2012年03月06日

中日新聞社は支那の歴史捏造に加担


 中日新聞社は支那の歴史捏造に加担

 日本民族の正史を綴る戦いを真っ向否定する恐るべき新聞社

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「河村たかし市長、なぜ素直に『南京事件なかった』発言を撤回しない」…中国好きな中日新聞

 名古屋市長は「南京事件はなかった」発言を撤回せず、訪問団にも非礼ではなかったとの考えを、きのう述べた。河村市長は会見で「いわゆる南京事件はなかったのではないか」という発言が「南京大虐殺はなかったという持論を展開」と報道され、「南京では何もなかった」と誤解されたと釈明した。

 市長は「象徴的に三十万人とされるような組織的大虐殺はなかったとの趣旨」と説明。「友好団に面と向かって三十万人の大虐殺と申し上げるのは言葉がいかにも残虐なので、あえていわゆる南京事件と申し上げた」と釈明した。

 当初の発言は、市長が南京大虐殺はなかったと公にしたと受け止められる言葉である。報道により南京市民の誤解を招いたというのは、とんでもない責任転嫁だ。南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない。

 市長は共同研究を「学者の個人的見解」と批判するが、国や政治レベルで埋まらぬ歴史認識の溝を、客観的に埋めようとの知恵であった。中国主張の「三十万人」を市長が真っ向から否定しては、南京市側は議論のテーブルにはつけぬだろう。

 敏感な問題でも、政治家が主義主張を掲げるのは結構だ。だが、首長は政治家であるとともに自治体のリーダーでもある。歴史的な米中、日中国交正常化の扉を開いたピンポン外交の舞台である名古屋のトップの公式発言としては不適切だった。日中四十周年の記念すべき年に、友好都市が公の交流を停止し、記念行事や経済活動にも影を落とす。苦しい釈明ではなく、素直に撤回できないものか。

 昨年春、南京市の公園で日中の百人以上が友好の桜を植えた。「公の交流停止」と言う南京市のシグナルを、敏感に受け止めてほしい。民の交流の根は深く、広い。民の交流を支えてこその市長であろう。(抜粋)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012022802000015.html 

 河村たかし名古屋市長が所謂「南京大虐殺事件」について、歴史の真実を求め互いに討論しようと呼びかけているのに、中日新聞社はその発言を撤回しろとキャンペーンを張っている。これは日本人が中国共産党が言うように30万人を虐殺したことを認めろと主張しているのと同じである。

 であるならば、中日新聞社は堂々とそのことを先ずは社説に掲載してみては如何か?

「日本軍は南京市入場に当たり婦女子を含む30万人もの市民を大虐殺した」

 先ずはそのように書いてから、河村名古屋市長を批判すべきでしょう。

>中国主張の「三十万人」を市長が真っ向から 否定しては、南京市側は議論のテーブルにはつけぬだろう。

 何をこんな姑息な子どもじみた事を書いているのか? 30万人も虐殺したなどと、日本人の99,99999%が思っていない。だからこそ河村氏は国民の一人として堂々と発言した。30万人という数字は中国共産党が公式に主張している数字であり、教科書にも記載されている。

 その数字の根拠が曖昧と言うよりは捏造された数字だからこそ問題にしているのであって、それを撤回せよと迫るのは、まさに中日新聞が支那・中国共産党の下僕であることを如実に示すものです。

 中日新聞社がいくら南京大虐殺を認めようが歴史の真実は変えられない。

《「南京大虐殺」があったとする1937年12月と1938年1月、メディアはなにを報道していたか》

 世田谷よりも狭いところに、朝日新聞1社だけでも約80名の取材班が出入りしていたとなると、電信柱1〜2本倒れても気が付く取材精度を維持していたと推察される。

 それは1937年12月17日付朝日新聞での南京戦従軍記者9名による紙上座談会で、守山記者が「皮肉な話を一つ(略)十三日(略)敵砲陣地を占領したが(略)大砲四門が何処製かと思うか?『昭和二年大阪工廠というマークがついているではないか』(略)

