5月12日 川崎市街宣告知
あえて告知する理由について
明日、5月12日2時より川崎駅前にて街宣をおこないます。この件に関して先ずはお知らせすべきことがあります。神奈川県本部長・中村和弘本部長のサイトからです。
1、日本第一党神奈川県本部では今後、神奈川県各市町村にて党勢拡大を目指してゆきたく計画を致しております。主な活動としましては、街頭演説会、チラシ配りなどを中心に日本第一党・ポスターを貼って頂ける協力者を募ってゆきたく思います。2、川崎市川崎区街頭演説会 この街頭演説会は昨年より神奈川県本部が定期的に行っているものですが、今後も定例街宣として行ってゆきます。
賛否両論の川崎街宣ですが、多くの批判を頂いている
� 峅晋痢∨験下圓�来るのに街宣を告知するのか」
�◆嵬槊�ちたい騒ぎたいだけでは」
��「街宣とは市民に聞いていただくものではないか」
�ぁ嶌戸稻験伽�力との対決は日本第一党のイメージダウンとなる」
について私個人としての考えを述べます。
本来、政治団体が正しく許可をされた政治活動、政策周知活動を行う上で、その行動を隠さなくてはならないという道理はないかと思います。しかし、ご批判の中には告知街宣には妨害が多く市民に声が届かないではないかとのご意見も少なからずあるのも事実です。
この川崎街宣において日本第一党神奈川県本部では録音用に別のマイクを使用しており弁士の演説を動画で再生する場合には綺麗に聞こえるよう工夫をしております。日本第一党神奈川県本部では街頭演説会の際には動画で記録を残し広く拡散をするよう努力を致しておりますが、告知しておこなった街頭演説会の再生回数は桜井党首、瀬戸最高顧問などの著名弁士に参加いただいた演説会を除いた他の街頭演説会よりも再生回数が多くなっております。また、日本第一党神奈川県本部では多くの無告知街宣も行っておりますが、ご批判を頂く方々も含め無告知街宣のほうはご存知ない方が多いという事も事実ではないでしょうか。
多くの問題を抱えている川崎市において、この告知街宣により川崎市における左翼暴力問題、そして左翼妨害勢力の存在、ヘイトスピーチと批判をされる日本第一党の演説に関する真実が拡散できているのではないかと思います。その結果日本第一党を支持するしないなどは、あくまで国民の選択であり日本第一党としては一人でも多くの方に真実を知って頂けますよう努力を続けてゆくべきと考えまます。
妨害勢力の意図をする日本第一党のイメージダウンに利用をされているという懸念はご指摘を頂くように確かにございますが、それを鑑みた場合にも国民に問題の真実を伝えるという日本第一党の責務は非常に重いものであり日本第一党として、その真摯なる国思う活動こそが次の世代の党員及び支持者の獲得そして若き真の保守政治家を誕生させる正道ではないでしょうか。もちろん、現在の日本第一党も国民にご理解を頂ける努力は日々行いますが、誤解曲解を恐れることなく日本第一党は国旗を堂々と掲げて活動を行い日本第一主義を貫いて参ります。その道が近きものであるか遠きものであるかは、これも知る権利を満たした国民の選択でしかないと考えます。
以上
私も概ねこの考えと同じです。反対勢力が200名も参集し大騒ぎをすると言っているなかで、こちら側はその一割以下の参加者かも知れません。しかし、数の問題だけではなく、この川崎で活動を続けることの意義は非常に大きいものがあると感じています。
選挙で敗れたから意気消沈しているのも事実です。しかし、そのような結果に左右されることなく、今後も続けて行きます。ただし、今後は無告知の場合も多くなります。それは街宣車をこの川崎の地に置いておき、駅前に限らず川崎市全域で今後活動を予定しているからです。
さて、川崎区の池上町公園で第一声を行い妨害を受けた件で、正式に弁護士先生に頼んで告訴することにしました。今後警察がどのように判断するかはわかりませんが、このままにしておくことは許されません。
