宗教勢力の過度な介入は「中東和平」を根底から突き崩す!
世界の至る所に紛争の火種はあるが、何と言っても最大の火薬庫は中東である。この火薬庫がイスラエルの建国に起因することは明らかだが、永い歴史が背景にある以上、この火薬庫を取り除くことは簡単ではない。
第二次世界大戦時のドイツにおけるユダヤ人迫害などによって、このユダヤ人の国家が英国の当時植民地だったパレスチナの土地に建国されたとなっているが、ユダヤ教を信仰するユダヤ人がこの地に帰りユダヤ人の民族国家を作ろうとしたシオニズム運動は、実は第二次世界大戦以前に起きたものである。
第一次大戦中、イギリスが外相バルフォアの名前で、イギリス・シオニスト連盟会長ロスチャイルドに送った書簡の中で、「パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設する」ことに同意を示したもの。
イギリスが第一次大戦において戦局を有利に進めるため、ヨーロッパやアメリカのユダヤ人の支持を獲得し、また、ユダヤ系財閥の財政的支援を取り付けるために出された宣言【バルフォア宣言】
更に我々が再確認しなくてはいけないのは、パレスチナ人をユダヤ人が一方的に追い出して建国したという事実の間違いである。当時、英国の委任統治にあったパレスチナは、先ず国連において米ソ合意の元で分割され、そこにイスラエル国家の建国が宣言されたのである。
その直後、第一次中東戦争が勃発(1948年)し1973年の第四次中東戦争までイスラエルとアラブは激しく戦火を交えた。第一次の中東湾岸戦争までのイスラエル対アラブの対立というのは、そのまま米ソ対立の代理戦争でもあった。
昨日も書いたが、この戦争でイスラエルがイラクのスカッド・ミサイル攻撃に自重・自制することにおいて、イスラエル=米国という構図が初めて崩れ、アラブにおいて和平の機運が高まった。それが1991年のマドリードにおける中東和平会議へと繋がる。
さて、この世界史に特筆されるスペイン・マドリードにおける中東和平会議とは何だったのか?本日の最も強調したいことはここにある。何故ならこの路線以外に中東に平和をもたらすことは困難であると思うからだ。
米ソのイデオロギー対立の影響から解放された中東地域、またイスラム原理主義の影響拡大を本音では望まない中東地域。まさにここがポイントとなろう。イデオロギーも宗教も拭い去ったところの現実処理という事になれば、この土俵に当事者が乗ってしまった以上、「相互の痛み分け」というのが最良の方法であることは明らかだった。
あれから10年以上が経ちラビンが暗殺され、アラファトが亡くなっても、この原則が変わることはあるまい。「領土の痛み分け」しか解決の方法はないのは事実なのだ。その意味からすれば、今日においても「パレスチナの占領者は地図から消し去るべきだ」とするホメイニ師の言葉に忠誠を誓うイラン大統領は極めて危険な人物に違いない。
イデオロギーの対立が分割支配の手段であった時代は20世紀に終りを告げた。しかし、その後の対立軸を宗教に求めるには、余りにも危険すぎるとなれば、これを排除しようと動くのは21世紀の世界の流れでもある。
しかし、我々は実はその排除が性急に行なわれることには危惧の念を覚える。日本政府はこの問題に口を出すことは難しいのは理解できるが、沈黙していることは許されないと思う。イランの説得に何回でも良いから乗り出すべきであろう。同時に米国・西欧諸国へも慎重な対応を働きかけるべきだ。
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