2011年02月23日

命を賭けた自由への戦い

命を賭けた「自由か独裁か」の戦い

リビア人民の民衆蜂起を支持する

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 本来ならこのニュースはトップニュースでなければならない。日本のテレビがパンダ放送に明け暮れていることは、このリビアの民衆が命懸けで戦っているその尊さを全く理解していないと言わざるを得ません。

 人間にとって自由・民主主義・基本的人権は普遍的なものであり、最も大切なものです。故に私は共産主義・社会主義思想を若い頃から一貫して憎悪して来ました。

 人間が自由でありたいと願うのは、人間が持つ渇望でありこれを奪い取ることなど誰にも出来ない。

 今回の民衆蜂起を見ると死を恐れずに立ち上がったリビアの人達には感動するばかりです。何としてもこの民衆蜂起を成功させて、自由を勝ち取って欲しいと願わずにはいられません。

 本日はこのリビア情勢と言うよりは、「自由の道」と「奴隷の道」について、有名なイソップ寓話集にある物語を紹介することに致します。

イソップ物語 二つの道

その昔、神様は人間のために、「自由の道」と「奴隷の道」という名の二つの道を作りました。どちらの道を歩くかは人間の自由であり、神は人間にそれを選ばせた。

「自由の道」は、初めの内は岩がゴツゴツとして抜け出るのが大変な山道で、水を飲む場所もなかった。しかも、イバラのトゲが一面に生えているため、前に進むのにも危険が伴う。

しかし、最後の方は広い散歩道になっていて、森の木の実や湧水にあふれ、オアシスのようになっていた。最後は楽園に辿り着くというものです。

対して「奴隷の道」とは、初めは広く平坦で、花が咲き乱れ、木の実がなり、小川も流れ、気持ちよく前に進むことができた。

しかし、次第に道幅は細い道になって、最後には抜け出すのも大変な険しい崖っぷちになってしまう。少しでも足を踏み外したら落ちてしまうという危険地域に迷い込んでしまったという訳です。

 このイソップ物語は同じイソップ物語である「アリとキリギリス」と同じような苦労した者が最後は報われるという格言であると思います。

 よくこの話は人生の選択を迫られた時に、決して安易に楽なほうを選択するのではなく、苦しい道を避けてはいけない。その苦しい体験の後には素晴らしい未来が開けているからですとの教えの時に使われます。

 しかし、私はこの「自由の道」と「奴隷の道」とは、そのような人生訓話であると同時に、神様が指し示した自由の尊さを表わしていると昔から思って来ました。

 神は二つの道を作った。我々人間は「自由の道」を選択しなくてはなりません。そこに暴虐の独裁者が立ちはだかっていようが、それを倒さなければ、自由を獲得することは出来ないからです。

 リビアの人々が現在その戦いに決起しているのだと思います。独裁者がリビアの人達によって、一日も早く倒されて平穏な社会が訪れることを心から願っております。

 また、この民衆蜂起はやがて支那大陸、朝鮮半島でも起きるでしょう。その時には我々日本民族もまた「自由の道」か「奴隷の道」の選択を迫られることになるのです。

 
☆お知らせ 「2・26事件・歴史探訪」
 04111716kuyouhi                     
 2月26日は2・26事件の日ですが、この日は東京にいますので、史跡を巡って「昭和の時代を考える」という企画を立ててみました。

 抗議行動や勉強会なども大切ですが、たまには実際に歴史的な事件の現場やその記念碑や墓地などを見学して、当時の人達の心情に触れてみるのも、政治思想活動家にとっては有意義なものであると思います。

 参加者はメールで募っております。最低でも5人から10人規模で行ないたいと思いますので、時間のある方は是非参加してみてください。

 尚、昨日北一輝の墓と書きましたが、北一輝の墓は彼の生地である佐渡島にあるとのメールを頂きました。勘違いで書いてしまったと思いますので、以前聞いた場所が誰の墓であったのか、明日調査してお知らせいたします。
 
尚、参加希望者はメールにてお申し込み下さい。

fukushimaseto@gmail.com

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2011年02月22日

「農業日記」剪定も無事終了しました。

「農業日記」

 りんごの剪定(せんてい)は無事終了しました。

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2011022215300000 先ずは本日りんごの剪定もようやく終わりました。

