政治家の頭から消えた“政治倫理”
民主党の政治家は道徳観念がゼロ。
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三宅雪子衆院議員「無罪を勝ち取って」 有田芳生参院議員「特捜部が不起訴にした事案が覆るとは思えない」 小沢元代表初公判
民主党の小沢一郎元代表の公判が始まったことに、党内最大の小沢グループの議員は 「無罪を信じている」と強調した。一方、他グループの議員は「特に感想はない」などと言葉少なだった。
2009年の衆院選で初当選した“小沢ガールズ”の一人、三宅雪子衆院議員は、強制起訴を決めた検察審査会の在り方に疑問を呈し「早く無罪を勝ち取って政治の表舞台に復帰してほしい」と話した。
ジャーナリスト出身の有田芳生参院議員は「プロの東京地検特捜部が2回不起訴にした事案が簡単に覆るとは思えない」と指摘。元代表の元秘書3人を有罪とした東京地裁判決を「推認に推認を重ねたもの」とした上で「客観的な証拠に基づき、風潮に流されない裁判を望む」と注文を付けた。
元代表の「政治とカネ」の問題は党内対立の一因となってきたためか、他グループでは「特に関心もないし感想もない」「この件ではコメントしない」と言及を避ける議員も少なくなかった。
ソース
nikkansports.com http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20111006-845744.html
小沢一郎の刑事事件の裁判が始まったが、その刑事事件の裁判の結果を待つのではなく、国会はこのような悪党政治家が裁判の場に引きずり出されたという、その事実をもっと深刻に考えなければならない。
民主党政権が誕生してから消えてしまった言葉があります。それは<政治倫理>という言葉です。これまで自民党が与党の時代は、野党勢力が何度も口にした言葉です。しかし現在、政界どころかマスメディアにおいても、この政治倫理という文字を見ることが少なくなった。と言うより全く見なくなりました。
この<政治倫理>という言葉を死語にすることは許されません。
政治倫理とは政治家が持っていなくてはならない規範であり、政治に携わる者は金銭スキャンダルなどに関わってはいけないという道徳的観念を指しますが、これが現在全く軽視されてしまっています。
【政治倫理綱領】
国会議員の政治倫理のあり方の基本理念を示した綱領。昭和60年(1985)の国会法改正に伴い衆議院・参議院でそれぞれ議決された。「政治倫理の確立は、議会政治の根幹である」とする前文と、「われわれは、政治倫理に反する事実があるとの疑惑をもたれた場合にはみずから真摯な態度をもつて疑惑を解明し、その責任を明らかにするよう努めなければならない」(第4項)などの5項目からなる。この綱領をもとに、国会議員が遵守すべき具体的な準則として「行為規範」が制定されている。
疑惑を持たれた人物は自ら進んで疑惑の解明について、事実を明らかにすべく務めなければいけない。ところが本人の小沢一郎は全くそのような素振りを見せないし、最近では居直ってしまった。あれほど国会で説明責任を果たすなどと言っておきながら平然と嘘をついたのです。
問題なのはこの点について他の政治家の発言が余りにも少ないという事です。小沢は堂々と国会の証人喚問に応じて疑惑について語るべきだと言う人物がいない。
かつて参院のドンと言われた村上正邦氏の言葉がネットで紹介されていました。
参院のドン”村上氏「私なら4億円出所答える」 小沢氏に苦言
参院のドン”といわれながらKSD事件で受託収賄罪に問われ、議員辞職した元自民党参院議員会長の村上正邦氏(79)が7日、産経新聞の取材に応じた。村上氏は法廷や会見での小沢氏の態度について「私なら国民が疑問に思っている4億円の出所について単刀直入に答える」と批判した。
「政治家としての信頼が問われている。国や世界といった大きなことを言う前に国民の疑問に答えなければ、言葉が国民の心に届かない。歯切れはよかったが中身は空疎だ」。村上氏は小沢氏の意見陳述や会見についてそう感じたという。
特に違和感を覚えたのは、小沢氏が記者に逆質問したり、4億円について「検察に聞いて」と開き直った点だ。「なぜ虚勢を張らなければいけないのか。やましいところがなければ説明できるはずだ」
元議員の先生でなくとも、普通の人の感覚なら誰でもこのように思います。
今回紹介する三宅雪子さんはフジテレビ局の報道局勤務であったし、有田芳生さんはジャーナリスト出身者ですが、この方々の目はもう世間とはかなりズレてしまっていますね。社会正義を旗印に活動していた、政治家になる前のその心意気はどこにいってしまわれたのでしょう?

今回の秘書の裁判の結果を批判していますが、検察の取り調べの段階における供述調書に頼らずに、裁判官の目の前で証言した証人の言葉を重要視した判決です。ヤミ献金をした会社社長や関係者が仔細に証言したものを、裁判官がそれを信じた結果であり、それを「推認に推認を重ねた」などとの批評は何なのでしょう?
裁判とはそのようなものではないか。それを否定するなら裁判など何の意味もなさなくなります。
秘書が嘘を言っているのは明らかです。実際にその場で会っていたことを認めている訳です。会ったけど金は受け取っていないなどと言って、一体誰が信用しますか? では、何の為にサブゼネコンの社長と会う必要があったのか。
そのことに関しても明確な答えをしていない。
>「客観的な証拠に基づき、風潮に流されない裁判を望む」
有田さんに言いたい。こんな事を言ってたら麻原だって無罪になるのと違いますか?
信者である部下にテロ行為を命じた確かな証拠はあるのですか。部下に直接命令していないとしても、その主従関係によって判断することに何ら問題ないと思います。秘書が雇い主に承諾なく、4億円もの金の記載を勝手に行なうと普通の人は考えません。
特捜部が不起訴にしたことが庶民の目線からは不可解そのもので、だからこそ二度に渡って起訴すべきだとの決議がなされたのです。ジャーナリストも国会議員になって先生になると、庶民感覚とは全くかけ離れた意見を言うものなのですね。
ただただ驚くばかりです。
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