「朝日新聞社」の策略!「松井大将陣中日誌」改ざん事件報道
ブログを10年も書いていると、もう殆どの件については触れている。この南京問題に関してもそうだ。このシリーズをこれから続けるに当たって過去ログをあげておきますので、この問題にこれまで余り知らないという人がいたら、是非この過去ログを先ずはお読み下さい。
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南京事件と松井大将
写真:田中正明先生の不朽の名著
東京裁判において松井石根被告(元陸軍大将)は南京事件の責任だけで死刑に処せられた。訴因の第一から第五十四までは全て無罪であったのに、第五十五のみが有罪として絞首刑になったのである。
これを早くから冤罪であると訴えてきたのが、この松井大将に昭和8年から昭和17年12月に応招されるまで、約10年間を民間人として仕えた田中正明先生であった。
私の日記にはこの田中正明先生との初めての出会いを、感動の一日として次のように記されている。
「昭和61年11月13日(木) 私は大阪市天王寺区の浪速会館で、明日を考える時局講演会(教育シンポジウム実行委員会主催)に参加をさせてもらいました。
講師は不朽の名著である『パール博士の日本無罪論』の著者である田中正明先生です。シンポジウムの名称は『過去・現在・未来・錯誤の中にある戦後史観・今こそ近・現代史の核心を問う!』と題されたものでした。
司会は皇學館学校教諭・三輪尚信先生で、最初に福井大学教育学部助教授・小林道徳先生の講演がありました。当時、私はこのシンポジウムを開催した丸山栄一氏と親交があり連絡を受けたものです。
なぜ、私がわざわざ大阪まで出かけて行ったかといえば、それは田中正明先生の話をどうしても伺いたいと思ったからです。先生の著書の愛読者でもありました。
田中正明先生はこの講演の中で、東京軍事裁判の不当性について話をされました。私は先生の書物で初めて南京大虐殺といわれるものが、戦勝国によって捏造された虚偽の事件であることを知ったのです。
この時の話を箇条書きにメモしてありましたので、それを綴らせて頂きます。
東京裁判の狙いはいかに戦場における日本の軍隊が残虐であったかを世界中に喧伝するために持ち出されたものである。
これは言い換えれば日本の皇軍とは秩序正しく、如何なる場合においても、そのような非道な振る舞いはしない―という、これまで世界の人達が認識していたものを崩すことにあった。
そのために戦勝国はおびただしい証拠と証人をこの東京裁判に集中させた。しかし、その証拠及び証人の多くが伝聞であり、戦勝国側の現地における一方的な聴取であった。
松井大将は南京の市民を保護する目的がありながら、その義務を履行することを怠ったとして犯罪者として絞首刑に処せられた。しかし、これはインドのパール判事が当時の東京裁判の意見書の中で述べているように極めて不自然なものだった。
松井大将は当時南京は中国の首都であり、外国の特派員も多数おり、万が一にも民間人などを巻き込むことがあったら、それは世界中に打電されるとして、全軍に対して仔細なる訓令を出していた。
それによれば、一般居留民並びに中国民衆を紛争に巻き込まないように常に留意して、外国出先機関とも密接なる連絡を保持するように命令を発していた。
この命令は外国の権益を侵したり、民衆への略奪行為を行なう者は厳重に処罰するとあった。南京攻略に際して日本軍の虐殺があったとの報告は全くなかった。
現に当時の外国の新聞に日本軍が虐殺したという報道は一行もなされてはいなかった。この事件が明るみになったのは東京裁判において、初めて提起されたものである。
田中正明先生は処刑直前に松井大将から手紙を頂いた事を話されました。その手紙の文面には自らが冤罪で処刑されるにも関わらず、次のように記されてあったといいます。
―誰を恨み、何を嘆こうぞ、これで何もかもさっぱりした。このうえは自他平等の世を念じつつ永遠の眠りにつきたい―
この手紙を書いたその日の夜、松井大将は「天皇陛下万歳!」と言いながら、静かにしっかりとした足取りで13階段を上って行ったそうであります。
その後、何回か会合などで田中正明先生とはお会いする機会がありました。先生がよく口にされていたことですが、南京大虐殺の真意を語ることは、東京裁判を否定することになる。
それは容易なことではないが、それをせずして日本国の再生は有り得ない。戦勝国はドイツに対しては『ニュルンベルグ裁判』でユダヤ人虐殺を人道に対する罪としてこれを裁いた。
日本に対しても、どうしても人道に対する罪を被せる必要があった。それは自らの原爆投下に対する後ろめたさからであった。しかし、どうしても人道に対する罪など探しても見当たらない。
そこで南京大虐殺などをデッチあげたのである。広島・長崎への原爆投下、日本の主要都市への空襲、これらの犠牲者の数を上回る大虐殺をどうしても、彼らはでっち上げたかったのです。
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私が田中正明先生とお会いしたのはこの時が初めてでした。会場にはたくさんの人がいた。この時の私の年齢ですが34歳のときです。この歳ならば若者の部類でしょうが、私と同じ年代の若者が多数会場では見かけた。
熱心にメモを取る人、誰もが真剣なまなざしを向けていた。この頃田中正明先生は若者の精神的な支柱のような存在であったのではないか?
