極左キャンドルデモへのカウンター
左翼の反天皇の思想を読み解く
上の写真は日本の国会の前で気勢を上げる反原発派。下の写真は韓国のデモ風景。どうも似ている気がしますね。どっちが先にやりだして、どっちが真似たなどは関係ありません。
こんなデモをいつまでも許して置く訳には行きません。反靖国、反天皇、反原発運動をしているのは共産主義者です。
日本国憲法 第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
憲法改悪反対!憲法を守れ!などと言っているのに、日本国の象徴と規定されている天皇陛下・皇后陛下に対して、何らの尊敬も念を持たない左翼がよくも憲法を守れなどど言えるものです。
さて、長くて恐縮ですが、まだこのブログを始める前の2ちゃんねるにおける論争を紹介します。天皇陛下と皇室とは日本及び日本人とどのように係わるものなのか?
自分も昔の論争を見て今懐かしいと思う気持ちと、その考えでこれまで運動をしてきたことへの誇りを感じています。
では紹介します。天皇陛下と敬称を用いないで相手との主張に合わせての討論となっていますが、これについては現在は反省しております。
「神」「天皇」「国民」の間に溝はないその��
アナーキストさんとの「天皇論争」
1.天皇、もしくは、天皇家の人権について。どう思うのか?
2.漂泊系の非農耕民族や、山岳民族、太平洋戦争以後も戸籍を
持つことを拒んだ人達、アイヌ、琉球人など。到底、天皇を
あがめていた思えない人達(空くまで私見だが)については
どう考えているのか?
3.現実に「神」「天皇」「国民」の間に、大きな溝があると考
える人達について、貴方の宗教観を提示してどうするつもり
なのか?
次に私への質問に対して
1.天皇、もしくは、天皇家の人権について。どう思うのか?
天皇自身にもっと語る自由があって良いと思っております。
我々世俗一般の人間とは明らかに異なった、哲学的視点をお持ちの筈だ。
一般の人の場合はどうしても私心を捨て切れず我欲が出る。
例えばどんなに学問を積んでも、平民的な成り上がりの心情は何処かには 残ってしまう。よほどの狂信者でない限り、何処かで変節するし、また変節 しないくらいのドグマニストだと、これはこれで怖い。
要するに天皇は卑しくないのだ。幼少の頃よりそのような環境で育ち 、そのような教育を受けている。 但し、それはどのようなものだと聞かれても私は東北の百姓の生まれなので 知らない。
天皇には私心がない、そのような天皇でもっと語ってもらえれば、ミクロ的な 矛盾などはマクロ的な視点より解決できるかもしれない。 少なくとも貴重な参考意見となろう。
このことは日本が単一民族か否か?或いはそのような少数派に対して
どのように考えるか、とも通ずる質問と考えます。
この点もこの2ちゃんねるでは私はまだ討論したことがないので、 一度やってみたい討論であるとは考えております。 さて、お尋ねの件ですが、アイヌ民族が崇めていたのは日本の神と 言われるものとは明らかに違います。琉球も同じでしょう。
この事については私のHPでも討論しているように、我々は西欧近代化の流れ やキリスト教の普及によって滅ぼされた土俗的宗教の重要性を 再認識すべきとしております。
米国インデァン呪術なども議論しながら、自然を神とするその祭礼の意味を 現代社会に問い直そうとしております。
さて、ここで整理させて頂きたいと思います。これまでに投稿された方には 大きく分けて二つの意見があったと考えます。
先ず、一つは天皇を「ゴキブリ」とか「早く絶滅してくれ」とかという人達です。 この人達の考えの根底には天皇は特権階級であり、今日の社会では許されない存在だ という心情があるのではないでしょうか。
次にせっかく定着した象徴天皇制を守った方が、天皇家の将来や日本の ことを考えた場合、その方がベターであるとの考えです。
では、私の方から問題を提起させてください。
民主主義は確かに自由と平等が基本です。そんな今日いわば特権階級と見られ がちな天皇の存在は果して、我々大衆階級と対立するものなのか?
