国士(サムライ)沼山光洋さん
追悼し感謝する集いに参加

さる4月30日の譲位と5月1日の今上陛下の即位を以って、先帝陛下となられた上皇陛下だが、ご在任中の靖国御親拝は叶わなかった。

有門君が故沼山さんとお会いしたのは12年ほど前と書いているので、私もその頃に会っている。
これはデモの先頭で指揮していた沼山さんのかつての姿です。尚、後方に写っている青い服を着ているのが私です。主権回復を目指す会で内紛が起きて、ほとんどの幹部が去ってしまった時も沼山さんは最後まで残っていたが、その後、彼も靖国会の運動に専念するようになって、私との縁も切れた。
田母神氏のツイートにて簡潔明瞭に述べられているが、自らの責任を痛感されての自決であったと思われる。
何よりも驚かされたのは自決にあっても、最も塗炭の苦痛を伴なう刃物での割腹(切腹)での自決を遂げたこと。しかも、介錯人なしでの割腹である。
侍(サムライ)が、武士(もののふ)が自らの責任の取り方として、最も名誉があり、最も至難である自決にはただただ驚かされるばかりだ。
それを介錯人もなしにやるとは。昭和から平成を経て、この令和の時代にも侍は生きていた。
…沼山氏に初めてお会いしたのは、かれこれ12年前になるだろうか。場所は栃木県でのこと。
当時、筆者らは栃木県の宇都宮地裁前にて、支那人(中国人)凶悪犯に発砲して死亡させたことで民事上の責任に問われた栃木県警を支援する行動を他団体とともに展開していた。
これより私の本文

有門君が故沼山さんとお会いしたのは12年ほど前と書いているので、私もその頃に会っている。
主権回復を目指す会の副代表をなさっていたので、それから10年ほどご一緒に活動した。
この写真は宇都宮の裁判所の前で二人で横断幕を持って立っているところです。
この宇都宮における若い警察官が不法滞在の支那人犯罪者を射殺した支援活動では、いつも一緒でした。左翼弁護士が警察官を殺人罪で告訴するなどしたが、当然、我々は左翼弁護士や左翼活動家の安田浩一とやりあっていた。
御茶ノ水駅で警察官がシナ人に線路上に落とされて、足を切断して義足生活になった事件でも、我々は毎週のように御茶ノ水駅に立って支那人犯罪を糾弾した。


忘れられないのは、北京オリンピックの開催リレーの長野県における支那人暴動です。当時、支那人留学生約5千人が大挙して長野県に集結。五星紅旗を掲げて騒乱の限りを尽くしたものだが、この支那人の群れに猛然と突進を繰り返しては警察官に制止され、最も激しく揉み合っていた一人が沼山氏だった。
これはデモの先頭で指揮していた沼山さんのかつての姿です。尚、後方に写っている青い服を着ているのが私です。主権回復を目指す会で内紛が起きて、ほとんどの幹部が去ってしまった時も沼山さんは最後まで残っていたが、その後、彼も靖国会の運動に専念するようになって、私との縁も切れた。 その後、お会いしたのは昨年で田母神先生の誕生会、そして12月23日に行なわれた提灯デモで久しぶりにお会いして懐かしい話で互いに盛り上がった。
いつも笑顔を絶やさず気さくな人だったが、昨日心の中に秘めていた強烈な意志を聞くことが出来た。両親の死後あまり涙を流す機会はなかったが、展転社の荒岩社長の沼山さんの「志操と行動」には思わず涙が溢れた。
壮絶な最期は沼山さんが如何に日本の将来を憂い、後世に警鐘を鳴らさんとした覚悟の自決であったかを知った時には、会場内ではすすり泣く声や嗚咽が止まらなかった。
沼山さんが農本主義者の橘孝三郎先生の門下生であったことは知らなかった。昨日初めて知りました。「土とまごころ」を読んだこともある私は、そのことについて沼山さんと話したかったが、今となっては叶わない。