そして何よりも朝日新聞社によって傷つけられていた。当時田中正明先生に心酔している若者が多かった。私もその一人だったが、朝日新聞社に対する強い憤りを持っていたが、それは田中先生に関する朝日新聞社の報道によるものだった。
同じ思いを持つ当時の若者達がこぞって田中先生の講演会などに集まり、その後の懇親会などで朝日新聞社への批判を口にして、所謂鬱憤をぶちまけていたのはいつも目にする光景だった。
少し長くなるが次の文章を掲載します。感心のある方は是非読んで下さい。この連載記事を続けて行くうえで非常に重要なものとなります。
田中正明著『南京事件の総括 虐殺否定15の論拠』謙光社あとがきより
昭和60年11月24、5の2日間にわたって、朝日新聞は私の編著した『松井石根大将の陣中日誌』〈芙蓉書房刊行〉について、「『南京虐殺』史料に改ざん/900ヶ所原文とズレ」と題して、翌日はまた「『南京虐殺』ひたすら隠す/田中氏の松井大将の日誌改ざん」と題して、両日とも九段、白ヌキ見出しという派手な扱いで大々的に取り上げて私を誹謗しました。
前日拙宅に「朝日」の記者が来訪し、コメントを求めたが、私は「改ざんの覚えはない、どこがどうズレているのか、調べるまで発表を待って欲しい」と言いましたが、しかしその翌日前述の記事となり、しかも私が言いもしない「申し訳ない」という詫びごとまでねつ造して、いかにも私が意図的な改ざんを認めたかのような記事になっており、有無も言わせぬ切り捨て御免の弾劾記事となった次第。反論も、弁解も許されない、一方的な断罪です。私は「朝日」にさっそく釈明の一文を投稿しましたが、もちろん一顧だにされず没書となりました。
「朝日」は本著でも紹介しているように、終始一貫して南京に虐殺があったとしてキャンペーンを張っている新聞であります。私の抗議や反論など取り上げようはずがありません。
数百万部を発行する大新聞が、二日間にわたって私を非難し、その弁明の余地さえ与えられないということは、いったい私の人権はどういうことになるのか?新聞は第四の権力と言われていますが、ひとたびマスコミのターゲットにされた者からすると、これほど無残な、反論も反駁もできない、ほどこす術もない一方的な暴力はありません。世の中には、マスコミの暴力の一撃をくらって、反論も弁解も許されず、いかに多くの人権が踏みにじられたまま泣き寝入りさせられているケースが多いことか、今更ながら思わずにはいられませんでした。自殺した高校の先生、取りつぶされた病院、名誉毀損や人権回復のため、多くの訴訟事件がマスコミ相手に起きていますが、しかし、これらはほんの氷山の一角にすぎないのではないでしょうか。
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私が改ざんしたと称される『松井大将の陣中日誌』と私の記述とのズレは、板倉由明氏が中公出版の「歴史と人物」(60年冬期号)でくわしく指摘しているが、氏の推定箇所以外はほぼまちがいありません。専門家が二ヶ月かけて、松井大将の日記と私の文章を対比したと言いますが、それをごらん頂いてもおわかりの通り、「南京事件」を隠すために、意図的に改ざんしたものでは毛頭ありません。だいいち大将の日誌には、南京に“虐殺”事件があった、なかった、などということとはまったく無関係なのです。
隠さなければならぬことは何もないのです。そのほとんどは、私の筆耕の誤植、脱落、あるいは注記すべきところをしなかった等の不注意によるものであります。それを「『南京虐殺』ひたすら隠す」といかにも私が実在した“虐殺事件”を秘匿したかのごとく誹謗したのです。
なにぶんにも兵馬こうそうの間に走り書きされた日記で、しかも大将独特の難解な草書体で読みとることのできない不明の箇所が多く、その中の一字を判読するのに、三時間も四時間も要し、それでもなお読みとることができなかった例がいく箇所もありました。