 本格的にやったのは初めてでした。

 これまで父親は年老いてからは同じ農家の人に頼んでいました。

 私の農業高校の同級生でしたが、「これからりんご作りするなら自分でやってみろ」と言われたこともあったので、全くの自己流ですが自分で全てやりました。

 他のりんご畑に比べると枝がかなり多いのが特徴です。

 加工用のりんごも必要なので、一般のりんご農家の木よりも枝を多く残して、収穫量を減らさないように務めました。

 剪定は余りやったことはなかったが、花摘み、実すぐりなどは何十年も手伝ってきたので、ある程度は分かっているので何とか終わらせ安堵しました。

 余り高い枝を残すと作業が大変です。

 また、消毒液もかかり難いのでなるべく上に伸びた枝は切るか、写真のようにロープで引っ張って下に向けました。

2011021714050000

 父は昔から剪定は余り強くしないで、なるべく弱くして枝が垂れ下がるようにしなければと言っていました。

 それを今回は親父の遺言と思って余り強い剪定はしないようにしました。
 強い剪定という意味は枝を切り詰めたり、たくさん枝を落としてしまうということです。

 しかし、近年は着色を優先するので、見た目には枝が切り落とされてカラカラの状態のりんごをよく見かけます。

2011021713580000

 最後におまけです。

 よくこのような光景を目にしました。これは蛙ですが、他にはバッタやイナゴもありました。
 皆さんご存知のように百舌鳥(もず)という鳥の餌です。

 もずの「はやにえ」として知られています。尖った枝に暖かい時に捕らえた蛙や昆虫を刺しておきます。

 ところでこの行為ですが、実際はよく分からないということです。
 冬場にこの餌を必ずしも食べていないことは、このように沢山目にすることからも分かります。

 餌付けが行なわれているもずの場合も同じような行動を取ると言いますから、必ずしも餌を保管するための行動とも違うようです。


明日午後から上京、一週間滞在します。
 
久しぶりの東京滞在中にやりたいこと。


 さて、明日の夜より東京に入ります。明後日、朝早く病院で定期的な診察があり、その後3月2日までは東京におります。一週間近く東京にいるのは久しぶりですが、この間2月26日があります。

 2・26事件の日は土曜日になりますが、この日2・26事件に関わる歴史的な場所を探訪する企画を立てました。
 渋谷には2・26事件の慰霊碑があります。また麻布の寺院には二十二士の墓もあります。

 他にも2・26事件の首謀者として処刑された北一輝の墓などにも行ってみたいと思います。尚、右翼団体関係者なども毎年寺では行事を行なっていますので、その同じ時間帯を避けて邪魔にならないようにするつもりです。

 その後、喫茶店などで皆さんと「昭和の時代を語る」を楽しみたいと思います。「昭和の大事件」の現場を巡りながら、その心情を共に考えてみたいと思い企画しました。


 尚、参加希望者はメールにてお申し込み下さい。

 fukushimaseto@gmail.com

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パンダ外交に騙されるな!

パンダ外交に騙されるな!

 チベット侵略・強奪の象徴

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パンダ2頭、上野動物園へ 中国「友好の象徴」 ただし年間リース料7900万円

imageいよいよ21日、中国から2頭のジャイアントパンダが上野動物園にやって来る。中国で出発直前のパンダの表情をキャッチした。東京・上野も、歓迎ムード一色となっている。

日本へと出発するメスのパンダ「仙女(シィエンニュ)」。
朝ご飯を食べる様子からは、普段と違った様子は感じられない。
ジャイアントパンダの「仙女」と「比力(ビーリー)」。
上野動物園での受け入れが決まっている2頭は、まもなく中国のパンダ保護施設を出発する。

飼育員は「『仙女』は比較的活発で、『比力』は落ち着いています。別れたくありませんが、うれしいです。2頭は選ばれたパンダなのだから」と話した。

一方、パンダを受け入れる東京・上野では、通りにはパンダのキャラクターが描かれた旗、工事現場にまでパンダのイラストと、パンダ一色。地元の商店街にも、歓迎ムードが広がっている。

