展転社「取立て裁判」中国人(原告)敗訴
判決主文、原告の請求を棄却する
私が東京地裁の103号の部屋に到着した時には、ほぼ傍聴席は満員だった。被告側となった展転社の席には弁護士先生達や展転社の藤本隆之社長が既に座っていた。開始直前に中国人側の弁護士達が慌てたように入ってきた。
定刻の時間に裁判官が3名姿を現す。立って挨拶が終えると一瞬法廷内は静寂な空気に包まれた。直ぐに判決の読み上げが始まる。
裁判官がマイクを自分の方に少し寄せる。
「では、始めます。原告の請求を棄却する」
この最初の言葉だけは確かに聞こえた。一斉に拍手が起きた。もう何も聞こえない。中国・支那人の訴えが退かれた一瞬だった。
裁判官は直ぐに終えて立ち去る。そのときだった万歳三唱の嵐である。それまでの拍手がなりやむと、法廷内は万歳、万歳の声で埋もれた。
この時の様子を直ぐにツイッターで発信した加藤哲史さんや鈴木信行新風代表の言葉を紹介しておきます。
【南 京大虐殺捏造への反撃の狼煙上がる】平成27年3月20日14時東京地裁103号法廷において、『原告敗訴』の主文が読み上げられた瞬間、被告席より『天 皇陛下万歳』の奉唱が行われ、傍聴席の大部分がこれに倣った。『南京大虐殺』捏造への反撃の狼煙が上がった瞬間である
展転社がシナ人に裁判で完勝したぞー!
展転社裁判の法廷は天皇陛下万歳につつまれました。ざまあみろ!
日本は中国共産党と戦ってないし、国民党に負けてないぞ〜! 南京大虐殺なんてやってないぞ!
敗訴した中国人側の弁護士が退席するときには、容赦のない罵声が浴びせらfれた。
「国賊弁護士帰れ!」「中国にでも行け!」
本当にざまあみろ!だよ。こんな痛快な裁判は久しぶりだ。本当に素晴らしい判決だった。最も当然なことだが、今の日本の裁判所も少しヘンな所があるから、ちょっとだけ心配したが、それは杞憂に終わった。
先に廊下に出て藤本社長が出て来るのを待った。姿を見つけたので「良かったね、ご苦労様」と声をかけがっちり握手をして裁判所を後にした。
南京事件の過去ログから紹介しておきます。
「南京事件はなかった」 中山成彬衆院議員
1次資料に当たり、生き残りの人に会い、結論を出す
「慰
安婦問題はなかった」と衆院予算委員会でブチ上げて話題になった日本維新の会の中山成彬衆院議員(69)が10日、今度は「南京事件はなかった」と主張し
て再び注目を浴びている。
前回の質問後には「私が狙われている」と“圧力”をにおわせていた中山氏だが、状況は今も変わらず。しかし、本紙の直撃に「歴史認識の決着は付いた」と勝
利宣言をした。その真意は――。
この日行われた衆院予算委は教育についての集中審議。中山氏は教科書検定のあり方という切り口から南京
大虐殺について、
「通常の戦闘行為で30万人が殺されたなんてとんでもない。南京事件はなかった」と結論付けた。「慰安婦問題は捏造」という発言に続く自信満々の主張。そ
の根拠はどこにあるのか。
「南京事件はなかったんですよ。第1次安倍内閣のとき、私は自民党議員でしたが、安倍さんからの指示で党で調査
しました。当時の新聞や議事録だとか1次資料に当たったり、生き残りの人だとか、その子供に会って聞き取りをし、結論を出しました。学者じゃなく国会議員
が調べたことだから信用してほしい」(以下略)
東スポWEB http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/131841/
これまで我々の側からは何度も主張し、当ブログでも書いてきたことですが、やはり国会議員自らが衆院予算委員会で発言すると重みが違います。しかし、マスコミがこれを無視していることが許されません。
「慰安婦強制連行」にしても「南京虐殺」にしても、韓国や支那・中国が言い出す前に、日本の朝日新聞社が言いい始めたということの事実をもっと国民に周知徹底させなければと思います。
この発言も隔世の感があります。かつて南京事件はなかったと答弁した永野茂門法務大臣が、マスコミの集中砲火で辞任に追い込まれたことがありました。
