現代の虚業家・孫、三木谷、堀江、村上らは英雄なのか?
株の仕手筋である村上世彰氏が阪神電鉄の株を買い占めて話題となっているが、この問題で報道ステーションに出演した星野仙一前阪神監督は「カネより大切なものがある筈だ。」と繰り返し述べた。ニュースキャスターは「それは何ですか?」とは質問しなかったので、星野前監督自身の口からはその「カネより大切なもの」が何であるかは聞けなかった。
星野前監督はもし聞かれていたら「カネより大切なもの」として何を挙げていたのであろうか?想像だが「ファンの気持ち」とか「野球人の魂」などを挙げていたかも知れない。確かに言葉として理解は出来る。しかし、ではそれは相手方の彼等には理解されることなのか?
当然のごとく、これを比較することは意味がないことだ。個人によってその感ずるものが違っているからだ。「一円でも多く儲けることが私の使命だ。」と語る村上氏に、いくら「ファンの気持ち」や「野球人の魂」を教えても聞く耳など持たないだろう。
さて、この「おカネよりも大切なもの」という言葉は、本来は重みがなくてはいけない。しかし、今日の社会においてそれはどれほどの重みがあるのだろうか?すなわち大義とか道義とかで表されてきた言葉についてである。
おカネが全てであり、カネがあれば何でも出来て、だからカネがある奴等が勝利者でない者は敗者である。このような社会的な風潮が日本全体に蔓延ってしまっている。戦前の日本には成り金を嘲笑う人は多かったが、貧乏だからといってその人を馬鹿にするような人はいなかったのだ。
しかし、今日の社会においては、それとは全く逆の現象が起きてしまった。この原因を探っていけばテレビメディアの存在に突き当たる。カネ持ちだけをチヤホヤして取り上げて、法律スレスレで稼いでいる怪しい虚業家までをも英雄扱いしてしまった。
カラオケスナックの常連のおばさんが「何故、彼等はあんなにおカネがあるの?」と不思議がって私に聞いた。彼等とはソフトバンクの孫、楽天の三木谷、ライブドアの堀江社長らである。
私は脳裏から離れずに忘れられないシーンがある。ナスダック市場の開設準備のパーティーに友人から誘われて行った時のことである。壇上から孫社長は皆に呼びかけた。「この中で銀行から借り入れしている人手を挙げてください。」
多くの人が手を挙げた。孫社長は「借りたお金は返さなければなりません。それに金利もついて大変ですね。」そして、一呼吸置いて次のように捲くし立てた。「これからお話することは金利のかからない金の話です、いや金利がかからないどころか、返済しなくても良いお金なんです。それが皆さん投資です。証券なんです。」
この孫社長の発言に、一攫千金を狙った全国の起業家は拍手喝采だった。借りるのではなく市場に上場して投資させる。このやり方によって彼等は巨万の富を得た。彼等は金融資本主義の悪性丸出しの蛇蝎(じゃかつ)のような輩に見える。
敗者は努力が足りなく能がないために貧しい者として蔑まれる。そんなに多くを望まずに、ただ額に汗してまじめにつつましく働いてきたのに、気の合う仲間同士で乏しきを分かちあって生きようとしたのに、マスメディアは敗者のレッテルを貼る。
そのようなマスメディアが虚業家達の乗っ取りの餌食として狙われるのだから、当然の報いと言えばそうなのかも知れない。しかし、我々<極右>はこの間違った世を糺さなければならない。
冒頭の星野前監督の言葉に戻ろう。「おカネよりも大切なもの」が社会になければならない。しかし、現実にはそれを否定するような輩が存在することも事実だ。そうなったら、それを知らしめる手段を我々は持たなくてはいけない。
伝統的な日本の共同社会においては、利を貪る者は軽蔑された。我々は再びそのような日本社会に回帰しなくてはならない。そのような社会を国家を復活させなくてはならない。そのためにこそ我々<極右>は勢力を伸ばさなければならないと思う。
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