被告訴人野間は告訴人の落選が決まった後の4月10日のインターネット上のサイト『のりこえネット』で放送している番組『NO HATE TV』に出演し、自身の前記妨害行為が「公職選挙法上の自由妨害罪」に該当し、「検挙されて、罪に問われると認識しながら裁判になればいいと思って」やったことを公言し、もって民主主義の根底となる法秩序に対する挑発的発言を行った。(告訴状の中身の一部)
本人が検挙されて裁判になればいいと思った・・・と言っている以上、こちら側も告訴しなければならない立場です。
この『NO HATE TV』では池上町公園での第一声は「しばき隊魂」に火をつけたなどと野間易通は語り、同時に出演した安田浩一は不法占拠ではないと言っていた。
日本が戦争に敗れた為に、日本側の企業は朝鮮人を雇用し続ける訳にはいかずにこれまでの宿舎から追い出し、朝鮮人は仕方なくそこに住んだなどと言っていた。
しかし、下記のサイトにもあるように、池上町公園に住み着いた人はそのような人ばかりではなかった。それは自ら朝鮮人が認めているのに、それを否定しているのは余りにも滑稽すぎないか?
夫が徴用されて(21歳)
イ・プンジョさん
(女性 87歳) 足跡:韓国慶尚北道→福岡→川崎→栃木に疎開→川崎


イ・プンジョさん
(女性 87歳) 足跡:韓国慶尚北道→福岡→川崎→栃木に疎開→川崎


〈九州の炭鉱での仕事ぶりを聞かれて〉
九州は大きい会社があって、そこによく石炭を山盛りにした車が20台、30台も連なってきた。石炭が落ちてきたら死ぬ、危ない仕事だった。石炭が落ちてできた傷が今も残っている(足の傷を見せてくれた)。石炭がくるくるくるっと落ちてきて、尖った部分が骨のあるところに刺さった。日本人が赤ちんをつけてくれたが、その後もずっと仕事をさせられた。そうしたら、また血が出てきたから、包帯を巻いて仕事をした。(略)
朝鮮にいた時、日本行きは急に決まった。日本の人はみんな徴兵に行って、国内の仕事をする人がいないからたくさん朝鮮から引っ張ってきた。炭鉱の仕事は朝鮮人ばっかりだった。男も女もいた。給料は少なくて1円50銭だった。日本人はあまりいなくて、たまにいると、同じ仕事をしていても、給料は朝鮮人より多かった。1円80銭だった。
朝鮮にいた時、日本行きは急に決まった。日本の人はみんな徴兵に行って、国内の仕事をする人がいないからたくさん朝鮮から引っ張ってきた。炭鉱の仕事は朝鮮人ばっかりだった。男も女もいた。給料は少なくて1円50銭だった。日本人はあまりいなくて、たまにいると、同じ仕事をしていても、給料は朝鮮人より多かった。1円80銭だった。
〈終戦直後の川崎で〉
うちも朝鮮へ帰ろうと思ったけど、切符がなかなか取れなかった。その時はヤミでしか手に入れられなかったから。川崎の駅のキング通りは終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした。うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。向こうのみんなが日本に帰ってきたから、自分たちも帰るのをやめた。今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた呉服屋以外、みんな戦後勝手に振り分けた土地の所有者が代々継いできた店。
うちも朝鮮へ帰ろうと思ったけど、切符がなかなか取れなかった。その時はヤミでしか手に入れられなかったから。川崎の駅のキング通りは終戦直後は、みんな焼け野原で店は一軒しかなかった。土地は誰のものでもなくて、みんな勝手に自分の土地にした。うちは韓国に帰るつもりだったから、そういうことはしなかった。向こうのみんなが日本に帰ってきたから、自分たちも帰るのをやめた。今ある川崎駅近くの店は、一軒残っていた呉服屋以外、みんな戦後勝手に振り分けた土地の所有者が代々継いできた店。
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