「せと弘幸ブログ・日本よ何処へ」
十周年記念・ネットユーザーとの交歓会(1)
「せと弘幸ブログ・日本よ何処へ」が今年の6月12日で10周年を迎えました。
これを感謝致しまして、これまでブログを支えて頂きました読者の皆さまとの
交歓会をを催したく考えております。
茶話会の形式で行いたいと思いますので皆さまお気軽にご来場ください。
【日時】
平成27年7月12日(日) 14:45 開場
(交歓会 15:00〜16:30)
【場所】
桜華会館(名古屋市中区三の丸 一丁目7番2号)
【入場料】
無料
【主催】
「せと弘幸ブログ・日本よ何処へ」
【注意事項】
・会の円滑な進行を妨害する方は入場をお断り致します。
この企画は是非やりたいと思っていましたが、この10周年を機に始めたいと思います。その第一回の場所として名古屋を選ばさせて頂きました。
名古屋は思い出の土地でもあります。2007年4月23日、参院選挙への出馬を決意して名古屋で開催した新風の集いには30名以上の人達が集まった。中でも若い人の熱気は凄かった。
新風 躍進の集いin名古屋
維新とは何
か?大変革を目指して!
昨日は名古屋において、ネットブロガーとユーザーの方々と貴重な時間を過ごさせて頂きました。30名ほどの方が見えられた訳ですが、勿論、どなたも初対面でした。
しかし、メールやチャット、投稿コメント、MIXIのメッセージなどで何度か交流はあったので、正直言って初めての感じはしませんでした。しかし、やはり互いに顔を見ながら、生の声で話が出来るというのは良いものです。
皆さん、本当にしっかりとした考えを持っている方ばかりでした。30名の中で20名ほどは20代の若者でした。私はこれまでブログの中で、日本精神の回復を主張する、その志向を≪極右≫と表現してきました。
マスコミはネット右翼などと批判しますが、私は「ネット右翼こそ維新の志士である」と主張してきました。まさに現在は、かつての歴史に倣えば明治維新の往時を彷彿とさせる。
日本の弱点が次々に曝け出される昨今、この危機に立ち向かうために青年は立ち上がったのです。また、若者だけではありません。これからの維新は全ての国民が参加できるのです。
それが、このネットというものです。これまでは一人一人の愛国者は孤立していましたが、これからは、このネットによって結び付き、互いに手を取り合って決起することが可能となりました。
以上
それから300名が集まった講演会も開催され、私も講師として熱弁を奮った。
2008年9月29日のブログです。
名古屋「第一回時局シンポジウム」のご報告!
国民統一戦線結成への一歩、成功裡に終わる

http://www.ritouki-aichi.com/gyoji_080928jikyoku_top.html
今回の時局シンポジウムは日本会議、李登輝友の会、日本世論の会、維新政党・新風の各愛知県本部の有志が共同で開催しました。
また、せと弘幸後援会岐阜やフリーチベット運動に取り組んでいる若者、拉致被害者の救出運動に取り組む若者の協力がありました。
東海三県(愛知・岐阜・三重)の保守系の主団体が協力し合ってのこのような時局シンポジウムが大成功に終わったことは、この地域における今後の運動に弾みをつけるものとなるはずです。
また、このシンポジウムには岐阜や愛知県の民族派団体や『在日特権を許さない市民の会・名古屋支部』も参加して頂いています。
皆さん、集会後の懇親会にも参加をして、今回の成功を祝してくれました。
日本の将来を憂いる全ての愛国者がそれぞれの立場を超えて参加しています。
将に画期的なことであり、国民大衆運動としての形がようやく見えてきたのではないでしょうか。
もう、この東海三県における愛国運動には、保守系団体のいがみ合いもなければ、ネット右翼と行動右翼の溝もありません。また新しい若者達も多数参加しています。
これこそが日本の平成維新を目指す国民統一戦線の構築です。
現在、この東海三県が一番このような広範囲な運動の盛り上がりが見られると思っています。
私は夏の参院選挙後に始めた、「語る保守」から「行動する保守」運動がついに100回以上に到達したことを報告し、この運動こそが日本を大変革に導く唯一の政治運動であることを強く訴えました。
また、この「行動する保守」運動の7割以上が隣国シナの脅威に対抗するものでした。
4・26長野聖火リレーにおけるシナ人留学生の騒乱、1・15靖国神社境内におけるシナ人の日本人参拝者に対する暴行事件、更には昨年12月22日の御茶ノ水駅におけるシナ人の警察官突き落とし事件を取り上げました。
いかに、日本の警察・検察・裁判所がシナ人の犯罪に対して、これを取り締まったり刑罰を課すことに躊躇しているか。政府の弱腰的な対応、そしてマスコミのこれらシナ人犯罪への報道規制を厳しく糾弾しました。
