平成元年〜20年迄の政治の総決算
歴史に刻む年の評価は「終わりの時代」の始まりか
平成元年〜今年の平成20年までの間に、日本の総理大臣は14人を数える。一応、名前を挙げて見ます。中には全く存在感を示せなかった人もいます。
竹下・宇野・海部・宮沢・細川・羽田・村山・橋本・小渕・森・小泉・安倍・福田・麻生と続いた訳ですが、このように並べて見ると、やはりここに小沢という名前が登場してこなかったことが不思議と言えば不思議です。
竹下〜宮沢までの自民党単独政権時代、小沢一郎は自民党にあって最大の実力者であった金丸信の子分でした。竹下政権誕生は田中角栄に楯突いた小沢達の動きがなかったら実現することはなかった。
海部総理などは単なるお飾りで、実質これを裏で仕切ったのは小沢であり、また宮沢内閣誕生にも大きな力を発揮した。小沢はその後、自民党を離れ、新生党を結成する。
政界再編などともてはやされた時代の始まりでした。細川連立政権の立役者であり、又その後公明党などと合流し新進党を結成したが、やがて自民党が巻き返し、政権の中枢からは離れた。
この20年間の中で最初の5年間ほどは、小沢が実質上の影の指導者であったとも言えるが、その後は自由党として自自連立、自自公連立として政権に加わるも脇役に甘んじてきた。
この間の日本の政治の停滞と堕落は今更検証すべきことでもないでしょう。誰もが認める酷い政治が続いてきました。小泉内閣時代はシナ・朝鮮に対する毅然たる姿勢だけは評価できたが、内政的には失敗であったと思う。
そして、20年という節目の年も終わりに近づいた現在、小沢民主党党首から、つい口が滑ったのか次のような言葉が飛び出した。
小沢一郎・超連立構想の怪気炎
大連立の次は超大連立 小沢氏、周辺に漏らす
民主党の小沢一郎代表が11月28日に党首討論を終えた後、「(次の政権は)超大連立だ」と麻生政権後の政界再編を念頭に、自民、公明両党との連立も視野に入れた政権構想を語っていたことが30日、分かった。
民主党幹部によると、28日夜、小沢氏は鳩山由紀夫幹事長、新党日本の田中康夫代表と都内のすし店で会食した。その席上、小沢氏は「(麻生政権は)長くはもたない。通常国会をいつ投げ出すんだろうな」と述べた。その上で、「いずれにしろ、(次の政権は)選挙管理内閣になる。全党入れた内閣になるかもしれない。超大連立だ」と語ったという。
自民、民主両党の大連立構想をめぐっては、昨年11月、当時の福田康夫首相と小沢氏との会談で浮上したが、民主党内の反発で立ち消えとなっている。
11月30日19時45分配信 産経新聞
「反日議員を落選させる会」のブログでも昨日簡単に取上げておきましたが、意外にもこれがこの平成の時代20年間の総決算なのかもしれません。
この20年間、最初の段階では日本の政党政治は迷走を続け、やがて二大政党の本格的な「政権交代制」が実現するのかと思えば、最終的な到着点は大政翼賛会とは呆れ果ててしまいます。
この間、日本の政治は何を求めてきたのでしょうか?20年という数字は一つの区切りでもあります。その年に噴出したのは、政党政治そのものに対する国民の不信だけではなかったか。
昨年の参院選挙後の日本の政治は、常に政策ではなく政局論によって、日本の政治は振り回されてきた。このような状況を国民はもう冷めた目で見ているのではと思います。
もう「政権の選択」などどうでも良い、有権者が選挙を通じて政治変革への希望を託せる政党がこれではなくなってしまった。「政治改革」などという言葉だけが躍ってきたが、その内実は政党による税金の食いつぶしに過ぎなかったことを国民は知っています。
国籍改悪法案が全会一致で衆院を通過、参院でも可決されるような、今日の日本の議会政治というものに、大きな失望感を抱いた若者も多い筈です。
この平成20年という節目の年を、後世の日本人が歴史を振り返って刻むとしたら、何を刻むことになるのでしょう。
政党政治の終わりの始まり。
日本が沈没し始めた年。
国会の機能停止から瓦解の始まり。
いずれにしても、一つの「終わりの時代」の始まりを予感させる発言です。自民党から分裂した人が、一方の旗頭であり、国家の基本政策を放り出して権力闘争に明け暮れ、最後に出てきた言葉が、超大連立政権とは・・・・・これがこの時代を象徴する言葉なのかも知れません。
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