このほかに、不鮮(すくなからず)、如此(かくのごとき)、不詳(くわしからず)、併(ならびに)、方(まさに)、不審(つまびらかならず)、仍而(よって)、太(はなはだ)、此(かかる)、遽(にわか)・・・・・・・等々数えあげれば際限ありませんが、これらの漢文調の文字を、現代の読者に読みやすくする配慮から、かなまじり文になおし、あるいは新かなづかいにそって、おくりがなを付したり、句読点を付すなど、語句の扱いに配慮を欠いた点は認めますが、原文を勝手に書き直して、虐殺事件を隠したとか、大将の不利を補ったとかいったようなことは毛頭もありません。その他きめ細かく〈注〉を付して、日記以外に大将が弁護人に与えたメモの挿入(二ヶ所)を日記本文と峻別しなかった等、づさんな点のあったことは認めます。
ここではっきり申し上げたいことは、私は大将の日記を著述した目的は、第一級資料である軍司令官の日記を通して、この戦闘期間中の松井大将の行為・心境・真意をひろく江湖に伝えることでありますが、字句に多少のズレはあっても、松井大将の真意を曲げることなく、その目的は完全に果たし得たと言うことであります。朝日新聞をはじめ洞富雄氏ら虐殺派の人々は、ニセ写真やウソの記述までならびたてて、ありもせぬ20万、30万の“大虐殺”がさもあったかのごとく宣伝し著述しています。
これこそ歴史の改ざんでなくてなんでしょうか。
私が松井大将の日記を改ざんしたと称して朝日新聞で叩いた本多勝一氏が、今度は板倉由明氏から、本多氏よ汝こそ南京事件の「改ざんの常習者」ではないかと叩かれているのはその一例と申せましょう。(月刊評論八三四号) ○
朝日新聞社は私を2日間にわたって誹謗したのち、大虐殺派のリーダー格の洞富雄氏の『南京大虐殺の証明』を出版しました。この本は私をはじめ虐殺否定論者七名(板倉由明、畝本正巳、渡辺昇一、山本七平、畠中秀夫、阿羅健一)の名をあげ、その所論を反駁し、批判したもので、とくにこの本の70〜80パーセントは拙著に対する批判であります。
20万、30万の大虐殺があったとする洞氏のこの著書と前後して、一橋大の藤原彰氏が岩波ブックレットから『南京大虐殺』を出版し、その弟子の吉田裕氏が『天皇の軍隊と南京事件』を青木書店から出版しました。いうまでもなくこの二著も洞氏同様、中国の政治宣伝通り、南京に大虐殺があったことを一生懸命に書き連ねている本であります。
さらに続いて拓大の秦郁彦氏が中央公論社から『南京事件=「虐殺」の構造』という本を出しました。秦氏は中間派と自称し、虐殺数を四万と推測していますが、洞氏同様、東京裁判史観を展開して、松井大将に対するいわれなき誹謗と日本軍の残忍性をひたすら綴っています。
私は本著で、以上四氏に対する批判や反論を随所に加えつつ、また先年出版された中国初の公的発表と称する南京市文史資料研究会編の『証言・南京大虐殺』の白髪三千丈式の大デタラメの被害者の証言も徹底的に批判し、各部隊の戦闘詳報や、当時の一級資料をふまえて、しかも新しく発掘した資料や証言を駆使して、南京事件の真相に迫ったつもりであります。
私はさきに日本教文社から『“南京虐殺”の虚構』を上梓しました。この著は国内で多くの反響を呼んだばかりでなく、中国では「南京大屠殺記念館」建設にあたって、この本がよほど目ざわりとみえて「人だましの本」だと悪宣伝につとめ、ソ連の赤い電波も、著者の私を名指しで非難しました。つまりそれだけ海外でも反響が大きかった訳です。本著は若干前著とダブル点もありますが、文字通り「総括」の名にふさわしく、虐殺の定義からはじまって、東京裁判や教科書との関係、本件と虐殺論、否定論を網羅し、欧米のマスコミや米・英・仏政府にこの事件に対する反響や対応にまで手を伸ばし、「南京事件50年の節目」を期して、その全貌と真相に迫った決定版のつもりであります。