このような日本とシナの関係を糾す道は、もう日本の核武装化しかなく、日本が真に自立した独立国家とならなければ、やがて日本はシナによって滅ぼされてしまいかねないと警鐘を鳴らしてきたと聴衆に訴えました。
日本世論の会の三輪和雄会長は来る衆院解散総選挙において、民主党を勝たせることは、日本が滅びることになり、絶対にこれを許すことはできないと、聴衆に激を飛ばし熱く語ってくれました。
外国人参政権や移民1000万人受け入れ計画なども日本滅亡のカウントダウンであり、民主党政権になれば、それが必ずや行なわれるだろう。
取り返しのつかない、深刻な事態が日本に迫りつつある中で、このような時代に立つ我々こそが今、行動して戦っていかねばなりません―と、より一層の奮起を促しておられました。
元民社党の塚本三郎委員長は長い政治活動の中で、国家を守るというその国防の大切さを特に強調されました。
米国に対して「このままでは日本は核武装をするしかありませんよ」と宣言をすることによって、米国が日本に対して、どのような対処を見せるのか。
日本はそのくらいの駆け引きをしなければならない―と述べられました。この言葉は将に米国に寄りかかった戦後の安全保障を知り尽くした政治家の言葉として重みのあるものでした。
本当に米国は日本が核攻撃の脅威に晒された時に、米国本土への核攻撃の危険性があっても、日本を守る覚悟があるのか? そのことを問い質さなければならないと、その本質的な問題を提起されたわけです。
また、塚本三郎先生は創価学会問題でも驚くべき爆弾発言をしてくれました。
創価学会の池田大作の国会喚問がもう一歩で実現しかかったのに、何故それが潰されたのか?
池田国会喚問を予算委員会で求めたことで、自分だけでなく家族までもが生命の危険に晒されたこと。
そして20年以上も前のことなのに、今も一ヶ月に一回は必ずや『聖教新聞』に自分の名前が出て、激しく罵詈雑言を浴びせられていることなどです。
以上
この時に参加された塚本三郎先生の言葉をその後のブログで紹介しました。2008年11月10日のブログです。
塚本三郎先生の言葉
名古屋の講演会でご一緒させて頂いた民社党の党首をやられた塚本三郎先生が今回の問題で意見を述べられております。それを全文掲載させて頂きます。

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一度転べば際限なく転ぶ
塚本三郎元民社党委員長
自衛隊幹部の叫び
航空自衛隊幕僚長田母神俊雄空将がアパグループの第1回「真の近現代史観」懸賞論文に応募し、最優秀賞を受賞した。
論文は「日本は侵略国家であったのか」という題である。日本が中国大陸や朝鮮半島に軍を駐留させたのは、すべて条約に基づくものだったと論者は指摘。
日本は「蒋介石により日中載争に引きずり込まれた被害者」「日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない」と指摘している。また更に
「東京裁判は、あの戦争の責任を、すべて日本に押し付けようとしているもの」などと自論を展開した。
また「日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々は、それまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上した」。そして「多くのアジア諸国が、なお大東亜戦争を肯定的に評価している」との主張もした。
また自衛隊の現状については、「領域の警備もできない、集団的自衛権も行使できない」「アメリカに守ってもらうしかない。日本のアメリカ化が加速する」との見方を示した。
浜田防衛相は「自分の立場をもう少し重く考えていただきたかった」と苦言を呈し、政府は10月31日付の持ち回り閣議で、航空幕僚長の職を解き、退任せしめた。
自衛隊員が、職務に関する意見や論文や講演で発表する際、上司に文書で届け出るよう内規で義務付けられているが、田母神空将は口頭で済ませていた。
幕僚長の解任は、先の大戦で、日本の植民地支配や侵略についで「反省とおわび」を表明した1955年の村山談話や、日本政府の外交方針から、大きく逸脱し根幹に反するためだという。また新テロ対策特別措置法改正案の国会審議に影響が出ることを懸念した側面もある。
1978年、統合幕僚会議議長・栗栖弘臣氏が、金丸信・防衛長官に更迭されて以来である。粟栖氏は「現行の自衛態法には不備な面が多く、奇襲攻撃を受けても、法的に即応できない場合がある。
そ
の際は、第一線部隊指揮官が独断で、超法規的な処量をとらねばならない場合がある。その際は、第一線部隊指揮音が独断で、超法規的な行動をとるだろう」と