永野氏はかつて陸軍中尉としてまさにその時に南京にいたので、そのような虐殺はなかったと発言したのに、その発言の真意を明らかにすることよりも、そのように答弁したこと自体を責められて辞任に追い込まれました。
事実関係よりも「なかった」と発言したことが悪かった時代なのです。何が悪かったのか、これは下記、日本弁護士会の表明を見れば明らかです。
永野法務大臣の発言に関する声明
法
務大臣永野茂門氏は本日午後3時の記者会見において、さきに太平洋戦争について「侵略戦争という定義付けは間違っていると思う。戦争目的そのものは当時と
しては基本的に許される正当なものだった」また、南京大虐殺について「あれはでっち上げだったと思う」との見解を表明したことを自認し、これを撤回した。
い
うまでもなく、法務大臣は、わが国法務行政の最高責任者として国籍のいかんを問わずすべて人々に基本的人権の享受と正当な権利主張の機会を保障すべき重責
を負っている。その職責からしても、さきの戦争について歴史を直視することなく、無定見な言動に及んだことには、失望を禁じえない。
当連
合会は、昨年10月29日開催の第36回人権擁護大会の「戦争における人権侵害の回復を求める宣言」において、さきの戦争でわが国がアジア・太平洋地域に
深刻な被害をもたらし、そのなかには住民虐殺その他重大な人権侵害にあたるものが数多く存在する、との認識のもとに、真相の究明を徹底して行うこと、適切
可能な被害回復措置のあり方について早急に検討を「開始すること、この戦争の実相を正しく後世に伝える教育を行うこと、の3点を国に対し要請した。法務省
には、この問題に関する主管官庁として、上記要請について真摯な対応が求められるところである。
しかるに、永野氏の上記見解表明は、本問題についての同氏の真意を示したものと察せられ、たとえ撤回したとはいえ、同氏に上記要請への真摯な対処は到底期待しえない。
よって、当連合会は同氏に対し、みずからの責任においてその進退を決せられるよう、勧告する。
1994年(平成6年)5月6日
日本弁護士連合会
会長 土屋公献
>さきの戦争でわが国がアジア・太平洋地域に深刻な被害をもたらし、そのなかには住民虐殺その他重大な人権侵害にあたるものが数多く存在する、との認識のもとに真相の究明を徹底して行うこと、適切可能な被害回復措置のあり方について早急に検討を「開始すること、この戦争の実相を正しく後世に伝える教育を行うこと
事実関係を明らかにするには、その前提として、重大な人権侵害があったとしている。よってそのような事件がなかったなどと発言することが認められなかった。
日本の国会においてはこのように南京事件とは「あったか、なかったか」の問題ではなく、「なかった」と言ってはいけないという誠に不思議な論理によって支配されてきたのです。朝鮮半島における強制慰安婦問題も同じでした。
それを打ち破ったのが今回の中山先生の国会での質問であったということです。そのように考えればこれは歴史的にも大きな快挙であったという事でしょう。
当たり前の事を当たり前に言う、そのような雰囲気が国会で認められつつある。これはやはり時代が正しい方向に日本を導いていると思います。
マスコミや左翼は以前の永野法務大臣の時のような大騒ぎはしませんね。すればするほどに今度は自分達の言って来た嘘と捏造がばれるので怖いのでしょう。
左翼が偽造した歴史が次々に暴かれていく、それがこれからの時代と言って良いでしょう。
以上
南京事件と松井大将
写真:田中正明先生の不朽の名著
東京裁判において松井石根被告(元陸軍大将)は南京事件の責任だけで死刑に処せられた。訴因の第一から第五十四までは全て無罪であったのに、第五十五のみが有罪として絞首刑になったのである。
これを早くから冤罪であると訴えてきたのが、この松井大将に昭和8年から昭和17年12月に応招されるまで、約10年間を民間人として仕えた田中正明先生であった。
私の日記にはこの田中正明先生との初めての出会いを、感動の一日として次のように記されている。
