2005年09月03日

極右とは何か〜 懐かしの2ちゃんねる大論争 (16)

cd924d3d.jpg
国家社会主義とマルクス社会主義
 
>三郎さんへ
>旧ソ連の社会主義は「国家社会主義」ではなかったのか?
 
これは明らかに間違った認識です。旧ソ連はマルクスの唱えた社会主義から共産主義社会への移行を目指しました。これは国家社会主義の路線とは全く違ったものです。国家社会主義とは全く関係がなく、これは学説的にも論理的にも正しく、彼等が国家社会主義を主張したことは一度もない筈です。
 
彼等は国家の枠を越えた国際主義(インターナショナリズム)を理想としていましたが、彼等は最も強烈な国家至上主義者でした。この点をさして彼等を国家社会主義者と断じておられるならそれは間違いです。
 
国家社会主義者の主張するものは、マルクス社会主義者のような階級本位及び個人本位の国家思想を排し、国家と国民の共同体社会を重要視する思想です。国家なくして我々の生活はない。生活がないくらいだから、自由も幸福もないという考えであり、国家とは運命共同体であり、生死と共に国家の外に国民は存在しないというものです。
 
では、本来は国家の枠を否定していた筈のマルクス社会主義が国家至上主義になって行ったのか。それを国家社会主義と混同して論じることは間違いです。なぜならば、最初の出発点からして違っているし、国民を階級に分けて考える思想そのものが全く違うのです。
 
戦前のわが国の国家社会主義者も資本主義の矛盾を克服する手段として、国家社会主義を資本主義に対峙させました。しかし、この点に関しては否定まではしませんが、この考えは間違いであったと戦後の国家社会主義者は主張します。資本主義の矛盾というよりは産業主義そのものの矛盾と考えるべきではなかったかと思います。
 
更に<極右>の政治思想「国家社会主義」について勉強したい人は続きを見てください。
 
その前に、ブログランキングをクリック願います。

三郎さん達が旧ソ連や東欧諸国を国家社会主義と見られることには異論があり、きっちりと反論させてもらいます。しかし、その点だけを論じていたのでは、一向に前に進みません。マルクス社会主義は崩壊寸前ですし、これを持って国家社会主義も役割を終えたと言われては承服できませんので、私の持論を展開させてください。

私の掲げる国家社会主義とは何か?思想とはその時代その時代の要請によって、役割を変えていくもので、その意味では普遍的なものである必要はないと思います。ただ基本的な部分においてはその限りではありません。

前に国家社会主義の対立概念は資本主義ではないと言いました。そのように規定してしまった戦前は間違っていたと。では、国家社会主義の対立する概念とはいかなるものなのか?私はそれを利己的な個人主義と見ます。

元来人間は動物の中ではそう強い存在ではなかった。にもかかわらず、万物の霊長としてこの地球上に覇を唱える事ができたのは、その社会生活にあったと考えます。人間はその知能の働きによって、他の動物と違って何を得たかといえば、それは<共同体社会>を身につけ、各人がその<共同体社会>の中で、力を合わせ生産し生活して富や文化を創造することを学んだ。

こうした<共同体社会>の中で育まれた力によって、動物界における支配者となった。<共同体社会>はリーダーの卓越した力や神の意志によって共に助け合い、個人の恣意を規制し<共同体社会>を維持してきた。

しかしながら、産業革命以降の社会体制においては、他人を犠牲にしてでも自己の利益を追求するという考えが蔓延してきた。勿論、個人主義を全面的に否定するものではない、素晴らしく人間的な社会を我々にもたらしてくれた。

しかし、産業革命以降の社会には、皆が助け合っていくという<共同体社会>の持つ良さが失われて行った。これが自由放任経済の根底にある。今日話題となっているIT革命の寵児などには特にこの傾向が強い。

資本主義の初期段階においては、このような個人主義の経営者が跋扈して、その犠牲者となったのが労働者であった。この巷に溢れた労働者を見てマルクスは「生産手段の社会化」の思想で対抗して「保障」や「参加」という社会主義思想を広め、やがては暴力よる社会主義革命を唱えるに至った。