合掌
沼山光洋さんの遺言
新時代令和を迎えて
天皇陛下・皇后陛下には心より皇室の弥栄を御祈念申し上げます。
上皇陛下・上皇后陛下には心より感謝申し上げます。
皆様におかれましては、令和におかれましても益々のご健勝ご多幸を祈念申し上げます。
平成の御代に御親拝賜れなかったこと天皇陛下、御祭神の皆様に大変申し訳なくお詫びの言葉もありません。
そして、ま心を託してくださった皆様、叱咤激励してくださった皆様本当に本当に申し訳ありませんでした。
皆様からま心をお預かりして平成二十九年全国護國神社巡拝、平成三十年は九月末から
十二月末まで和田倉噴水公園脇で宮内庁職員に「天皇陛下�編⊃声匕羶毒匍Т蝓廚遼襪鮖�って朝のご挨拶を毎朝させていただきました。
全国巡拝では、昇殿参拝(巡拝時は正式参拝と表記していました)の申し込みから個人名で行い名刺も出されない限りこちらからは出しませんでした。勿論、湯澤貞先生(�編⊃声丗菷�代宮司の名前もこちらから言うことはありませんでした。参拝終了後に趣意書をお渡しする際に�編∃鬚量樵阿�ありますので民間団体であること�編⊃声劼箸鰐鬼愀犬嚢圓辰討い襪海箸鬚�伝えいたしました。最初から湯澤先生のお名前を出せば忖度されることは間違いなく、それでは本意が伝わらないのではないかと懸念しました。
しかし余計な心配でした。どちらの護國神社でも誠心誠意のお取次ぎをいただき、お陰様で一社一社ま心込めて御祈願申し上げることが出来ました。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
(各県護國神社の報告をご覧ください。)
和田倉噴水公園での朝立ちでは、地下鉄通勤をなさっている宮内庁職員の方々がどうこう出来ると思っていませんでしたが毎朝挨拶することで、御親拝を願っている日本人がいることが上層部に伝わることを願いました。
結果はこのような結果ですが、師走に入って寒くなって来た頃に宮内庁職員の方から「毎日ご苦労様」とカイロを差し入れていただきました。二回頂戴いたしました。今でも大切にとってあります。
死は生の延長である。人は生まれた瞬間から死へと向かう。豊な人、貧しい人にも必ず死は訪れる。
そしてその生命に意義を持たせるのは生きている人間である。本日五月十一日は第五筑波隊の皆様、西田高光命のご命日である。高邁なる精神で後の民族の誇りの為にと散華された、貴い意義ある生命であったと語り継げるのは生きている人間だけである。この特攻隊員の皆様の多くが大楠公、楠木正成公の「忠」の精神を紡いだ。肉体を紡ぐことは出来ないが、精神は紡ぐことが出来る。そのための土台となる時代、教育が存在していた。たった七十四年前の出来事である。
新時代令和の幕開けで祝賀一色なのは理解できるしそうあるべきであると思うが、御親拝がなかったことに対しての報道は一切なかった。私の知る限り御親拝に触れた著名人は昨年末に櫻井よしこさんと小堀桂一郎先生だけである。今ある豊かな日本は自然に出来た訳ではない。多くの先人の命の礎の上に今がある。御祭神のことが忘れ去られること無関心なことには、御祭神の皆様は微笑まれていると思いますが、寂しく感じます。
標本木には観光客が群がり、その看板まで写真に収められるが、神雷桜をはじめ約束の桜たちは掲げられている札の意味を考えられることは少ない。
祈りは神頼みの他力本願ではない
天皇陛下は祈りの存在、民族の道である。日々全てのものに祈りくださっている。それに倣い私たちも神社へ参り祈りを捧げる。