「昭和61年11月13日(木) 私は大阪市天王寺区の浪速会館で、明日を考える時局講演会(教育シンポジウム実行委員会主催)に参加をさせてもらいました。
講師は不朽の名著である『パール博士の日本無罪論』の著者である田中正明先生です。シンポジウムの名称は『過去・現在・未来・錯誤の中にある戦後史観・今こそ近・現代史の核心を問う!』と題されたものでした。
司会は皇學館学校教諭・三輪尚信先生で、最初に福井大学教育学部助教授・小林道徳先生の講演がありました。当時、私はこのシンポジウムを開催した丸山栄一氏と親交があり連絡を受けたものです。
なぜ、私がわざわざ大阪まで出かけて行ったかといえば、それは田中正明先生の話をどうしても伺いたいと思ったからです。先生の著書の愛読者でもありました。
田中正明先生はこの講演の中で、東京軍事裁判の不当性について話をされました。私は先生の書物で初めて南京大虐殺といわれるものが、戦勝国によって捏造された虚偽の事件であることを知ったのです。
この時の話を箇条書きにメモしてありましたので、それを綴らせて頂きます。
東京裁判の狙いはいかに戦場における日本の軍隊が残虐であったかを世界中に喧伝するために持ち出されたものである。
これは言い換えれば日本の皇軍とは秩序正しく、如何なる場合においても、そのような非道な振る舞いはしない―という、これまで世界の人達が認識していたものを崩すことにあった。
そのために戦勝国はおびただしい証拠と証人をこの東京裁判に集中させた。しかし、その証拠及び証人の多くが伝聞であり、戦勝国側の現地における一方的な聴取であった。
松井大将は南京の市民を保護する目的がありながら、その義務を履行することを怠ったとして犯罪者として絞首刑に処せられた。しかし、これはインドのパール判事が当時の東京裁判の意見書の中で述べているように極めて不自然なものだった。
松井大将は当時南京は中国の首都であり、外国の特派員も多数おり、万が一にも民間人などを巻き込むことがあったら、それは世界中に打電されるとして、全軍に対して仔細なる訓令を出していた。
それによれば、一般居留民並びに中国民衆を紛争に巻き込まないように常に留意して、外国出先機関とも密接なる連絡を保持するように命令を発していた。
この命令は外国の権益を侵したり、民衆への略奪行為を行なう者は厳重に処罰するとあった。南京攻略に際して日本軍の虐殺があったとの報告は全くなかった。
現に当時の外国の新聞に日本軍が虐殺したという報道は一行もなされてはいなかった。この事件が明るみになったのは東京裁判において、初めて提起されたものである。
田中正明先生は処刑直前に松井大将から手紙を頂いた事を話されました。その手紙の文面には自らが冤罪で処刑されるにも関わらず、次のように記されてあったといいます。
―誰を恨み、何を嘆こうぞ、これで何もかもさっぱりした。このうえは自他平等の世を念じつつ永遠の眠りにつきたい―
この手紙を書いたその日の夜、松井大将は「天皇陛下万歳!」と言いながら、静かにしっかりとした足取りで13階段を上って行ったそうであります。
その後、何回か会合などで田中正明先生とはお会いする機会がありました。先生がよく口にされていたことですが、南京大虐殺の真意を語ることは、東京裁判を否定することになる。
それは容易なことではないが、それをせずして日本国の再生は有り得ない。戦勝国はドイツに対しては『ニュルンベルグ裁判』でユダヤ人虐殺を人道に対する罪としてこれを裁いた。
日本に対しても、どうしても人道に対する罪を被せる必要があった。それは自らの原爆投下に対する後ろめたさからであった。しかし、どうしても人道に対する罪など探しても見当たらない。
そこで南京大虐殺などをデッチあげたのである。広島・長崎への原爆投下、日本の主要都市への空襲、これらの犠牲者の数を上回る大虐殺をどうしても、彼らはでっち上げたかったのです。
以上は2006年11月28日のブログより
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