 軍官学校の校庭に立つ(略)孫文の銅像の裏の銘を読むと民国十八年日本梅屋庄吉製造とある(以下略)」まさに中国側が言う「大虐殺」が行われていた12月15日頃、のんびり大砲や銅像を鑑賞できる時間があったのである。

 その朝日の記者の一人、山本治上海支局員は「事件というようなものはなかったと思います。朝日でも話題になっていません」と「『南京事件』日本人48人の証言」(阿羅健一著)の中ではっきり答えている。
 また、陥落後、朝日は5回の南京写真特集を掲載している。
 そのタイトルは、
�‐赦遜銃麈�十二月二十日「平和甦る南京《皇軍を迎えて歓喜沸く》」(河村特派員撮影)
�⊂赦遜銃麈�十二月二十二日「きのふの敵に温情《南京城内の親善風景》」(河村特派員撮影)
��昭和十二年十二月二十五日「南京は微笑む《城内點描》」(林特派員撮影)
�ぞ赦遜銃麈�十二月三十日「手を握り合って越年《日に深む南京の日支親善》」
 (林特派員撮影)
�ゾ赦遜住闇�二月十三日「五色旗の下に《南京復興の足どり》」(林特派員撮影)
などと、単発記事を交えて報道している。毎日新聞も朝日と同じような報道である。
 戦後、戦時中は、検閲で報道の自由がなかったなどといわれているが、南京攻略戦で
朝日新聞の取材班全体の指揮をとった上海支局次長 橋本登美三郎氏は当時の報道規制について
「何も不自由には感じてない。思った事、見た事はしゃべれたし、書いていたよ」(前掲書)と
証言している。

(『南京の実相 − 国際連盟は「南京2万人虐殺」すら認めなかった』日新報道)


以上
 
>南京で虐殺がなかったという研究者はほとんどいない。

 なかった事を、まるであったかのように思わせる新聞社の詐術にも似た手法ではないか。なかったものを研究する必要性がなかっただけであり、支那・中国共産党が一方的に数字を次々に書き換えていった。そのことを中日新聞社はどのように説明するのか?

 中日新聞は中国共産党の公式な30万人大虐殺を認めろと言っている以上、これは日本の新聞社と言うよりは、もう中国共産党の忠実な広報宣伝紙と断定しても間違いではない。ピーアール新聞というわけです。

 なぜ、中日新聞社は支那・中国共産党が唱える日本軍30万人大虐殺を撤回しないのか?

 大新聞社のこのような主張は公的な性格を帯びたものである以上、日本国民に大して大きな誤解を与えることになる。何故、中日新聞社は率直に詫びてこの社説を撤回しないのか。いつまでも支那・中国共産党に加担していると、必ずや日本国民の怒りが中日新聞社に向かうことになるでしょう。

 南京大虐殺などは中国共産党の日本への言いがかりに過ぎない。そんなものに屈することは出来いないし、そもそも言いがかりに対して反論することが何故問題視されるのか? 言いがかりに対しては毅然たる態度で撥ね付けるしかないのです。

★緊急お知らせ

「河村発言」支持・「南京虐殺」の虚構を撃つ緊急国民集会


■日時 平成24年3月6日(火)19時開会(18時半開場)
■場所 東京・文京シビック小ホール  〒112-0003 東京都文京区春日1−16−21(電話03-5803-1100)
■入場料 1000円(会場費、資料代等)
■この問題に長く取組まれている識者・活動家・政治家に登壇いただき、リレー トーク形式で進行します。(登壇者は近日決定し、HPでお知らせします)
■主催 新しい歴史教科書をつくる会(後援について調整中)
■問い合わせ つくる会本部事務局 (電話)03−6912−0047
        東京都文京区水道2−6−3−203


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2012年03月05日

ロート製薬の反日CMキャンペーン


  ロート製薬の反日CMキャンペーン

 反日女優を自社製品のイメージガールに起用

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 韓流ごり押しのフジテレビ批判の時に、電波芸人達は揃って「嫌なら見なければ良い」などの発言を繰り返していた。今回ロート製薬は次のように日本国民に語りかけている。

「嫌ならロートの製品など買って頂かなくて結構です」

 まぁー、そういうことなのでしょうね。花王よりも悪質だと前回書きました。花王はフジテレビが製作した反日女優であるキムテヒが主役となった番組の単独スポンサーになって批判を浴びたが、こちらはその反日女優を自社製品のイメージガールに起用した。