いずれにせよ、巷間伝えられるがごとき南京に20万、30万もの大虐殺があったとする俗論は、歴史の真実をゆがめる歴史の改ざんであり、虚妄であります。ことにこの虚妄を教科書にまで記述し、次代を担う小国民にかかる自虐的な、祖国呪詛のいつわりの教育を施しつつあるということは、許し難い父祖の歴史への冒涜であり、民族の恥辱であり、国をあやまることこれ以上はなはだしきはありません。私は今後ともこの歴史的虚構――日本罪悪史観――一掃のため、不退転の決意でいっそうの努力を重ねて参りたいと思っています。
このような事件があった為に「朝日新聞はけしからん」と思う人達が駆けつけて、田中先生の講演会はいつも異常なほどの盛り上がりを見せていた。私もその後田中正明先生の講演会には幾度も顔を出していた。
朝日新聞社を許すな!との声は全国の愛国者の中から澎湃のように沸きあがり始めていた頃である。
赤報隊事件が起きたのは1987年1月24日午後9時頃、朝日新聞東京本社の二階窓ガラスに散弾が二発撃ち込まれたのが最初であった。この年は昭和62年である。この事件は表面化することなく、阪神支局銃撃事件へとつながる。
一番最初の犯行声明には次のようにあったと報道されている。
「日本国内外にうごめく反日分子を処刑するために結成された実行部隊」とし、さらに「反日世論を育成してきたマスコミには厳罰を加えなければならない」「一月二十四日の朝日新聞社への行動はその一歩である」「特に朝日は悪質である」と朝日新聞に激しい敵意、恨みを示し、マスコミを標的としたテロの継続を示唆する内容だったという。
落下りんごのジュース販売のお知らせ
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関東・東京 信越 585円
中部・北陸 730円
大阪・近畿 800円
中国・四国 995円
九州 995円 北海道 730円
漬物の第二弾 切干ダイコンの漬物の見本を頂きました。
これが昨年東京でりんご販売と一緒に販売していて、りんごよりも早く完売してしまった漬物です。
ダイコンを切って干したものを、醤油で味付けしたものですが、その味が非常に好評で何度も買いに来る人がいました。
その味が秘訣だと言いますが、何が入っているかは教えてもらいました。生姜、ダシ昆布、裂きイカ(するめ)が入っているようですが、いずれも細かく切ってあるので原型が分る程度です。
こちらは注文を受けてから私の手元に届くまで1週間はかかります。尚これまでの「幸福の漬物」もまだ在庫があるので販売を継続します。当に50袋は出荷していますが、おばあちゃんの配慮があって地元の店への分をこちらに優先してわけてもらっています。


漬物の名前はないそうです。しいて言えば「幸福・しあわせの漬物」と言っていたので、その理由を聞いたら、7種類の野菜が入っているそうです。7は幸運の数図なのでそう勝手につけているそうです。
7種類の野菜。 キュウリ、茄子、しょうが、シソの実、人参、ぜんまい、そして海産物の布海苔(ふのり)の7品目です。
両方とも150グラムで300円ですが、今回から3袋以上の注文受付でお願いします。おばあちゃんが私のところに送る運送費が872円かかるそうです。よって数がまとまらないと儲けが運送代で食われてしまうので、なるべく多めに注文を受けたいと思っております。
小さな箱になりますが、料金は次のようになります。(私はかなり安い料金で郵便局と契約しておりますが、初めての人はそれだけかかるようです。)
東北 関東・東京 信越 585円
中部・北陸 730円
大阪・近畿 800円
中国・四国 995円
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注文はメールにて受付します。
fukushimaseto@gmail.com


