いますね。最終戦争論第二章で、石原は航空戦力の重要性を説いていますが、海軍の大艦巨砲主義は変わりませんでした。また最終戦争は経済問題から起こると指摘していますが、全く同感です。より多くの人に読んで欲しい一冊ですね。現在、中公文庫から「最終戦争論戦争史大観」として出てます
コミックで、かわぐちかいじ著の「ジパング」の何巻かに
世界最終戦争論の講義シーンが載っています。
なおこのコミックの第3の歴史において、石原莞爾は
需要なキーマンになると作者は言っています。
このコミックは現実の太平洋戦争の事も解説として
載っているので、勉強になります。
以前にもコメントを書かさせていただきましたしがない高校生です。
今回、この記事を読んで感じたのですが、瀬戸先生は、「いつかくる世界最終戦争」と書かれています。どうしてもここに引っ掛かったのです。
別に戦争がイヤとかそういう問題ではありませんが、私は何か別の方法を用いて共産中国を打倒できないかと模索している身でありますからこの一文を読んだときに何か寂しいものを感じ得たのです。戦争になれば今まで築いてきた「日本」も傷を負うことになりますからね。それはやはり見たくない。
こんな考え甘いのでしょうか?具体的な考えもないただの理想主義者の戯言の質問として受け取っていただければ幸いです。
それでは瀬戸先生、お体に気をつけて頑張ってください。
石原先生・・・ ごめんなさい
石原先生が終戦後に庄内にいたのは知ってたけど
まさか地元の出身だったなんて知らなかった・・・
今度実家に帰ったときはお墓に行って手を合わせてきます・・・
未定さんへ
私も戦後世代ですが、戦後教育を受けた者で石原先生を知る人は少ないでしょう。読売新聞の渡辺会長が外人記者クラブで話をした時に、石原莞爾先生が何故東京裁判で裁かれなかったのか?という疑問を語っていましたが、確かに不思議なことですね。その事などを今後述べて行きたいと思います。
岩手の田舎人さんへ
石原莞爾先生らが唱えた「世界最終戦争」論は、当時としても、否今の時代においても奇抜なもので、その予言的言辞は人々の心を魅了して止みません。情報ありがとう御座います。
満州建国というか(五族共栄でしたか?)はもともとソ連の防波堤という側面が強かったと理解してますけれども、アメリカがちょっかい出してきたときに満州鉄道の利権?をアメリカに渡して、アメリカをソ連の防波堤に巻き込むことが出来ていたら・・・。
歴史のIFには意味が無いとはいえ、そんな妄想をしてしまいますね。
最終戦争論を見つけました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000230/files/1154_3530.html
ううむ。中学生の時、社会科(地歴公)を教える順序が違う学校に転校したせいで、私は歴史をほとんど勉強しませんでした。で、高校の歴史の成績は常に「2」。年号の暗記ばっかりで、全然ダメでした。
東南アジアに住み始めてから歴史に興味を持ち始め、今ではおかげさまで(笑)こんなになってしまいました。また良いきっかけをいただいたので、石原莞爾についてちょっと勉強してみます。
PS「国家の品格」やっと第5章に入りました。ゆっくり味わいながら読んでいます。3・4章は論旨の組み立てもしっかりしていますし、共感する部分が多いですね。結論が楽しみです。
怒る小市民さんへ
日米の経済戦争はまさに「世界最終戦争」を呼び込むのではとの激しさで推移しましたが、どうも「世界最終戦争」は日米との間ではなく米国と中国の間で行われる可能性があるようです。石原先生がこの論を明らかにした頃は、満州の地であった訳ですから、これもあながち間違いではなかったのかも知れません。いずれにしても、これから何回かに分けて書いて行きたいと思います。
いつもありがとう御座います。
瀬戸さん、お弟子さんこんにちは。
第一級の戦略家でもあった石原莞爾先生は、同時に国家百年の大計を見通す慧眼を具えた思想家でもあったと思います。先生が上梓された『世界最終戦争論』、小生は未だ手にとったことはありませんが、いづれ是非とも読んでみたい。概略では、世界はやがてブロック化の方向へと進み、凋落してゆく中で、結果、覇者となった日米が存亡を賭けて一大決戦を行う内容とあります。日米決戦は兎も角、冷戦崩壊などの近年における事象を言い当てておる書物として、一部では預言書的な扱いもされておるとか。今日の政治は、一頃に較べればかなりマシにはなったと感じますが、それでも猶、外交にしても気兼ねが多く腰の引けた有様です。偏に政治家のみ帰する責任ではなく、まだまだ巷間の事勿れ主義が根強いせいでありましょう。今の世に石原先生のような智勇兼備の大軍師が現れぬものかと、小生密かに待望しておる次第です。