悠仁親王殿下御降臨は日本人の祈りが天に届き奇跡という必然を招いた。御誕生した瞬間にそれまで活発であった女性・女系天皇論者が影を潜めた。
私は、個人の祈りは他力本願の神頼みではなく、自分自身への決意・自覚・戒めだと思っている。神前で祈り感謝申し上げ祈願する。そのことにより、善い思い善い行いを心がけ実践する。その繰り返しが日本人の道徳観であり、ご加護を受けている安心感が現実社会の秩序の基本になっていると思っている。
子供の頃言われた「お天道様が見ている」である。善いことも、悪いこともお天道様はお見通しである。
天皇陛下が示されている行動実践こそ「祈り」の形ではないかと思う。
昭和天皇 御祭神 松平永芳宮司を侮辱する「富田メモ」
何より残念だったのは現役神職が「富田メモ」を信じ、昭和天皇、御祭神である昭和殉難者、松平永芳宮司を侮辱して憚らないことです。また、御創立百五十年というのは節目ではない、御親拝はなくて当然それが神社の常識と嘯くが、大正天皇は御創立五十年で御親拝あそばされているし何よりも昭和天皇の最後の御親拝は所謂「終戦三十年」神社の常識、節目ではない「終戦三十年」である。しかも�編⊃声劼�ら御親拝を御願い申し出ている。
天皇陛下御望みになられ、御祭神の皆様が待ち焦がれている御親拝を実現する努力よりも、出来ないやらない理由ばかり並び立てる。
「富田メモ」が出てきた平成十八年は小泉純一郎首相が在任最後に八月十五日に参拝すると公言していたその年七月二十日である。その「富田メモ」がどのように利用されたかは皆様ご存知のように小泉首相の参拝中止運動に利用された。他のページで詳述しているので省くが、昭和天皇がたった数人の自分の気に入らない昭和殉難者のために他の二百四十六万六千余柱を蔑ろにする薄情な国家元首であると「富田メモ」は言っているのである。その平和を愛される昭和天皇が否定した昭和殉難者が祀られる�編⊃声劼愍�泉首相は参拝するのかと迫ったのである。
松平宮司は「忠」の人である。禁闕(きんけつ)守護の一念、海軍出身であったが、いざという時海の上にいたのでは皇居に駆けつけられないと陸上自衛隊に鞍替えしたと聞いている。その尊王心の塊のような松平宮司を死後、昭和天皇を御不快にさせた宮司として誹謗中傷する富田メモを信じるというのは、繰り返し残念で悲しい。
御親拝中断の元凶は昭和五十年十一月二十日第76回内閣委員会が原因である。
神職は使命である
私は湯澤貞�編⊃声丗菷�代宮司の退任後、�編∃鯀軋紊鬚�引き受けいただきご指導をいただいた。また、大山晋吾先生が�編⊃声區誠�時代先生の主宰される「武士道研究会」でご指導いただいた。お二人と接して感じていたのは神職は職業ではない、「使命」であるということを強く感じました。天皇陛下に対しては勿論、御祭神に対する深い崇敬・敬愛、ま心を非常に強く感じました。
それだけに、御祭神が昭和天皇を御不快にさせ御親拝がなくなったと信じながら毎日奉仕する神職がいることに非常に悲しくなりました。
勅使の差遣をいただいている、皇族方から真榊も参拝もいただいているのでご安心ください。という方もいますが、それは、私もよく、負け惜しみで使う言葉でした。�編⊃声劼鰐声E傾弔瞭段未併廚珪い靴埜譱藁�いただいた「特別」な神社だと信じています。神社界の前例を踏襲しなくても良い「特別」な神社だと思います。全ては醜(しこ)の御楯と散華された御祭神中心で良いと思っていました。それが神社本庁の組織・施設維持の唯物主義が�編⊃声劼砲皹洞舛魑擇椶刑鯒�の徳川康久宮司追い出しへと繋がったと思います。�編⊃声劼録声卷楪�に属していませんが、非常に密接な関係です。小田村四郎先生は病床で徳川宮司支持を明言されていたことを聞いております。小田村先生がお亡くなりになった途端総代会で徳川宮司解任が決まったそうですが、御創立百五十年に御親拝があり、徳川康久宮司が御奉仕される、それが明治維新の総括にもなると思っていたので残念極まりなかったです。神社本庁の思惑はいずれ表沙汰になると信じています。