記者会見で述べ、この「超法規的」発言が、シビリアンコントロール(文民統制)の考え方の、誤解を招くとして解任された。
時代と共に事変の真相が明るみに
敗戦によって、戦争のすべての責任を、日本の侵略と押し付けた「東京裁判」は勝者による、敗者への復讐劇であることは、年を追うごとに明らかにされている。
しかし、反政府で闘って来た、社会党委員長の村山氏を、自民党が政権復帰のため、苦肉の策として、ことのいきさつから、日本政府の首相に迎えた。
村山談話のポイントは、先の大戦を「国策の誤り」と明確に認めた上で、日本の「植民地支配と侵略」により、「とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」として、「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明」したことである。
村山内閣以降、歴代内閣は、村山談話を基盤として、近隣アジア外交を展開してきた。麻生内閣もこれを踏襲する考えを表明している。
中国や韓国が、日本国相手の対立とあれば、侵略と主張し続ける事情はわかる。
しかし、当時、朝鮮半島が、合法的に日本国家となっており。その日本国の一部を脅かす支那東北、即ち満州は、国民党政権の、孫文や蒋介石政権の、統治の及ばない地域であつた。
孫文は 当時、潰州の独立は致し方ないとさえ考えていた。そして、馬占山や張作霖の跋扈する域外の地であった。しかし、日本の満州進出は、満鉄を中心とする付近の町に限って米ソをはじめ、世界各各国の承認を得ていたが、満州国の建国については紛争の種を残した。
石原莞爾を中心とする関東軍は、それでは、危険だと考え、僅か十分の一の兵力で、この地を平定して、五族協和(日、朝、満、支、蒙)の満州国の建国を計った。
建国当時、約二千万人の満州国の人口が、13年後の昭和20年には、なんと四千万人に達した。年間百万人を超える人民の大移動は世界史に例がない。この地がいかに平和で、繁栄した国家に発展したことか。
支那事変も、敢えて一方的に日本が侵略したとは言い切れないことは、今日に至つて、ロシアの情報公開により明らかにされた。日本が事変の紛争に巻き 込まれ、事変の幾度かの休戦の約束を破られた。ソ連共産主義の干渉に依る、毛沢東の仕業であることも判明している。米国もこれに同調した。
敗戦によって、すべての戦乱の責を日本に押し付けた東京裁判の「対日復讐劇」を、そのまま踏襲している日本政府の見解は、米・ソの情報公開によって、余りにも事実に反している。しかし、事勿れ主義に徹した日本政府は、未だ東京裁判史観に追随している。
政府の一高官である、防衛省の幹部が正論を述べても、政府の発した外交方針に反したとすれば、解任も止むを得ない点はある。しかし、根本が誤っていることを悟るべきだ。
国家と国民の立場を憂いて、正論を説いた栗栖弘臣氏の解任から30年過ぎても、事勿れ主義の日本政府が、古くから誤った歴史認識を改めない限り、高官の解任劇は続く。
今回の解任は、政府の基本方針である手続きと、村山談話に反しているからとすれば、日本国の政府部内には、国を憂うる、勇気のある為政者や高級官僚が居る限り。「解任劇」は際限なく続かざるを得ない。解任する政府も、される愛国の士も双方に傷が付く。
しかし国家と国民が最大の被害を受けることになる。政府の根本的誤りを一刻も速やかに改め、政府自らが、東京裁判の歴史観の誤りを勇断を持って改めなければならない。
昭
和26年5月3日(1951年)、米上院軍事外交合同委員会において、占領軍最高司令官マッカーサーは、「東京裁判は誤りだった」と告白している。更に、
近年ソ連が情報公開することによって、ロシア内部から日支事変に対する対日戦争の原因等について、また米国からも大東亜戦争について、詳しい内部情報が既
に公表されている。
それ等の情報に基づき、多くの愛国の士が、東京裁判で断ぜられた誤りを指摘している。
中国や韓国にとっては、
東京裁判史観に基づく歴史認識を恒久化させることは、好都合である。しかし、占領下ならばいざ知らず、日本は60年もこの誤りを、盲目的に追従し続け、国
家そのものの存立さえ危ぶまれつつある。政府内部でさえ、この憂国の声を出さざるを得ない「危機を感得して」の発言者を「無法者扱い」する時ではない。
またも歴史の呪縛
過去の歴史認識をめぐる発言では、昭和61年には、藤尾正行文相が「日韓併合は韓国側にもいくらかの責任がある」と発言して更迭された。
昭和63年には、奥野誠亮国土庁長官が「第二次大戦は日本の安全のための戦いであり、侵略ではなかつた」と発言して辞任した。
平成7年には、江藤隆美総務庁長官がオフレコ懇談で「植民地時代には日本が韓国にいいこともした」と発言したことが、韓国の東亜日報に報道され辞任に追い込まれた。
