世界中から非難の声が上がる。
国際司法裁判所でイスラエルを強く批判する声が続くパレスチナ人に対する皆殺しを防ぐ手はあるのか?
――2009年1月9日のブログです。
イスラエル・パレスチナ紛争
日本人はこの戦いから、何を学ぶべきなのか?
これは紛争などではなく、正しくは戦争と表現すべきだろう。イスラエル軍は3日からイスラム根本主義(原理主義)組織ハマスが実行支配するパレスチナ自治区のガザ地区に正規軍を侵攻させました。
平和と戦争という問題を考えるなら、このパレスチナとイスラエルの問題を例に挙げると一番解り易いのではないか。それはこのように定義づけることが出来るからです。
平和な時代とは休戦期間の別称に過ぎない。このことを我々は歴史の教訓として学んできたが、それが将に正しいことを物語るものとして、現在も進行している。平和は常に破られるためにあるようです。
今回の結果をイスラエルは停戦協定を無視したハマス側によるロケット攻撃にあると批判するでしょう。対してハマス側にしてみれば、それは失われた領地の奪還であり、そもそもが停戦ということも初めから破られる前提での交渉の結果でしかなかった。
交渉によって一時的に生み出された一見上は平和な時期こそ、戦争の予兆に過ぎなかった。極言するなら平和というのは、いずれ戦争になるという自覚なしには口にしてはいけない言葉なのかも知れません。
これまでイスラエルとパレスチナは第二次世界大戦後、何度なく衝突し殺し合いを繰り返してきた。そしてその都度停戦協議が行なわれ、人々はつかの間の平和な時を過ごした。
しかし、それがいつも破られて、このような戦争が繰り返される。このことに関して国際社会はいつも無力です。停戦協定を永続化して守らせることが出来ません。
戦争は「政治」の延長であると言われて来ましたが、確かに「政治」で解決が図られないときに、最終的な決着を図る手段として武力行使は今でもその正当性を当事者間では疑いもなく受け入れられています。
我々はこの現実から眼をそむけてはならない。
何故ならば、わが国だけは既に戦えない国家となってしまった。つまりは「政治」でしか物事を解決できないという、極めて世界では珍しい民族、そして国家となっている。
いかにこの点が重要になるかと言えば、それはシナ・中国が今回引き起こした東シナ海のガス田の一方的な開発を考えれば、それがいかに深刻な問題であるかが理解出来ます。
武力を行使するという前提だけが、外国との「政治」的な交渉としての外交の有効な力となり得るのです。それによってしか外交などは対等には機能しない。
断言しましょう。
シナ・中国を相手に日本が渡り合える外交とは、武力行使が出来るという前提があって初めて可能なのです。現在の日本がいくら言葉で何を言ってもシナは相手にもしていないでしょう。
イスラエルとパレスチナから学ぶべきものとは?
日本は戦後、商人国家として生き延びて来ました。確かにこの間平和な時代が続いています。しかし、これも休戦期間とするならば、いずれその休戦期間も期限切れになる可能性を視野に入れておかねばなりません。
戦いを放棄した民族に未来はありません。
故に我々はイスラエルにもパレスチナに対しても何も言えない。
それはイスラエルとパレスチナが自らの生存を賭けてぶつかっているからです。安易な平和への呼びかけなど、影で笑われることがあっても、感心されることなどないと知るべきです。――
中東からシナの侵略をこの頃から大胆に予測、まさに今の時代を予想しているというか、現実です。歴史は繰り返す。