 日本から奪った竹島を韓国の領土と言い張り、国際的なアピールを行なう韓国の特使として発言してきた人物である。このような人物を自社製品のイメージガールに起用したということは、それだけで重大な責任を負わなければならない企業ということになります。

 ネットではこの韓国人反日女優は「独島守護天使」と呼ばれています。ロート製薬がそれを知らなかった筈はありません。日本固有の領土を奪い取っておきながら、その領土を死守せよと国民に檄を飛ばすような女を自社製品の広告塔に起用するなど、正にロート製薬は日本国民に対する裏切り行為を平然と行なって来ました。

 日本国民に対する挑戦であり、朝鮮勢力に加担する許すことの出来ない反日国賊企業として、今後厳しくこれを糾弾していかなくてはなりません。このような企業を放っておけば、益々韓国人はつけ上がり、日本人が竹島を諦めたと宣伝することになります。

 
 
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 なぜ、よりによってこんな反日女優を起用したのでしょう? 自社製品を売るためなら日本の領土など、どうなっても構わない。それがロート製薬の考えなのでしょう。この企業に対しては腹が立つなどの表現ではもう物足りないほどに腸が煮えくり返る思いです。

 花王不買運動も続いている中でのロート製薬まで含めた戦線の拡大は、確かに容易ではありませんが、ここは引くわけにはいかないでしょう。ロート製薬の商品不買運動の提唱を皆さんと一緒に進めていきたいと思います。
 
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仏敵と和解した創価学会(2)


  仏敵と和解した創価学会(2)

  創価ジャーナリスト・柳原滋雄 の沈黙

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 あれほど罵倒し続けた矢野絢也元公明党委員長と創価学会は和解をしたが、それは信者にとってどのように受け止められているのか? その事を知りたいと思ってこの創価学会の柳原滋雄のブログ記事をたまに読んではいるが、あれからは一切触れられていない。

 「堕ちた元委員長」と題されたエントリーは2月14日を最後に終わったが、その回数たるや何と驚くなかれ連載142回目であった。この最後にアップされた日付の4日前に矢野絢也氏と創価学会は和解をしていたことになる。

 つまり、柳原滋雄はそれを創価学会から知らされてはいなかった訳で、単なる創価学会の使いっパシリでしかないことを世間に知られてしまった。また、それ以後沈黙しているということは創価学会信者はやはり盲目的に上の判断は絶対で、それに疑問を抱くことも出来ないという事実を物語るものとして注目される。

 柳原はどのような記事をこの創価学会が和解する前に書いていたのだろう。

堕ちた元委員長  141  奇形的人物

 矢野絢也はグロテスクな元政治家である。もっとも清浄な世界から、政界刷新を目的に政治の世界に出ていきながら、すぐにドロドロとした欲望の世界にはまり込み、初心を忘れる行動を繰り返してきた。

 矢野は、歴代の公明党委員長のなかで唯一、「自身の不祥事」が原因で任期途中で委員長職を辞任させられた。明電工疑惑がそのきっかけだったが、同人はいまもって疑惑を認めようともしない。「私は潔白だ」といまも根拠を示さず、自著で開き直っている。いわば人間の本質において、≪まやかし≫をもった人物といえよう。

 矢野は公明党書記長あるいは委員長として22年余りをすごした。だが、政治家として振り返ると、後世に誇れるような明確な実績はほとんど残していない。

 改めてこの記事を読んで思ったことは、矢野氏が22年間に渡って書記長、委員長という公明党の最高幹部にいたという事実です。つまり、矢野氏がこの間に知り得た創価学会の実態や創価学会と暴力団との関わり、或いは池田大作の脱税疑惑ともみ消し。

 創価学会の恥部を全て知っている立場の人間であった訳です。その前の竹入義勝元委員長や故山崎正友元創価学会顧問弁護士の場合もそうですが、一番創価学会の中枢にいて深く事情を知る人ほど、創価学会は罵詈雑言を浴びせ続け、仏敵と称して聖教新聞などで攻撃してきた。