「お天道様が見ている」です。
覇権は永遠には続かない
近代、明治維新から日本は常に良くも悪くも新興国家米国の絶大な暴力に時に抗い、時に従い共に歩んできた。
キリスト暦で言うところの十九世紀、二十世紀は米国白人至上主義が世界の中心だったと思う。
航空機、通信技術の進歩により時間的空間的に世界は小さくなり、宗教的背景を持つ白人至上主義は建前上絶大な暴力を封印せざる得なくなった。現在は米国、ロシア、支那の三国時代に突入したと思う。依然として米国が絶大な暴力を維持しているが、現代では「建前」が邪魔をしている、ロシア、支那にはその「建前」があまり通用しない。問題なのは、地政学的に日本は支那・ロシアと近く非常に危険な場所に位置していることである。
特に支那は「戦わずして勝つ」という時間をかけての侵略が出来る民族である。精神侵略から始まり、現在は移住が始まり人口侵略が始まっている。今後帰化した支那人議員が輩出され始めるだろう。
民族の生命力の強い支那人と弱くなっていく日本人で、どう向き合っていくか。政治は売国政策を積み重ねている。
チベットやウイグルのような支那による直接支配も遠い未来ではない。
愛国団体は�編⊃声辧Ω醴⊃声劼覇�本人の手本たれ
愛国団体の皆様には、�編⊃声辧Ω醴⊃声劼覇�本人の手本となっていただけるよう切にお願い申し上げます。
参拝作法もですが、衛士の皆様、清掃の皆様に「ご苦労様」の一声をお願いしたいと思います。
同じように制服警官、消防官にも日常的に「ご苦労様」の一声をお願いしたく存じます。
特にことあるごとに社頭で「賽銭泥棒」行為をする「愛国無罪」団体は御祭神を無視し、心正しい参拝者の善意を踏みにじる卑しい行為であることを理解しやめていただきたい。
五月十一日は第五筑波隊の皆様、西田高光命のご命日です
平成の御世で御親拝賜らなかったということは令和で御親拝賜る可能性も低いでしょう。
御祭神の皆様は御親拝がなくても、現在の物質的に豊な日本を見てきっと微笑まれていると思います。
御祭神の皆様は自分達のことを忘れたとしても微笑まれてくださるでしょう。
昭和二十年四月鹿児島県鹿屋海軍特別攻撃隊神雷部隊へ山岡荘一は報道班員として赴任した。
そして有名な西田高光命の言葉
「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・」
との言葉を残した。大山晋吾先生から教わり、二十二歳の若者が後の日本人の「誇り」のために我が身を捧げる、散華すると明言していることに感動を覚えました。そして大分縣護國神社の八坂宮司様後藤尚禰宜様のお計らいで西田家を訪問しお墓参りをすることが出来ました。このことも http://yasukuni.jugem.jp/?day=20170513 こちらで報告しておりますのでご覧ください。
いつの頃からか西田高光命とメイ・フォン・ハウエルさん日本名坂明子さんが私の憧れの人物となっていました。坂明子さんは詳細が分からないことだらけですが、「�編△�ばさん」と呼ばれ親しまれていたそうです。下記の数行の活字だけでも時代のおおらかさ、坂明子さんが誠心誠意御祭神と傷痍軍人ご遺族に奉仕されていたことが分かります。たぶん、ご本人もご遺族だと思います。
