産経新聞社前ソウル支局長の出国禁止を解除。
遅すぎた決断、追い詰められて来た朴クネ政権
産経前支局長公判 韓国政府、加藤前支局長の出国禁止措置を解除 8カ月ぶり
韓国政府は14日、朴槿恵(パク・クネ)大統領への名誉毀損(きそん)で在宅起訴された産経新聞の加藤達也前ソウル支局長に対する出国禁止措置を同日付で解除した。ソウル中央地検から弁護士に連絡が入った。出国禁止措置は昨年8月から8カ月間続いていた。 出国禁止措置は、これまで8回延長され、現在の禁止措置の期限を迎える15日を前に、ソウル中央地検は13日、さらなる延長措置を法務省に要請しないことを決めた。
加藤前支局長の出国禁止措置に対しては、国際社会から人道的問題として批判が出ていた。また、産経新聞社は今月7日付の朝刊に、起訴の取り下げと出国禁止の解除を求める小林毅東京編集局長のコメントを掲載。加藤前支局長の公判への出廷を産経新聞社が保証するとしていた。
韓国に拠点を置く外国メディアで構成する「ソウル外信記者クラブ」も9日、朴大統領あての書簡を大統領府に送り、加藤前支局長の出国禁止措置が長期化している状況に憂慮を表明。期限の15日を前に、ソウル中央地検がさらなる延長措置を黄教安(ファン・ギョアン)法相に要請するか否か注目されていた。
写真は日本に帰国した加藤前ソウル支局長
次回公判は20日に行われる予定。
産経新聞 4月14日(火)10時31分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150414-00000516-san-kr
余りにも遅すぎた決断だった。朴クネ政権も金銭スキャンダルが発覚、告発した人物が自殺するなど、それどころの騒ぎではなくなりそうな気配となっている。
検察庁も特別捜査チームを設立したとの報道もあって、朴クネ大統領としては日韓首脳会談でも実現させて、話題を変えようと企んだのかも知れない。
その時に最大の障害となるのが、この産経新聞社の前ソウル支局長である加藤達也さんの出国禁止措置である。これを放置したままで日韓会談などできる筈もないので、その旨を日本政府から強く言われたのかも知れない。
朴大統領としてはこの金銭スキャンダルから国民の目を逸らす必要があり、賭けに出て来る可能性も高い。韓国国内においても駐韓米国大使襲撃事件以来、国内における左翼・共産勢力に対する警戒感が高まっている。
朴大統領の推し進める共産中国との連携による反日同盟路線を心配する国内保守派が復活しつつある。米国や日本が韓国を見捨てることを、本当は一番恐れており、ようやくこれまでの路線に誤りがあったことを認め、軌道修正を図る可能性も出てきた。
安倍政権に擦り寄る為の下準備とも考えられますが、これだけ長期に渡って出国を禁止して、事実上の軟禁状態に置いて来たわけですから、これまでの異常事態を真摯な気持ちで反省して頂かなくては困る。
安倍総理が米国を訪問し、この話題が取り上げられて、共同記者会見でも韓国批判が飛び出す雰囲気もあったので、朴政権としては慌てふためいて解除したという事ではないのか?
今回の結果は韓国朴政権の敗北を意味する。この産経新聞社の前ソウル支局長を長期間に渡って軟禁したのは、日本政府や日本の社会に対しての圧力だった。日本では韓国批判が更に硬化している。
全ては韓国側に責任があるのだが、韓国はそのようには考えない。日本人は反省が足りない、本気で謝罪をしようとしない・・・・などと言いがかりをつけている。その流れの中で韓国に批判的な言動のマスコミとして産経新聞社が狙われた。
日本国内においても、韓国を批判することを「ヘイトスピーチ」だなどと言論弾圧を加え、しばき隊などと称したチンピラ・ヤクザまがいの男達を筆頭に恫喝を繰り返してきた。さすがに度が過ぎたと考えたのか、最近チンピラ集団は解散したが嫌がらせは今も続いている。
次の話題は裁判の行方に移行します。果たしてマトモな判断が下せるのか?裁判所に政権側が圧力を加え、有罪の実刑判決などが出た日にはそれこそ反韓感情が日本でも最高潮に達するのではないか?
実刑判決で直ちに拘束収監などの馬鹿げた措置など考えられないが、何せ相手は常識の通じない国なので、心配するのは当然でしょう。
☆完売御礼
「りんごジャム」大瓶(150g)と「ドライフルーツ」は完売となりました。
皆様のお買い上げに感謝申し上げます!
なお、りんごジュース、りんごジャム小瓶(120g)につきましては引き続き、ご注文を承っています。生のりんごも販売は終わりました。




※そのことをキチンと韓国の警察は発表していたのに、日本のマスコミは無視したということでしょうか?
『猪飼野(いかいの)詩集』などで知られる在日の詩人・金時鐘(キムシジョン)さん(86)=写真=が、回想録『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)を刊行し、韓国・済州島(チェジュド)で1948年に起きた「四・三事件」との関わりをつづった。
韓国の民主化が進んだ90年代以降、事件の検証が進むにつれ、講演や対談の場で体験を語り始めた。2010年の詩集『失(な)くした季節』では当事者としての心情を率直に表現した。