地元商店の人は、「パンダはいいんじゃないですか。人気ありますから」、「忙しくなると思います」などと話した。

(以下略)
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00193390.html


 このパンダのニュースが夜の各テレビ局のトップニュースというのですから、本当に日本はどうしようもなく平和ボケした国だと今更ながらに実感しました。

 中東イスラム国家においてはインターネットで呼びかけられた、独裁政治に反対する活動が弾圧の中で広がりを見せています。同じく独裁政治で国民の自由な言論活動を弾圧している支那(中国)もこの流れに決して無関係とはいかないでしょう。

 少なくともパンダの到着などよりは、この激動する国際情勢のニュースがトップに報じられなければなりません。本当にわが国のマスコミは何を考えているのか分かりません。

 チベットはユーラシア大陸の中央部における独自の文明を持つ独立国家であった。そこに軍事侵攻し独立国家を倒し植民地化したのが支那・中国共産党である。

 過去のエントリーを紹介しておきます。

中共によるチベット侵略の実態! (その1)

中共によるチベット侵略の実態! (その2)

中共によるチベット侵略の実態! (その3)

 チベット人は300万人以上が虐殺されました。その時に一部はチベット自治区として残されましたが、それ以外は支那人によって分捕られた、その一つが四川省というわけです。

 正確には中国のパンダではなく、チベットのパンダなのです。

 だから、これは支那・中国との友好ではなく、チベットとの友好と表現して、日本はチベットの旗を掲げてパンダを歓迎すべきです。

 日本では歓迎一色らしいが、ヨーロッパではそうではありません。少しは日本の動物愛護団体も見習って欲しいものです。

【国際】英国の動物保護団体が中国を非難、「中国がパンダを外国に貸与することは『動物搾取』だ!」

2011年2月8日、中国がパンダを外国に貸与することは「動物搾取」だと英国の動物保護団体が 非難したことに対し、在英中国大使館が反論した。10日付で環球時報が伝えた。

中国の李克強(リー・カーチアン)副首相が1月9日から3日間の日程で訪英した際、つがいの ジャイアントパンダ「甜甜」(ティエンティエン)と「陽光」(ヤングアン)を10年間の契約で英エジン
バラ動物園に貸与することを約束した。2頭は今秋にも同園にお目見えする予定。英国にパンダがやって来るのは17年ぶりとなる。

これに対し、英動物保護団体「ボーンフリー財団」は「中国がパンダを貸与するのは動物搾取にあたる」と非難。英国の各メディアもこれに同調し、「パンダの飼育には英国人の血税が大量に使われる。その額は年間7万ポンド(約930万円)にも上る」と批判的な報道を展開した。

こうした反響を受け、在英中国大使館の報道官は8日、英BBC宛てに書信を出し、「ボーンフリー財団の主張は事実でないばかりか、公平さにも欠ける。パンダの貸与は中国人民の友好の証。
中英の協力はパンダの保護にも役立つ」と反論した。

また、エジンバラ動物園も「企業から多くの協賛金を受けているため、納税者の皆さんは安心して頂きたい。それに同園の環境はパンダの故郷と似ているため、繁殖に適している」と訴えている。
(翻訳・編集/NN)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110211-00000006-rcdc-cn 

 日本の動物愛護団体も声を挙げて欲しいですね。本来パンダは絶滅の恐れがあるとして、ワシントン条約でも取引が厳しく制限されています。だから贈与などではなく貸与などと言っている訳です。

 つまり脱法行為の一種であり、それにこのパンダ二頭のリース料金が年間約7900万円と高額なものになっています。これで本当に元が取れるのかと疑問に思えてしまいます。

 本当に上野動物園にパンダが必要だったのか? 今時「日中友好」もないでしょう。ネット掲示板には下記のような意見が大勢を占めていました。

▼上野動物園にパンダは必要なのか。過去の体験から言えば、答えはノーだ。

▼期待に胸ふくらませ、幼い子供を連れてパンダ舎へ向かうと、薄暗いがらんとした檻を見せられる。 目をこらすと奥に動物が寝そべっている。

 ヒグマに近い巨大さ。仕草にはまったく可愛げがない。緩慢にうごめく。病気なの?いや、生来のっそりとしか動けない獣なのだ。
 連れて行った子供は、予想と違う展開に戸惑う。なに?この茶色い汚い生き物は? テレビでは白黒にくっきり分かれて見えるが、実物は違う。白毛部分は糞尿で茶色に染まっているからだ。テレビで見た可愛いパンダはどこに?