�編⊃声夘看�史より
昭和三十六年 辛丑(かのと)(西暦一九六一)
二月十一日オーストリア人メイ・フォン・ハウエル(日本名阪明子)特別参拝す。
二月十二日オーストリア人メイ・フォン・ハウエル(日本名阪明子)は、終戦後傷痍軍人への慰問とその更生に尽力する傍ら、二十一年十一月より社頭の清掃奉仕を始め、三十年六月には居を境内に移して神社への奉仕に専心していたが、この度、三十三年ぶりに故国オーストリアに帰ることとなり、是日の朝、横浜港を出港す。筑波宮司・池田権宮司以下有志職員見送りをなす。十月十一日再来日。四十四年三月十日歿(七五歳)
詳しくは�編⊃声丗莠径綉椹並臾扈唸�著「特攻魂のままに」
いざさらば我はみくにの山桜 �編⊃声卻�
をご覧ください。共に展転社発行です。
忘れないこと、語り継ぐことこそ今を生かされている日本人の務めだと思います。平成の三十年間に御親拝を賜らなかった今、今後難しいと思います。時間の経過と共に昭和天皇が御親拝出来なくなった事実がどこまでも歪められ、�編⊃声劼慮羣弯世寮弧燭琉婬舛�忘れ去られたときに民族の「誇り」は消え去るでしょう。
どうか皆様、良識ある日本人として�編⊃声劼膨辰泙觚羣弯澄γ蚓遒寮弧燭琉婬舛鮴気靴�後世に紡いで行きましょう。
長々と泣き言、負け惜しみを連ねました。人間にとって最大の病は絶望と言いますが、ならば希望は最高の良薬の筈です。新時代令和を元気に明るく希望を持って皇室の弥栄、民族の誇りを守る為に邁進いたしましょう。
天皇陛下萬歳
我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき
明治七年一月二十七日御製
皇紀二千六百七十九年
令和元年五月十一日 沼山光洋
天皇陛下・皇后陛下には心より皇室の弥栄を御祈念申し上げます。
上皇陛下・上皇后陛下には心より感謝申し上げます。
皆様におかれましては、令和におかれましても益々のご健勝ご多幸を祈念申し上げます。
平成の御代に御親拝賜れなかったこと天皇陛下、御祭神の皆様に大変申し訳なくお詫びの言葉もありません。
そして、ま心を託してくださった皆様、叱咤激励してくださった皆様本当に本当に申し訳ありませんでした。
皆様からま心をお預かりして平成二十九年全国護國神社巡拝、平成三十年は九月末から
十二月末まで和田倉噴水公園脇で宮内庁職員に「天皇陛下�編⊃声匕羶毒匍Т蝓廚遼襪鮖�って朝のご挨拶を毎朝させていただきました。
全国巡拝では、昇殿参拝(巡拝時は正式参拝と表記していました)の申し込みから個人名で行い名刺も出されない限りこちらからは出しませんでした。勿論、湯澤貞先生(�編⊃声丗菷�代宮司の名前もこちらから言うことはありませんでした。参拝終了後に趣意書をお渡しする際に�編∃鬚量樵阿�ありますので民間団体であること�編⊃声劼箸鰐鬼愀犬嚢圓辰討い襪海箸鬚�伝えいたしました。最初から湯澤先生のお名前を出せば忖度されることは間違いなく、それでは本意が伝わらないのではないかと懸念しました。
しかし余計な心配でした。どちらの護國神社でも誠心誠意のお取次ぎをいただき、お陰様で一社一社ま心込めて御祈願申し上げることが出来ました。改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。
(各県護國神社の報告をご覧ください。)
和田倉噴水公園での朝立ちでは、地下鉄通勤をなさっている宮内庁職員の方々がどうこう出来ると思っていませんでしたが毎朝挨拶することで、御親拝を願っている日本人がいることが上層部に伝わることを願いました。