 その理由についてだが、やはり様々な事を知られているので、それを喋られるのが怖くてあることないことを書きつ続けて来たのでしょう。竹入氏の場合も今回の矢野氏と同じように創価学会から訴えられたりしていたが、やはり突然和解して終わった。

 グロテスクな政治家や奇形的な人物などと、如何にもおどろおどろした表現を用いて攻撃しているが、そのような人物が22年間に渡って党の中枢にいた、その公明党という政党そのものの問題に関しては全く言及しないのだから恐れ入ってしまう。

 矢野氏は創価学会にとっては常に危険な存在であった。昨年12月6日に柳原は次のように書いていた。

かつて矢野絢也を利用していた「一川保夫」防衛相

 現在、防衛大臣として問題となっている一川保夫参院議員が2008年、民主党がまだ政権をとる前年のころ、同党が“党利党略”で矢野絢也を国会に呼び、話を聞いた際の呼びかけ人の一人であったことはあまり知られていない。当時の呼びかけ人の代表は菅直人前首相であり、石井一参院議員などとともに、一川氏の名前があった。矢野はこのとき、自ら教団相手に起こした民事訴訟の経緯を説明し、国会に呼んでもらえればいつでも証言しますといった発言をしていた。この会合で一川議員は、「これから国会審議の中で、矢野先生にお話ししてもらいたい場合、出てきてもらえるのか」などと質問していた。

 この文章には民主党の一川氏が何の為に矢野氏に話を聞いたかは書かれてはいない。これは創価学会と公明党の関係であり、公明党が憲法で禁じられた政教分離の原則に反する政党であるかを問い質した訳です。

 菅直人やそのグループが公明党と創価学会の問題に関して、なぜ政権獲得後に取り組まなかったのか、全く不思議なことである。これでは柳原の言うように“党利党略”であったと断言されても仕方がなかろう。

 矢野氏を罵倒し続けてきた背景とは、創価学会にとっては一番真実を知る人物であったという事実がある。そして今回、和解したということはその真実にフタをしたということなのでしょう。創価学会と公明党を批判追及してきた我々としては非常に残念ではあるが、御年80歳を迎えた矢野氏の心境を考えればやむを得なかったのかとも思います。

 矢野氏がこれまで殆ど孤立無援の中で戦ってきた経緯をみれば、そのような思いに至りますが、やはりもっと語って頂きたかったという思いは残ります。しかし、これは矢野氏を批判してみても致し方ないということなのかも知れません。

 柳原は矢野絢也氏を常に「裏切り者」「反逆者」として、絶対に許されない人物だと攻撃し続けて来たわけですが、今回の事態について、一言なりとも感想を聞きたいものだ。どのような思いで今回の和解を見たのか?

 柳原の142回にも及ぶその連載の努力は、一瞬にして意味のないものになってしまった。今回の和解条項は非公開となっている。おそらく柳原自身もそれを見ることが出来ないのだろう。本人も悔しい思いをしているのではないか。

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2012年03月04日

ユダヤ人大虐殺も歴史の虚構


 ユダヤ人大虐殺も歴史の虚構

 時代の変化を見せ付けた米国政治家の発言

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「数百万人ものユダヤ人らが大量殺戮されたホロコーストはユダヤ人らの空想」 共和党の政治家ジョーンズ氏

 米共和党下院議員、「ホロコースト発生の事実なし」

 アメリカのウォルター・ジョーンズ共和党下院議員が、「第2次世界大戦で、ナチス・ドイツにより数百万人のユダヤ人や、その他の人物らが殺されたと主張する、いわゆるホロコーストが発生した事実は存在しない」と語りました。

 プレスTVの報道によりますと、ジョーンズ議員は29日水曜、アメリカの新聞ハフィングトン・ポストとのインタビューにおいて、「ホロコーストは発生しておらず、このような出来事は20世紀最大の真っ赤な嘘と見なされる」と述べています。

 また、「第2次世界大戦末期に、ナチス・ドイツにより数百万人ものユダヤ人らが大量殺戮されたというのは、でっちあげの虚言であり、ユダヤ人らの空想に過ぎない」としました。さらに、「このようなことは、歴史に残る虚言であり、ユダヤ人らはこの虚偽の物語を創作するために数百万ドルを費やして、この事柄に関する書籍を執筆し、映画を制作した」と語っています。