 以上

 ★りんごジャム販売のお知らせ

2010011815200000
ジャムは3個以上からの販売です。合計1500円です。

 内訳ですが瓶詰め加工賃・660円、箱代は頂きません。ポリエステル通称プチプチに包んで送ります。(送料は別途かかります。)

 尚、この商品に関しては食品衛生法の適用があります。その責任はJA新ふくしまにあります。全ての商品にはそれを表示するラベルが裏に貼られていますので、それでご確認下さい。

 ジャムは150グラム含有
 賞味期限は2011年12月12日


 3個〜12個までがこの料金で送れます。

 
送料 北海道 950円 関東 640円 中部 740円

      関西  850円  九州  1270円

注文はメールにて受付します。
fukushimaseto@gmail.com

東京都台東区東上野6−10−7金子ハイツ401 
せと 弘幸  
TEL 03−5830−7473 090−3347−5720


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2011年02月21日

会津武士道を高く評価した伊・独国民

 
 会津武士道を高く評価した伊・独国民

 命懸けで記念碑を守った会津人

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 ブログの記事を見たという方からメールを頂きました。母親が会津出身でこの白虎隊とイタリアとドイツから送られた記念碑のことに関しても母親から聞いて知っていたそうです。

 子供の頃にこの外国から送られた記念碑を見て、その記念碑を守った会津人の魂を聞いた時には、子供心にも誇りを感じたとメールに書いてありました。

 「文中のドイツの記念碑ですが、命を懸けて護ってくださったおばあさんがいらっしゃいました。下記に山口弥一郎著『白虎隊物語』より抜粋します。」

 「著者のあとがきもすばらしく、会津の郷土愛とはかくも深いものかと胸にこみ上げてまいります。いつか瀬戸先生に送ろうと用意しておりましたが、書き写しながら涙が溢れて仕方がございませんでした。先生の後に続く若者に白虎隊精神をお伝えください。」

 有り難う御座います。この紹介された全文をここに掲載させて頂きます。

 白虎隊物語 
 
戊辰秘話

第一部 白虎隊物語

六 夜明けのいけにえ

永い封建の夢も、国民の尊王の気運には抗すすべもなく、維新の大業を前にして京都は収拾すべからざる状態にたちいたっていた。時の孝明天皇の御信認あつかった会津藩主松平容保は、その治安の任に当たるようにね文久二年幕府から京都守護職の任を与えられて、狼藉至らざるなき都を前後六年間に亘って護りつづけた。

 しかし将軍家茂の死去についで、孝明天皇が崩御されると、世は急に改まり、大政の奉還、王政の復古の詔勅が下るまでにたちいたった。封建の世の忠とは、直属の支配者に奉げるものとの思想が培われ、これを改めるには世の推移が余りにも急激に襲ってきたのである。容保には守護職時代の忠誠と、会津藩祖保科正之が徳川二代将軍秀忠の子で、永く幕府をものたててきた。固い伝統が流れていた。

 容保は鳥羽、伏見の戦後会津に帰り、ひたすら恭順の意を表していたが、その誠意は薩摩、長州の側近にはばまれて、天聴に達せず、ついに征討の大群を会津の四周にうけなければならない状態にたちいたった。攻めたてられれば護らなければならない。封建時代最後の、疑うことなき忠誠を誓う会津の武士は、潔く君の馬前に討死していったのである。

 白虎隊は、いたいけな十六、七才の少年によって編成され、怒涛の如く押し寄せる敵軍に対し、裏切り者が間道を開いて大軍を既に会津の四境身近に入れていることもよく知らずに、雨のそぼふる暗夜、一握りの兵糧もなく、勇躍戸の口原の敵陣に打ちかかったのである。その最後は実に若人の節を全うする自刃を選ぶより外、道のないような立場に追いつめられていたのであろう。