結果はこのような結果ですが、師走に入って寒くなって来た頃に宮内庁職員の方から「毎日ご苦労様」とカイロを差し入れていただきました。二回頂戴いたしました。今でも大切にとってあります。
死は生の延長である。人は生まれた瞬間から死へと向かう。豊な人、貧しい人にも必ず死は訪れる。
そしてその生命に意義を持たせるのは生きている人間である。本日五月十一日は第五筑波隊の皆様、西田高光命のご命日である。高邁なる精神で後の民族の誇りの為にと散華された、貴い意義ある生命であったと語り継げるのは生きている人間だけである。この特攻隊員の皆様の多くが大楠公、楠木正成公の「忠」の精神を紡いだ。肉体を紡ぐことは出来ないが、精神は紡ぐことが出来る。そのための土台となる時代、教育が存在していた。たった七十四年前の出来事である。
新時代令和の幕開けで祝賀一色なのは理解できるしそうあるべきであると思うが、御親拝がなかったことに対しての報道は一切なかった。私の知る限り御親拝に触れた著名人は昨年末に櫻井よしこさんと小堀桂一郎先生だけである。今ある豊かな日本は自然に出来た訳ではない。多くの先人の命の礎の上に今がある。御祭神のことが忘れ去られること無関心なことには、御祭神の皆様は微笑まれていると思いますが、寂しく感じます。
標本木には観光客が群がり、その看板まで写真に収められるが、神雷桜をはじめ約束の桜たちは掲げられている札の意味を考えられることは少ない。
祈りは神頼みの他力本願ではない
天皇陛下は祈りの存在、民族の道である。日々全てのものに祈りくださっている。それに倣い私たちも神社へ参り祈りを捧げる。
悠仁親王殿下御降臨は日本人の祈りが天に届き奇跡という必然を招いた。御誕生した瞬間にそれまで活発であった女性・女系天皇論者が影を潜めた。
私は、個人の祈りは他力本願の神頼みではなく、自分自身への決意・自覚・戒めだと思っている。神前で祈り感謝申し上げ祈願する。そのことにより、善い思い善い行いを心がけ実践する。その繰り返しが日本人の道徳観であり、ご加護を受けている安心感が現実社会の秩序の基本になっていると思っている。
子供の頃言われた「お天道様が見ている」である。善いことも、悪いこともお天道様はお見通しである。
天皇陛下が示されている行動実践こそ「祈り」の形ではないかと思う。
昭和天皇 御祭神 松平永芳宮司を侮辱する「富田メモ」
何より残念だったのは現役神職が「富田メモ」を信じ、昭和天皇、御祭神である昭和殉難者、松平永芳宮司を侮辱して憚らないことです。また、御創立百五十年というのは節目ではない、御親拝はなくて当然それが神社の常識と嘯くが、大正天皇は御創立五十年で御親拝あそばされているし何よりも昭和天皇の最後の御親拝は所謂「終戦三十年」神社の常識、節目ではない「終戦三十年」である。しかも�編⊃声劼�ら御親拝を御願い申し出ている。
天皇陛下御望みになられ、御祭神の皆様が待ち焦がれている御親拝を実現する努力よりも、出来ないやらない理由ばかり並び立てる。
「富田メモ」が出てきた平成十八年は小泉純一郎首相が在任最後に八月十五日に参拝すると公言していたその年七月二十日である。その「富田メモ」がどのように利用されたかは皆様ご存知のように小泉首相の参拝中止運動に利用された。他のページで詳述しているので省くが、昭和天皇がたった数人の自分の気に入らない昭和殉難者のために他の二百四十六万六千余柱を蔑ろにする薄情な国家元首であると「富田メモ」は言っているのである。その平和を愛される昭和天皇が否定した昭和殉難者が祀られる�編⊃声劼愍�泉首相は参拝するのかと迫ったのである。
