2005年10月05日

統一ドイツ誕生から15年、何を学ぶべきなのか。その��

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今こそ問われるべきナチズムの意味

 敗戦を境に連合国は軍事裁判を日本やドイツに強行したが、その結果は推して知るべし、今日に至るもその後遺症に両国は依然呪縛され続けている。勿論、日本とドイツでは戦争の性格も内容も異なる以上、同列に論じるわけには行かないが、マスコミや進歩的文化人を自称する滑稽極まりない一群の輩が、悪し様に罵る両国の戦前(つまり日本軍国主義、ドイツにおけるナチズム)ほど、誤解と無知、そして意図的に改竄に歪められた時代もない。

 そもそも民主主義とはギリシャを淵源とする西欧世界の一思潮に過ぎず、それを金科玉条視して、人類普遍の原理などと言い立てることは詭弁であるばかりでなく、民主主義の名の下にアジアやアフリカを侵略し、苛烈な植民地支配を執行してきた英・仏を始めとする白人�犇�盗�畊餡箸糧蛤瓩鯏�閑視させる愚劣な謀略に過ぎない。

 ファシズムやナチズムを異端視して禁忌とすることで、束の間の自由を謳歌してきた“民主主義”。
 「反戦平和」「反核」「反…」を連呼しては愚昧な大衆を啓蒙する“民主主義”。単なる一手段を最高価値として恬然と恥じる事のない“民主主義”…。
我々はかような偽善と欺瞞の体系の中で生きることを強制されているわけだが、もはや痛撃すべき対象は自ずと明らかだろう。

 今世紀、我々人類は二つの「社会主義」を体験した。一つはマルクスを創始とする共産主義への過渡期としての「社会主義」。もう一つはヒトラーが体現した国家と民族による「社会主義」とを。衆知の如く、「ベルリンの壁」崩壊に象徴される東欧諸国家、なかんずく、彼らの盟主たるソビエト連邦の自壊に端を発した「社会主義神話」の解体が現実のものとなった今日、一見すると「社会主義」には、その字句の上に�犢餾櫚瓩筬猝餌沖瓩△襪い廊犢餡鉢瓩魎Г垢海箸琉嫐�を失ったと考えられがちである。しかし、果してそう断言できるものか。もちろん、マルクスやレーニン、更にスターリンに連なる「社会主義」は死んだ。ソビエトを例に持ち出すまでもなく、彼らの「社会主義」が�犢餡鉢甅猝餌沖瓩鯤里蹐砲靴討�た以上、それは当然の帰結である。が、ヒトラーの唱えた「社会主義」はどうか。確かに千年続くと信じられた「第三帝国」は僅か十二年の短命に終った。それゆえ、人々は次のように考えたかった。
「ヒトラーは自決し、NSDAPも消滅した。ナチズムは歴史の闇に葬り去られ、もはや跡形もなく残滓すらとどめていない。ナチズムとはヒトラーが生み出した一時の�犇元き瓩任△蝓�二十世紀に狂い咲いた�狹眠岫瓩鵬瓩�ないのだ」と…。
 ところが、そのような思惑を嘲笑うかのように、ナチズムはしぶとく生き残ってきた。のみならず、二十一世紀を迎えた人類の前に、思想としてのナチズムの可能性が強く問われる事態を招来しつつある。

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Posted by the_radical_right at 16:59│ mixiチェック │欧州極右 
この記事へのコメント
 
人権法案反対サイト
http://no-jinkenhou.net/
 
Posted by non at 2005年10月05日 18:14