 世界の大軍をひきうけて、沖縄の孤島を死守して倒れた、娘子軍ひめゆりの塔のあやまりを、二度と犯さないようにと、今さらのように、目覚め、ふりかえっている日本国民は、実は、明治維新に際しても、東北の一隅、会津飯盛山上で、この少年たちをして、壮烈な自刃を遂げさせているのである。

 我々はこの痛々しい、これらの少年たちの心根をくむとともに、もう第三、第四のひめゆりの塔を築くことなく、平和な世界をつくりあげたいと願う。少年たちの意地や実に壮である。しかし、かかるいけにえを出しても、その壮烈さのみたたえ、反省できなかったわれわれこそ、墓前に恥ずべきである。若人の指導精神も移っている。この壮なる心を平和日本建設のためにこそ捧げるべきであり、これがまた忠烈な白虎隊の霊をなぐさめる所以かと思う。
 
 
七 かずかずの追憶

byaco51 新しい時代を建設するものは常に若人である。退廃した古代文化の国。イタリアの復興を若人に託そうとした当時のイタリア国民は、白虎隊の忠烈を欽慕して、ローマの千年の古柱を、昭和元年記念碑として、寄贈してきた。

 つづいてドイツからも追慕の碑がとどけられた。

 明治七年の改葬以来、十六年には墳域を築き、二十三年これを拡張し、大正十四年さらに拡張している。そして昭和元年十二月一日、イタリア記念碑の落成を期して現在のような白虎隊の墓を整えたのである。

 しかしこのなかには、一貫して会津精神をせまい封建社会思想でおしかため、また白虎隊の忠烈な自刃の最後を青少年の指導精神にかりたてて、日本の全体主義的思想に利用した点はなかったであろうかと、反省されてならない。

 郷土会津の人の白虎隊を追慕する所以は、もっと身近なものであり王政の復古をこい願い、あれ程に藩祖以来尊王の志の厚かったに拘らず、京都守護職時代の権勢に対する羨望、嫉妬と、徳川多年の縁故を結びつけ、ついに賊軍呼ばわりされて四周に敵をうけ、十六、七才のいたいけな少年が死んでいった。その心根がたまらなく泣けてくるのである。親心、肉親の情愛が、いとしいまでににじみ出てくるのであって、全く他意はない。そして二度と会津の地に白虎隊のような、壮烈ないけにえを出したくないと願い、一路敗戦荒廃の会津の復興をめざしてきたのであった。

ad3c21b17eb4720830fc3d1b444d822c 飯盛山の墓守をしている、飯盛ミヨセという婆さんがあった。私は終戦帰郷後、郷愁をとどめえないものがあって、或る日飯盛山を尋ねたことがあった。お婆さんは一通りの説明を終ると、人なつっこく、声を低め語ってくれた。進駐軍が若松にも来てイタリアとドイツより贈られた碑をこわせということになった。イタリアの古碑からはファシストのマークを取り除き、基盤のカララの大理石にきざんだ文字は、セメントで埋めただけでは不十分で、石屋を呼んで削りとらせることで話がついたが、ドイツの記念碑だけはどうしても取り除いてこわせという。

 「しかしね、こんどの戦争がどうしたか知らないけれど、折角遠い国から贈ってくれたこの碑に罪はあるまいて。アメリカ軍は恐ろしかった。そむけば殺されるかも知れない。しかし、白虎隊は十六、七才の子供ではないか。今のこの年頃の子供を見なさい。なんり気をして育っているのさ。それがお城が焼け落ちた、殿様が亡くなられたと思って、喉をついたり、さしちがえて死んでいるではないか。このしわくちゃの婆さんの首など飛んでもいいと思いましたよ。それでドイツかせ贈られた碑は家の側に持ってきて隠しておきましたのでさ。みて下されや。」