松平宮司は「忠」の人である。禁闕(きんけつ)守護の一念、海軍出身であったが、いざという時海の上にいたのでは皇居に駆けつけられないと陸上自衛隊に鞍替えしたと聞いている。その尊王心の塊のような松平宮司を死後、昭和天皇を御不快にさせた宮司として誹謗中傷する富田メモを信じるというのは、繰り返し残念で悲しい。
御親拝中断の元凶は昭和五十年十一月二十日第76回内閣委員会が原因である。
神職は使命である
私は湯澤貞�編⊃声丗菷�代宮司の退任後、�編∃鯀軋紊鬚�引き受けいただきご指導をいただいた。また、大山晋吾先生が�編⊃声區誠�時代先生の主宰される「武士道研究会」でご指導いただいた。お二人と接して感じていたのは神職は職業ではない、「使命」であるということを強く感じました。天皇陛下に対しては勿論、御祭神に対する深い崇敬・敬愛、ま心を非常に強く感じました。
それだけに、御祭神が昭和天皇を御不快にさせ御親拝がなくなったと信じながら毎日奉仕する神職がいることに非常に悲しくなりました。
勅使の差遣をいただいている、皇族方から真榊も参拝もいただいているのでご安心ください。という方もいますが、それは、私もよく、負け惜しみで使う言葉でした。�編⊃声劼鰐声E傾弔瞭段未併廚珪い靴埜譱藁�いただいた「特別」な神社だと信じています。神社界の前例を踏襲しなくても良い「特別」な神社だと思います。全ては醜(しこ)の御楯と散華された御祭神中心で良いと思っていました。それが神社本庁の組織・施設維持の唯物主義が�編⊃声劼砲皹洞舛魑擇椶刑鯒�の徳川康久宮司追い出しへと繋がったと思います。�編⊃声劼録声卷楪�に属していませんが、非常に密接な関係です。小田村四郎先生は病床で徳川宮司支持を明言されていたことを聞いております。小田村先生がお亡くなりになった途端総代会で徳川宮司解任が決まったそうですが、御創立百五十年に御親拝があり、徳川康久宮司が御奉仕される、それが明治維新の総括にもなると思っていたので残念極まりなかったです。神社本庁の思惑はいずれ表沙汰になると信じています。
「お天道様が見ている」です。
覇権は永遠には続かない
近代、明治維新から日本は常に良くも悪くも新興国家米国の絶大な暴力に時に抗い、時に従い共に歩んできた。
キリスト暦で言うところの十九世紀、二十世紀は米国白人至上主義が世界の中心だったと思う。
航空機、通信技術の進歩により時間的空間的に世界は小さくなり、宗教的背景を持つ白人至上主義は建前上絶大な暴力を封印せざる得なくなった。現在は米国、ロシア、支那の三国時代に突入したと思う。依然として米国が絶大な暴力を維持しているが、現代では「建前」が邪魔をしている、ロシア、支那にはその「建前」があまり通用しない。問題なのは、地政学的に日本は支那・ロシアと近く非常に危険な場所に位置していることである。
特に支那は「戦わずして勝つ」という時間をかけての侵略が出来る民族である。精神侵略から始まり、現在は移住が始まり人口侵略が始まっている。今後帰化した支那人議員が輩出され始めるだろう。
民族の生命力の強い支那人と弱くなっていく日本人で、どう向き合っていくか。政治は売国政策を積み重ねている。
チベットやウイグルのような支那による直接支配も遠い未来ではない。
愛国団体は�編⊃声辧Ω醴⊃声劼覇�本人の手本たれ
愛国団体の皆様には、�編⊃声辧Ω醴⊃声劼覇�本人の手本となっていただけるよう切にお願い申し上げます。
参拝作法もですが、衛士の皆様、清掃の皆様に「ご苦労様」の一声をお願いしたいと思います。