 ベトナム戦争の退役軍人であるジョーンズ議員はまた、アメリカの現状と第1次世界大戦後のドイツとを比較し、「アメリカは、経済、政治、文化、そして軍事面で支離滅裂の状態にある」と述べました。 そして、「サントラム元上院議員やギングリッチ議員のような好戦主義者、そしてロムニー議員のようなイランへの敵対姿勢を示す者の発言は、滑稽で笑止の沙汰である」としています。

イランラジオ
http://japanese.irib.ir/index.php?option=com_content&view=article&id=26038:2012-03-01-11-48-15&catid=17:2010-09-21-04-36-53&Itemid=116


 このような問題を取り上げるブロガーは少ないと思いますので、敢えてこの時期だからこそ紹介します。この時期と申し上げたのはやはり同じ歴史の虚構である“南京大虐殺”が現在話題になっているからです。

 実はこのユダヤ人大虐殺と南京大虐殺の歴史的虚構については、共通する背景がありながら、それを同時に主張することはタブーとなって来ました。それを同時に主張すると保守派からも猛烈な批判を浴びたものです。

 まだブログが登場しないインターネットの初期の頃です。漫画家・小林よしのり氏を支持する「よしりん」と呼ばれた掲示板がありました(※名称は違っていたかも知れません)。そこに私が書き込むと常に集中砲火を浴びました。

「南京虐殺はなかったが、ユダヤ人大虐殺はあった。お前のようなナチ信奉者が書き込むと南京大虐殺もあったようになるから書き込むな」

 まぁーこのような批判であったと思います。正直言って悲しかった。左翼が書くならまだしも保守系の人達が書き込んでいるのですから、残念でならなかった。その後、時代は変わりこのようなユダヤ人大虐殺に関してもこれが歴史の捏造であるとの主張はかなり広まってきました。

1 ドイツ軍がモスクワで敗北し、撤退する中であのような600万人も殺害して焼却する重油の調達は不可能であったし、一日当たりどれだけの人数を殺害して処理すればそれが可能なのか?

2 ドイツ敗戦後、占領軍は血眼になって大虐殺を指令した文書を探したが見つからなかった。一枚も残らずに焼却されたとの説には無理がある。

3 ユダヤ人大虐殺が行なわれたという施設に対して、これを否定する歴史修正主義者が何度も国際機関による科学的検証を求めてきたのに、一度も実施されたことがない。毒ガスで大量に殺害したとするなら、その薬物の痕跡がまだ施設の中に残っているはずだ。

4 収容所でユダヤ人の死体から製造したといわれた石鹸などが捏造品であることがその後判明した。

5 ドイツ軍将校の事実を認める証言が唯一の証拠だが、それも連合国軍の捕虜とされた人の証言であり、信憑性に欠ける。

 まだまだ、ありますが、これだけで十分に怪しいことが分かります。また廃刊に追い込まれた雑誌『マルコポーロ』にもこのように書かれてありました。

マルコポーロ事件 - Wikipedia

 その内容は、ナチス・ドイツがユダヤ人を差別・迫害したことは明白な史実としながらも、


1 そのナチス・ドイツがユダヤ人を「絶滅」しようとした、とする従来の主張には根拠がない

2 その手段として使用されたとするガス室は、それらの位置や構造からみて、ソ連もしくはポーランドが戦後捏造した物としか考えられない

3 戦後、連合国軍が押収したドイツ政府文書から判断して、ナチス・ドイツが「ユダヤ人問題の最終的解決」と呼んで企図した計画は、ソ連を打倒した後、ヨーロッパのユダヤ人をロシアに強制移住させるものだった

4 収容所でユダヤ人が大量死した真の理由は、ガス室による処刑ではなく、発疹チフスなどによる病死であるなどというものであった。

(上記ウィキペディアからの引用)