 私はこんなにも身近く白虎隊の若人の心根をくんで、まもり育てている人は外にはあるまいと思って、泣けて泣けて仕方がなかった。白虎隊を思う会津の郷土人の心はこれなのだと思った。あまりに白虎隊の心根を、大人の野心的構想で育てあげ過ぎてはならない。私は全く、ありのありのまま、炎々とたちのぼるつ鶴ガ帖をちながめて今はこれまでと、一同ためらいもなく自ら刃をさして、莞爾として死んでいった少年たちの心根をくんで、ただしばし佇み、合掌してみるだけでよいと思う。どうか訪ねられる他郷の人々も、むずかしい理屈はいわずに、当時の会津藩の犠牲となって、壮烈な自刃をとげた、この少年たちの墓に香華をささげて合掌してやって下さい。
 
 
あとがき

 この小著の前版「白虎隊物語」は昭和二十七年秋、吉川栄治、朝日新聞社幹部一行が、「新・平家物語」の取材に会津に来訪され、私が、二日間案内した縁につながる。はじめて飯盛山を訪ねた吉川氏は、当時飯盛山の墓守、案内をしていた、飯盛ミヨセ婆さんの「あれみっせい」と氏の肩をたたいて、ドイツ寄贈の文字の削りとられた碑の再建を、ものおじしないで語る熱弁の情景に、いたく感激されたらしかった。

 翌二十八年三月の、「週刊朝日」春季増刊号に「新・平家今昔紀行」(「吉川英治・随筆新平家」に再掲)として詳しい会津の旅の模様を書いてくださった。その中にミヨセ婆さんの案内姿を杉本健吉画伯が、半頁大に描いて、吉川氏は「とにかく、愛すべき飯盛山のお婆さんではあった。若松市の名物婆さんとして市は可愛がってあげるがいい。」と書いておられる。

 朝日新聞東京本社より、この増刊号が送りとどけられると、まず婆さんを喜ばせようと、飯盛山にかけつけた。それが何と婆さんが世を去って四十五日目の御法事の当日であったとは。遺族のかたがたから「お婆さんの話を一番詳しく聞いているのはあなただから、白虎隊の今様の案内記を書いてくれ。」と頼まれた。一応はことわったが、位牌の前で、週刊朝日の婆さんに関する記事に赤鉛筆で、アンダーラインを引いて読みあげてきた感激がさめきらず、一夜まんじりともしないで、一気に書き上げたのが、後章にみえる戊辰悲話の第一部「白虎隊物語」である。

 白虎隊に関する著作、記述は既にたくさん出ている。私は「ありのままで弔いたい。白虎隊の追いやられた純情、可憐なこころねをくみとりたい。」とい立場から書いた。既に十年、吉川氏にはその後御交誼をあずかったが既にない。いつか浦松佐美太郎氏が、この旧版「白虎隊物語」ょ読み、週刊朝日の「日本拝見会津若松市の巻」で「山口弥一郎教諭(註・当時県立会津女子高等学校教諭)の研究によると、白虎隊は戦線を離脱して若松へ帰ろうとしたが、飯盛山の上まで来ると、町は盛んに燃えており、疲労と空腹は激しく、その上、周囲は敵軍に巻かれているといった状態なのでそのままそこで自殺したのだということになっている」とのべ、「飯盛山に立てこもって『死をもて守るこのとりで』というのは後から作り上げたセンチメンタルな伝説ということになる。

 だから過去へのノスタルジアは事実より伝説の方へ執着する。それだからこそ、自慢の種ともなるのであろう。」と感想までつけ加えている。こういわれてみると,私も郷土人としてすっきり割り切れない気もするが、時日はこう見られるのも致し方ないかと思う。

 資材は平石 蔵著「会津戊辰戦争」その他から、よく検討してとったが、「物語」と題する風な書き方は、文筆を専業としない私には柄にもおわないので、幾度か絶版しようと企てた。それがまた、観光ブームもあるからであろうが、何万部も出て、まだ寿命があるからと、私の意図は入れられそうでない。

 そこで私は、うそを書かない郷土解説なら、もう少し充実したものにしたいと願って、このようなものにまで発展した。ここまで来るにも、実に多くの人々の協力のあったことを感謝せずにはおられない。この丸八印刷所の社長佐藤碑彦八氏が、私の要望に従って、車を走らせて自分得意とする写真の殆んど全部撮ってくれた。この中には重要文化財や早川代次氏苦心の蒐集になる白虎記念館所蔵のものなどある。皆心よく撮影や、資料の提供をして下さった。