我々<極右>=<国家社会主義者>は、この産業革命以降に出現した産業社会を、個人思想主義によって導かれた誤った社会であるとの認識をもって、それに立ち向かう思想として、国家社会主義思想を掲げる。   (続きは別の機会に・・・・)
Posted by the_radical_right at 16:15│ mixiチェック │極右2ちゃんねる論争 
この記事へのコメント
5
私も個人主義的経済には辟易しています。
山路愛山先生も富豪の市場独占は平民級の人々や労働者の為にはならず、よって国家営業論により、富豪と国営企業とを競争せしめ、富豪による専売を禁じられ、更に「家族共同体」(国家は家であり、天皇皇后両陛下は
両親あり、日本国民は家族である、と言う共同体
思想)により、日本国民の画一化を図る思想です。
Posted by 山路愛山 at 2006年07月12日 21:00
蔵信さまへ
経済極右という言葉は余り使ってほしくないなぁ〜。極右というイメージが崩れてしまう。ハゲタカの手先とか拝金思想至上主義者と呼んで欲しい。

好きな政治家に旧民社党系列の政治家がいるのは、ある意味で私とも共通しているかも知れません。民社党を創設した西尾末広先生はヒトラーの崇拝者でした。
Posted by 瀬戸弘幸 at 2005年09月06日 10:07
僕は簡単に言えば竹中平蔵やホリエモンを生理的に受け付けない程度に社会主義者です。僕は彼らを経済極右、また彼らが信奉する経済システムをカジノ資本主義と読んでいます。経済極右とは極端な拝金主義という意味であり、カジノ資本主義とはマネーゲームによる実態のないお金のやり取りを基盤にした経済システムのことです。

好きな政治家は「西村眞悟」「塚本三郎」「梶山静六」などです。
Posted by 蔵信芳樹 at 2005年09月04日 23:54
続きです。
また、あなたの指す社会主義とはどのような社会主義なのか?まさか、社会主義にはマルクス社会主義か国家社会主義の二つしかないと私は思います。
あなたのイメージする社会主義とは社会民主主義的なものを指すのでしょうか。
社会民主主義者にしても保守主義者にしても<極右>とは定義することは難しいでしょう。となれば、<極右>とは民族主義者であり、国家社会主義を掲げる我々以外にはありえないと思います。
現在<極右>を名乗る若者は共産中国や北朝鮮が<極右>という言葉を使って批判するから、それに対して反発して広まっていると考えます。
Posted by 瀬戸弘幸 at 2005年09月04日 15:52
蔵信さまへ、投稿感謝します。

あなたのようにご自分の考えをしっかり持って意見を述べる方がいると、今後のブログにおいても緊張感があってやりがいがあるというものです。<極右>の定義について、我々も活動を展開する上で非常に大切で曖昧にはできなくなると思っています。
様々な考えもあると思いますが、<社会主義を信奉する保守主義者が極右と認識>とありますが、先ず具体的にどのような方を指すのか?・・・・・という以前の問題として、果たしてあなたがイメージされているような人が自らを<極右>と名乗るのか、という問題がありますね。
Posted by 瀬戸弘幸 at 2005年09月04日 15:43
石原莞爾が国家社会主義者でないというのは、う〜ん、そうかもしれませんね。彼の国家主義はアジア主義であって、いわばインターナショナル的な民族主義であったし、経済学の真理としての社会主義というよりかは、戦略として統制経済論を唱えていましたし。
Posted by 蔵信芳樹 at 2005年09月04日 14:11
ヒトラーの魅力はその魔性によるものでしょう。世の悪徳政治家たちとは一線を画す、何か不思議な魅力があります。カネに溺れるでもなく、女性に溺れるでもなく、厳格な菜食主義者であり、酒もタバコもやらなかった。これだけ見るならば、随分人格者ではないかと思えば、過激な民族主義、差別主義でもってユダヤ人を迫害し、戦争を起こしたとくる…。