以上

 2ちゃんねるにあった長い投稿文ですが紹介しましょう。

  第二次世界大戦期。

 第一次世界大戦の敗北でハイパーインフレと貧困にあえぐドイツ人を高利貸しやインフレを利用した資産収奪などで苦しめていた富裕層の在独ユダヤ人は、ドイツ国内に居ながら「反ドイツ」を誇示し続けるという、とんでもない存在であった。

 この危険分子である在独ユダヤ人を問題視するヒトラー政権が1933年1月30日に発足すると、 ユダヤ人連合は過激に反発、遂には1933年3月24日付けの「デイリー・エキスプレス」に、『ユダヤ人がドイツに宣戦布告』と題された記事が掲載されるまでに至る。

 この宣戦布告によって、ドイツ人は、ユダヤ人とは共存出来ないと言う事を確信。 ヒトラー政権は、間髪いれず反政府運動を取り締まる法律を制定した。この時、全てのドイツ人が、心の底から「害にしかならない在独ユダヤ人はドイツから出て行け」と思っていた。

 遂にドイツは、国内に於いて特権階級に座し、国民を苦しめ続けるユダヤ人に対する「最終的な解決方法」を決定する。「財産没収及び強制国外退去処分」である。後に「ホロコースト」というプロパガンダとして語られるこの「ユダヤ人狩り」は、ユダヤ人を『人道的』に国外追放するべく、彼等を収容所へ収容した。

 事実、ドイツ人は、ユダヤ人を丁重に扱った。「チクロンBという、チフス病を媒介するシラミ退治のガス薬を使って健康管理を行い」「収容所で結婚式を挙げさせ、多くを出産させ」
「自分たちの食事が無くともユダヤ人に食事をさせ」た。そもそも、ユダヤ人を絶滅させたいのであれば、街中で捉えた時点で射殺をすれば良いだろう。

 此処から分かる様に、「ホロコースト」とは、戦後ユダヤ人が作った捏造宣伝であり、史上最も成功したプロパガンダと言える。収容所で発生した死者の多くはチフスによる病死、及び連合国の爆撃によって補給路が寸断された事を原因とした餓死であった。

 「ホロコースト」は、ドイツ語ではない。ユダヤ教の儀式名で「生贄の儀」を意味する。「イスラエルを建国する為の生贄」という訳だ。「ホロコースト」は日本の「南京大虐殺」と同じでっちあげであり、「外国人参政権獲得」という明白な侵略宣言を行う朝鮮人の立場は、ドイツにおけるユダヤ人の立場と重なる。

 以上

 
ここから妄想タイムに入らせてもらう。

>貧困にあえぐドイツ人を高利貸しやインフレを利用した資産収奪などで苦しめていた富裕層の在独ユダヤ人は、ドイツ国内に居ながら「反ドイツ」を誇示し続けるという、とんでもない存在であった。

 長引く不況の中で国民の生活は破綻寸前へと追いやられた。しかし、在日朝鮮人が経営するパチンコ業界だけは年間に20兆円もの金を日本人から巻き上げて、その金を政官界にばら撒き、マスコミを支配して日本に君臨し始めた。日本にいてこのような商売をしながらも「反日」の姿勢を誇示していた。


>「財産没収及び強制国外退去処分」である。後に「ホロコースト」というプロパガンダとして語られるこの「ユダヤ人狩り」は、ユダヤ人を『人道的』に国外追放するべく、彼等を収容所へ収容した。

 国民の期待を背負って誕生した極右政権は在日朝鮮人のパチンコの禁止と、祖国・朝鮮半島への帰還を決定した。直ちに帰還作業を進め拒否する者は不法滞在者として外国人収容施設に収容した。

>「ホロコースト」は日本の「南京大虐殺」と同じでっちあげであり、「外国人参政権獲得」という明白な侵略宣言を行う朝鮮人の立場は、ドイツにおけるユダヤ人の立場と重なる。

 反日活動を扇動した民団や総連の幹部は逮捕され、その自供に基づいてそれに協力してきた民主党や共産主義者団体、宗教団体は解散を命じられた。長年苦しめられてきた日本人がようやく解放された瞬間でもあった。