 挿絵には故人の渡部菊二画伯ほか、安達忠良氏などの多大の好意にあずかった。編集についても旧書から引きつづき会津若松市商工課長宮崎十三八氏に御協力を仰いでいる。

 いくらか視野を広くとって、小冊子で十分とはいえないが、白虎隊、なよたけ、娘子軍をとりまく会津の風物を述べて、一つの事件も、その土地の風物と存在しないことを表したかった。時代も移り変わり、訪ねてこられる人々の気持にまで、われわれが立ち入りは出来ないから、戊辰夜明けの犠牲者を、手厚く弔っていただきたいとの念願をこめるのみである。
 
昭和四十三年三月 山口弥一郎

以上

 ★お知らせ
 2011020313240001                     
 昨年好評だった手作りのりんごジュースを今年も作りました。今年は新しい専門の箱も製作しましたので、その箱に入れて販売します。

 ジュースは二本入りセットの販売です。
 720ミリリットル入りで1500円となります。

 昨年は黒猫ヤマトで送りましたが、今年は郵便小包のほうが幾分安いのでそちらで送らせて頂きます。

 送料は下記の通りです。二箱まではこの料金です。

 関東・東京  650
円

 中部・北陸  730
円

 大阪・近畿   990円  中国・四国 1060円

 九州 1140円 北海道 730円

注文はメールにて受付します。

 
fukushimaseto@gmail.com

東京都台東区東上野6−10−7金子ハイツ401 
せと 弘幸  
TEL 03−5830−7473 090−3347−5720

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会津白虎隊記念館と秋篠宮両殿下

会津白虎隊記念館と秋篠宮両殿下

賊軍の汚名が消える日を一日も早くと願う
 

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 一昨日の19日、会津若松の飯盛山に行って来ました。
 毎年行っていたのに、ここ2年間はご無沙汰でしたので、今年こそは何としてもと思っていたので早めに行ってまいりました。

 以前のブログ記事です。紹介しておきます。

白虎隊と三国軍事同盟

 世界がいくら広いと言っても、イタリアのベニート・ムッソリーニから送られた記念碑とナチス政権下のドイツの外交官から送られた十字の紋章入りの記念碑が見られるのはこの飯盛山しかありません。

 映像も撮ってあるのでこの事は後でゆっくり紹介させて頂きます。今回はこの記念碑が立つ場所の下に建つ会津白虎隊記念館についてです。

kinenkan

 この記念館を訪れた日本国民は多いと思いますが、その中には秋篠宮両殿下がおられます。記念会館内にもご訪問した時の写真が掲載されています。

 秋篠宮両殿下がこの地を訪れたのには、深い思い入れがあったのではないか? 私はそのように勝手に推測させて頂いております。

 その理由について若干ご説明しておきます。

池上四郎(大阪市長)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
 池上四郎池上 四郎(いけがみ しろう、安政4年4月18日(1857年5月11日) - 昭和4年(1929年)4月4日)は、日本の警察官僚、政治家。第6代大阪市長、第6代朝鮮総督府政務総監。兄に検事・池上三郎、娘婿に内務省官吏石川銀蔵。文仁親王妃紀子は曾孫に当たる。

 1857年会津藩士池上武輔(250石)の四男として、陸奥国耶麻郡(現・福島県会津若松市)で生まれた。11歳のときに戊辰戦争を経験する。兄の友次郎は、鳥羽・伏見の戦いの正月五日の戦で戦死。

 父・武輔は井深宅右衛門の第二遊撃隊の組頭として越後小千谷で新政府軍と戦い、負傷する(北越戦争)。四郎は、兄の三郎と共に白虎隊少年隊員として会津若松城に篭城した。白虎隊本隊への入隊も希望したが、15歳以上の規約のため除外された。敵に城を取り囲まれて、一日に約二千五百発の砲弾が撃ち込まれる中で、四郎は少年隊の仲間と共に唐人凧をあげて仲間の士気を鼓舞したというエピソードが残っている(会津戦争)。