「日教組は教育の悪の元凶」と断じ「日教組をぶっつぶす」と発言した中山成彬国土交通大臣も辞任した。彼の言葉は余りにも下品ではあるが。
日本政府は、事勿れ主義に徹している間に、次々とこの解任の惨状は続く。
政府の方針に、役人がすべて従うことは当然であるが、その幹部の発言には、一切の自由を許さないと、日本の憲法はキメツケているのでは断じてない。
たとえ政府部内であっても、「真の歴史認識を構築する」為には、自由に議論が交わせる土壌があってもいいのではないか。
政府が今回の田母神空将の発言で、彼を解任したことは、村山談話踏襲の政府見解に反するためであるが、そのことは、中国や韓国に対する再びお詫びの長期固定化となる。
現に、中国や韓国は、政府の即座の対応を内心では了としつつも。今後とも、この様な発言を許さないぞ、と東京裁判の誤った認識を、攻めの道具と利用し、日本を、犯罪国家扱いする原因の種を拡大、強化してくるに違いない。
日本政府は悪夢から醒めよ
政
府はこの解任劇の繰り返しいつまで続ける気なのか。「東京裁判」を悪用する国の、邪な認識を改めさせる為にも、日本政府自らが、本来の日本人に立ち戻らな
ければならない。それを正すためには、周囲の事情からして、いっときは大きな波乱を招くであろうが、ひるまず堂々と、見解を正論に戻し、「田母神空将の認
識の基本は、間違っていない」と、内外に表明すべきである。
その国を亡ぼすには自国の歴史を消し、言葉と国語を失わせるにあると言われるが、今日こそ、破壊されつつある日本の、歴史教育の根本を立て直すことが必要である。
この論文募集の審査委員長は渡部昇一・上智大学名誉教授である。
田母神空幕長の論は、引用した各項目の事例に示されるが如く、既に各種の情報に基づいた事例ばかりで、空将が勝手に、独自の解釈を論じたのではない。言わば、当然の正しい歴史認識である。それを引用し、決意を述べているに過ぎない。
防衛省の幕僚長が、信念をもって述べているところに意義がある。意義があるからこそ、中、韓両国は、一方的に日本を犯罪視する。対日外交に蹉跌を来すから、怒りを示す。
それを恐れて、内心はともかく、村山談話に違反するとか、事務的内規を文書ではなく、口頭で伝えるのみだから許せぬは「政府の小手先の仕事」と堕している。
昔から「一度転べば際限なく転ぶ」と言い伝えられる。日本政府が唯々安穏に、政権維持にのみ心をくだき、国家の前途を考えない姿勢に憤りさえ感ずる。
日本を愛し、日本が傷付けられた「東京裁判」に基づく近代史観を見直す論説が、間違いとは思われない。そして日本がそんなに悪い国だったとは思わない。
主張する空幕長と比べ、それよりも日教組の一部ではあるが、法制化された、国歌、国旗の掲揚を否定する教育を、野放しにするほうが大問題ではないか。
言葉は乱暴であるが、その日教組の誤りを指摘した中山大臣を辞任せしめた日本政府は、本末転倒である。日本国家よりも、中国、韓国がそんなに大切ですか、中国や韓国の威嚇が、そんなに恐ろしいですか、と云ってみたくなる。 平成20年11月上旬
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塚本三郎先生が今回の問題と話されているのが、この下記のことでした。
お知らせ
「語る保守」から「行動する保守」運動へ
田母神前空将を孤立させてはならない。
明日、国会の参院において10時より田母神俊夫氏への参考人招致が行われることになりました。国会では四面楚歌の状態です。国家の将来を憂い、戦ってきた田母神俊夫氏を我々は支えなければなりません。

☆緊急!
参院外交防衛委員会は大東亜戦争などに関する歴史認識で、政府見解に反する論文を発表して更迭された田母神(たもがみ)俊雄・前航空幕僚長(11月3日付で定年退職)を、平成20年11月11日の委員会で参考人招致し、質疑を行うことを全会一致で議決した!
野党側は、田母神氏に対して歴史認識や問題発覚後に自発的な退職に応じなかった経緯、退職金の自主返納の意思などを質す考えのようだが、そもそも新任の空自幕僚長が国民に謝罪する必要もなく、「侵略国家が濡れ衣」論文で国民の信頼は何ら揺らいでいない!
【場所】 国会議事堂と議員会館の間の通りで、国会側に面した道路
田母神・前空軍大将と共に戦うぞ!
【呼び掛け】
主権回復を目指す会、せと弘幸Blog『日本よ何処へ』、NPO外国人犯罪追放運動、在日特権を許さない市民の会、
外国人参政権に反対する市民の会・東京
以上
田母神氏は来年夏の参院選挙で全国比例区に出馬を表明しています。我々が一体何ができるのか?いや、やらねばならないのか。その事について皆さんのご意見を聞きながらディスカッションを行ないたいと思います。