同じように制服警官、消防官にも日常的に「ご苦労様」の一声をお願いしたく存じます。
特にことあるごとに社頭で「賽銭泥棒」行為をする「愛国無罪」団体は御祭神を無視し、心正しい参拝者の善意を踏みにじる卑しい行為であることを理解しやめていただきたい。
五月十一日は第五筑波隊の皆様、西田高光命のご命日です
平成の御世で御親拝賜らなかったということは令和で御親拝賜る可能性も低いでしょう。
御祭神の皆様は御親拝がなくても、現在の物質的に豊な日本を見てきっと微笑まれていると思います。
御祭神の皆様は自分達のことを忘れたとしても微笑まれてくださるでしょう。
昭和二十年四月鹿児島県鹿屋海軍特別攻撃隊神雷部隊へ山岡荘一は報道班員として赴任した。
そして有名な西田高光命の言葉
「学鷲は一応インテリです。そう簡単に勝てるなどとは思っていません。しかし負けたとしても、そのあとはどうなるのです・・・おわかりでしょう。われわれの生命は講和の条件にも、その後の日本人にもつながっていますよ。そう、民族の誇りに・・・」
との言葉を残した。大山晋吾先生から教わり、二十二歳の若者が後の日本人の「誇り」のために我が身を捧げる、散華すると明言していることに感動を覚えました。そして大分縣護國神社の八坂宮司様後藤尚禰宜様のお計らいで西田家を訪問しお墓参りをすることが出来ました。このことも http://yasukuni.jugem.jp/?day=20170513 こちらで報告しておりますのでご覧ください。
いつの頃からか西田高光命とメイ・フォン・ハウエルさん日本名坂明子さんが私の憧れの人物となっていました。坂明子さんは詳細が分からないことだらけですが、「�編△�ばさん」と呼ばれ親しまれていたそうです。下記の数行の活字だけでも時代のおおらかさ、坂明子さんが誠心誠意御祭神と傷痍軍人ご遺族に奉仕されていたことが分かります。たぶん、ご本人もご遺族だと思います。
�編⊃声夘看�史より
昭和三十六年 辛丑(かのと)(西暦一九六一)
二月十一日オーストリア人メイ・フォン・ハウエル(日本名阪明子)特別参拝す。
二月十二日オーストリア人メイ・フォン・ハウエル(日本名阪明子)は、終戦後傷痍軍人への慰問とその更生に尽力する傍ら、二十一年十一月より社頭の清掃奉仕を始め、三十年六月には居を境内に移して神社への奉仕に専心していたが、この度、三十三年ぶりに故国オーストリアに帰ることとなり、是日の朝、横浜港を出港す。筑波宮司・池田権宮司以下有志職員見送りをなす。十月十一日再来日。四十四年三月十日歿(七五歳)
詳しくは�編⊃声丗莠径綉椹並臾扈唸�著「特攻魂のままに」
いざさらば我はみくにの山桜 �編⊃声卻�
をご覧ください。共に展転社発行です。
忘れないこと、語り継ぐことこそ今を生かされている日本人の務めだと思います。平成の三十年間に御親拝を賜らなかった今、今後難しいと思います。時間の経過と共に昭和天皇が御親拝出来なくなった事実がどこまでも歪められ、�編⊃声劼慮羣弯世寮弧燭琉婬舛�忘れ去られたときに民族の「誇り」は消え去るでしょう。
どうか皆様、良識ある日本人として�編⊃声劼膨辰泙觚羣弯澄γ蚓遒寮弧燭琉婬舛鮴気靴�後世に紡いで行きましょう。
長々と泣き言、負け惜しみを連ねました。人間にとって最大の病は絶望と言いますが、ならば希望は最高の良薬の筈です。新時代令和を元気に明るく希望を持って皇室の弥栄、民族の誇りを守る為に邁進いたしましょう。
天皇陛下萬歳
我國の為をつくせる人々の名もむさし野にとむる玉かき
明治七年一月二十七日御製
皇紀二千六百七十九年
令和元年五月十一日 沼山光洋