彼はジャンヌダルクのようだった。あるいはモーゼ、ナポレオンのようであった。つまるところ彼はチャネラーだったのですよ。しかし途中で道を誤ったのです。彼はその能力によって真実を知り、人類の進化を目指したのであり、反国際資本家になったのです。人類の進化を目指したことが過激な民族主義になり、反国際資本家が反ユダヤになったのです。オカルト趣味を抜きにしてヒトラーを考えることは出来ません。
Posted by 蔵信芳樹 at 2005年09月04日 14:08
あるいは極右とは極端で暴力的な右翼とも捉えられていますね。私としては社会主義を信奉する保守主義者が極右であると認識しています。そして民主主義であるものが右派社会民主主義であり、そうでないものがファシズムだと、一応、定義しています。

ヒトラーが民主主義的な手法により権力を手に入れたこと、またケインズ主義政策によりドイツ経済を復興させたことが、彼が国民から支持される根拠であったことは理解しています。ヒトラーを全否定しないというのはそこからくるのだと認識しています。
Posted by 蔵信芳樹 at 2005年09月04日 13:57
蔵信芳樹 さん、あなたは私がナチズムやファシズムを評価していることに、どうしても理解できないのでしょう。確かにこれまでそのような意見は多くの人から頂いてきました。しかし、ファシズムはイタリアでは復権を果しました。MSI(イタリア社会運動)の後を継いだ国民同盟は政権に参画しましたし、ドイツの極右政党も組織的な力を年々増して来ています。

対して日本の右翼はどうでしょう。その力の差は歴然としています。暴力団の支配下にあるか、組織的な力は全くありません。個人の卓越した才能によって石原先生や西村先生は光輝いていますが、あくまでも個人であって組織的な動きは見当たりません。

我々は当分の間政党や団体の結成を目指しません。あくまでも<極右>の考えを持つ個人の連帯を呼びかけて行きます。ムッソリーニでもヒトラーでもない、そのような過去とは関係のない新しい運動を呼びかけるつもりでいます。
Posted by 瀬戸弘幸 at 2005年09月03日 21:10
あなたのおっしゃる「国家社会主義」は排他的民族主義を基盤とした非民主主義という考えは、一般的に云われてきましたが正しくはありません。そのように誤解されてしまったことに対しては残念に思います。

極右という政治勢力は西欧においては、反グローバリズム、反共産主義、民族主義、反ユダヤ、反移民などを掲げています。ハイダー党首にしてもルペン党首にしてもナチスを全面否定してはいません。

共産中国は石原先生や西村先生を<極右政治家>と呼びますが、両先生とも自らを<極右>とは言っていません。現代の日本において<極右>と自ら名乗っているのは我々以外には見当たらないでしょう。

戦前の日本の国家主義者の多くはムッソリーニとヒトラーを高く評価しています。石原莞爾将軍は国家社会主義者とは違うように感じます。
Posted by 瀬戸弘幸 at 2005年09月03日 20:53
一般的に国家社会主義は排他的民族主義を基盤にした非民主主義的な社会主義ということになると思います。いわゆるファシズム・ナチズムというやつです。しかし私が知る戦前の日本の国家社会主義はそうではなかったと思います。北一輝や石原莞爾です。また現代のそれらしき思想の政治家でも、西村眞悟とか石原慎太郎ですが、経済軸、社会軸においては左寄りの所が見受けられますが、その思想はせいぜい欧州における右寄りの社会民主主義者程度であって、ファシズム・ナチズムとは到底言いがたい。私が思うに極右という言葉は大変誤解を招き安い。あなたがいうところの国家社会主義が日本の戦前における国家社会主義や現代の右寄りの社会民主主義でなく、ヒトラーのそれであるというのは、私としてはどうも首を傾げたくなることです。
Posted by 蔵信芳樹 at 2005年09月03日 19:19