以上
 
 この白虎隊記念館の館長は元会津若松市長の早川喜代治氏ですが、館長のこのような言葉もかつてマスコミに紹介されております。

アサヒグラフ 1989.9.8

 紀子さんの祖母・紀子(いとこ)さんは旧会津藩士の池上家に生まれた。家系は、秀吉によって会津に封じられた上杉景勝の家臣にまでさかのぼるという。紀子さんの祖父、武輔さんは百五十石の中級武士で、戊辰戦争に参戦。新潟・小出島の陣地副将として立て篭もったが、官軍に敗れ、藩とともに青森・斗南に移った。

 このとき紀子さんの父、四郎さんは十歳だったが、場内から大きな唐人たこを上げ、「城はまだ落ちていない」と場外の兵士を励ましたという。後に大阪市長となり、その剛毅さで市民の人気を集めた。四郎の研究をしている会津若松・白虎隊記念館の早川喜代次館長は「賊軍の総大将である会津から皇室に、と思うと不思議な因縁を感じます」と話す。

以上

 この件に関しては紹介だけに留めます。私も福島県人として、また会津白虎隊の精神を若い頃から讃えてきた者として、これほど嬉しいことはありません。

 会津若松鶴ヶ城の天守閣には城主・松平容保が孝明天皇から頂いた文書などが展示されています。松平容保はそれを肌身離さず持っていたと説明されています。

 会津は賊軍とされ長い間その汚名を着せられてきましたが、その汚名が晴らされるときが必ずやってくると信じています。また、その日こそが新しい日本の夜明けになると固く信じる一人でもあります。


★勉強会のお知らせ

第十回日本の心を学ぶ会のお知らせ

 日本国は、天皇・皇室を君主・祭祀主と仰ぐ民族共同体であります。皇室の歴史とは即ち君民一体の日本の歴史であります。然しながら、戦後世代の我々は真の日本の姿=日本國體を正しく認識することが困難な状況にあると思われます。

 今回の勉強会は國體・皇室の尊厳性を学び、戦後の歪な形の国家体制である与えられた民主主義の下に醸成された民主党政権の反皇室姿勢を徹底解明する所存でございます。皆さまお引き合わせの上御参集賜わりますようお願い申し上げます。

 

【日 時】平成二十二年二月二十七日(日) 午後六時より


【場 所】文京区民センター二B会議室

東京都文京区本郷 四-十五-十四 地下鉄 春日下車一分(大江戸線、三田線)、後楽園下車三分(丸の内線、南北線)、JR(水道橋) ※今回は港区生涯学習センターではありません。


【演 題】國體・皇室の尊厳性と民主党政権


【登壇者】
講師 四宮正貴先生 四宮政治文化研究所 http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-shinomiya/

講師 瀬戸弘幸 せと弘幸Blogu 『日本よ何処へ』 http://blog.livedoor.jp/the_radical_right/ 


司会者
渡邊昇 日本の心を学ぶ会

【参加費】資料代五百円
終了後、近隣で懇親会(三千円くらいの予定です)


【連絡先】

日本の心を学ぶ会事務局
埼玉県川口市安行藤八三十三ー十三
電話:〇九〇―八七七〇ー七三九五


★お知らせ
 2011020313240001                     
 昨年好評だった手作りのりんごジュースを今年も作りました。今年は新しい専門の箱も製作しましたので、その箱に入れて販売します。

 ジュースは二本入りセットの販売です。
 720ミリリットル入りで1500円となります。

 昨年は黒猫ヤマトで送りましたが、今年は郵便小包のほうが幾分安いのでそちらで送らせて頂きます。

 送料は下記の通りです。二箱まではこの料金です。

 関東・東京  650
円

 中部・北陸  730
円

 大阪・近畿   990円  中国・四国 1060円

 九州 1140円 北海道 730円

注文はメールにて受付します。

 
fukushimaseto@gmail.com

東京都台東区東上野6−10−7金子ハイツ401 
せと 弘幸  
TEL 03−5830−7473 090−3347−5720

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Posted by the_radical_right at 07:30 │ mixiチェック