終了

 関連エントリー

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2012年03月03日

私事(わたくしごと)になりますが。


  私事(わたくしごと)になりますが。

 近況報告と抱負

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せと弘幸先生

お誕生日おめでとう御座います

そして還暦おめでとうございます

Posted by 祝!生誕 at 2012年03月03日 00:21
 有り難うございます。深夜日付が変わって書き込んでくれた方がおられました。性格的には照れ屋なので、自分からはブログに書かないつもりでしたが、コメント欄に<祝!生誕>と書いて頂いたので、私事(わたくしごと)ながら、書かせていただく事にします。

 還暦と言っても余り実感はありません。随分と歳を重ねてきたなーとは思いますが、取り立てて今までと違った人生になる訳でもなく、これまで通りの人生を送ることになると思います。

 還暦に関するお祝いも福島における弟子達が企画してくれましたが、やはりやめてもらうことにしました。いずこもこのご時勢大変ですが、とりわけ福島は今祝い事をやっている暇はありません。

 女房が私の為に赤飯を夜炊いて祝ってくれると言ってますのでそれが一番嬉しい。女房はこのブログを書いている時間にはもう出勤します。7時前には家を出て毎日帰ってくるのが9時近くです。毎日残業のある忙しい会社のようですが、働けるだけで満足だと言って不満を漏らすことはありません。

 土曜日も残業のある会社ですが、今日だけは残業なしで早く帰ると言って家を出ました。私の朝の食事は勿論のこと、私の実家の母の昼の食事も一緒に作ってくれます。母はもう透析10年目に入りました。

 足腰が弱り殆ど歩けない状態ですが、何とか家の中のトイレにだけは一人で行けるので、その点だけはまだ楽です。昼は女房の作ってくれたおかずで食事を取りますが、夕飯の用意は私がします。

 母に小さい頃に作ってもらったおかずを、母に聞きながら作っています。これが楽しい。今の季節なら豆腐のおから炒めです。豆腐のからに人参・ごぼう・ネギ・白菜などの野菜とひき肉をいれてフライパンで炒めます。

 現在はリンゴの剪定(せんてい)の季節です。もう七割方は終わったのですが、昨日も午後からドカ雪が降って仕事になりませんでした。この様なときには母と一緒にテレビを見て過ごします。母は何故か私が一緒に見ないと直ぐにスイッチを切ってしまう。ボケ防止の為になるべくテレビを見せるようにしています。

 少しづつ認知症が進んでいると医者は言っていますが、まだまだしっかりしていると思います。昨日も「明日には60歳になる」と言ったら「分かってるよ」という返答がありました。透析を10年と言葉上では軽く言えますが、本人の苦労は並大抵ではないはずです。一日おきの4時間ベットの上でじっとしている生活を余儀なくされて来た訳です。

 母の場合は働き過ぎてこのような病気になってしまいました。昔の農家に嫁いできた嫁は大変だったそうです。当時、父の母と父の弟の二人が結核を患い寝ていたそうです。それを看病しながらの農作業であったと聞きました。

 私を背中にしょいながら農作業をやっていた当時のことを良く話してくれます。昔はリンゴの消毒は今のような機械作業でなく、手押しのポンプを使っての作業だったようです。丁度自転車の空気入れのような器具を使っていたそうですが、赤ん坊を背負いながらの手押しは相当にきつかったのではないか?

 そのような苦労をして私を育ててくれた母に今日はお礼を言わねばと思っています。そして一昨年亡くなった父の仏前にも、無事60歳を迎えることを出来たことも報告したいと思います。

 さて、今後の抱負ですが、先ずはまだ引退はしません。前に60歳になったらもう田舎に帰って引退するなどと語っていた時期もありましたが、まだまだ引退は先になりそうです。以前に比べれば反日勢力と戦う愛国者の陣営は強化されました。

 2ちゃんねるのOFF会なども活発で、映像を通して活動報告や告知をすることも格段と増えたと思っています。活動の第一線には立たないまでも後方支援部隊として、これまで通りの活動を進めていきたいと思っています。

 もう、後何年頑張れるか分かりません。何せ高血圧・通風の持病を抱え、脳梗塞も二回経験しました。半月板断裂で今でも満足に座れない。満身創痍の状態ではありますが、まだ5年は頑張るつもりなので、皆様のご支援を今後ともよろしくお願い申し上げます。

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