例えば皇居の問題ですが、人によっては公園にしてしまえという議論も
確かにあります。 皆さんはどう思われますか、特権階級と大衆階級について論じてください。
次に象徴天皇についてです。そもそもが占領軍作成の英語原文にあった 「シンボル」の直訳だそうです。では「シンボル」とはどのような意味での シンボルなのか? 象徴天皇を守れ!といわれる方に是非とも説明を求めます。
「皇族絶滅」発言をした者ですが、瀬戸氏も煽り発言に対して 大人の対応をしている事ですし、氏に敬意を表して少し真面目 に議論に参加してみます。 以後、このスレッドではアナーキストを名乗ることにします。
91において、瀬戸氏は2つの問題提起をされましたが、今回は 特権階級と大衆階級について私の意見を述べさせてもらいます。 象徴天皇制と「絶滅発言」の真意については別に書きます。
私は、個人の資質や能力によらない、生まれや人種による身分 階級を一切認めていません。何故なら、もし「高貴な生まれ」 だからといって特権階級を認めてしまうと、同じ論理で「卑し い生まれ」だと被差別階級を認める事になるからです。
「法の元の平等」を原則とする近代民主主義国家において、こ れは到底容認されるべきことではありません。その意味で、世 襲制を基本とする特権階級である天皇制は、民主主義の理念と は根本的に相容れないものであると言えます。
あなたのような方との討論は望むところです。 互いにその思想をぶつけ合い同時代を生きる者として、共に考えていければと思っています。
あなたの考えは民主主義と天皇の存在は矛盾するという考えですね。
日本国憲法は民主主義憲法であり、そこにはルネッサンス以来の人間平等主義があります。
しかし、人間平等主義を絶対のものとはしていませんよね。ただ人間は平等であるべきとの 理想によって貫かれてはおります。 平和主義も同様です、理想を語り目指すことを否定するものではありません。
し かし、憲法とはそのような理想主義によってだけできていない、というのも事実なのです。 事実天皇の存在はまさにそのことで、日本の実状という具体的なるものを十分に考慮した結果でした。 つまり、「人間平等」というのは一つの理念としてはあっても、 それが現実を縛ってしまうものでは決してありません。
私は理念としての「人間平等」に立つことの素晴らしさを悪いことだと申し上げる気はありません。 しかし、現実は全ての人間が現実の社会の中で平等などと言うことが果たしてあるのかと思う一人です。
人それぞれ能力に差があり、努力するものとしないものとで又差が生じる。 平等とはとても簡単なものではないでしょう。
そこで天皇の問題となります。天皇の地位は日本国民の総意に基づくとあります。 現実に日本国民は天皇を必要としているから、一見「平等主義」に反すると思われがちな 天皇の存在が憲法で規定されました。
一体何故だと思われますか?
これこそが日本という国家が日本であり、他の西欧諸国とは違う点です。 これがフランスやドイツ、アメリカだったらどうでしょう?
「人間平等主義」を取り入れても、そこには大した問題は起きなかったのです。
では日本が何故この「人間平等主義」を取り入れた際に、他の諸国とは違ったのか? それは日本という国家の成り立ちや国柄といったものが考慮されたからです。
これを「国体」などと言えばまたまた批判がきそうですが、それは歴史的事実であって これを覆すことは占領軍であっても出来なかったということです。
では、それは戦後半世紀を過ぎた今日でも実状は同じなのでしょうか? 少なくとも天皇制を否定する人は少数派に過ぎません。 明確にこれを否定している政党は日本共産党だけです。
その理由を考えて見てください。一つの西欧流の理念ではどうすることも出来なかった 歴史の重みというか、日本民族の主体がそこにあった事を、 私は誇りにこそ思え、決して恥ずべき事だなどとは一度も思ったことがありません。
それはこの日本という国に生を受け、この日本で育ち、やがてはこの日本と云う 国の土に帰っていく日本人だからです。
アナーキストは私も若い頃は憧れました。一切の権力の呪縛を嫌い、自由奔放に生きられたら、如何に最高であるか。 しかし、現実には国家があり、我々はその国家で生きることを試されているのです。
とりあえず、122及び124での氏の意見に反論しておきます。
>人それぞれ能力に差があり、努力するものとしないものとで又差が生じる。 >平等とはとても簡単なものではないでしょう。
この点に関しては、氏の意見に全く同感です。
能力のある者はその能力に見合っただけの代価を受け取って当然であり、 個人の資質を無視して「結果の平等」だけを求めるのは、才能と努力の 否定に他なりません。
私が特権階級としての天皇制を否定するのは、その地位が本人の資質に 関係無く世襲制によって決定されるからです。世襲制には能力も努力も 必要無いですから。
>そこで天皇の問題となります。 >天皇の地位は日本国民の総意に基づくとあります。
本当に国民の総意に基づいているかは、憲法第1条制定時に国民に対し て民意を確認した事実がないので「判らない」のではないでしょうか?
少なくとも、現在ではこのスレッドに決して少なくない数の天皇制拒否 の意見が挙がっている事から見ても、もはや「総意に基づく」状態では
ないのは明らかだと思います。
「天皇制を否定する人は少数派」というのは、瀬戸氏の嫌う暴力団右翼 が天皇制に異を唱える意見を封殺する暴力装置として働いていたから故 に否定意見がタブーであった事を考えると額面通りに受け取ることは出 来ないです。
それと、占領軍は天皇制を廃止「出来なかった」のではなく「しなかっ た」だけという可能性もあります。事実確認ができない事象についてそ
の是非を議論していても不毛なだけなので、この辺にしておきますが。
>その理由を考えて見てください。
上記のように、前提条件の認識において氏と私には見解の相違がありま すので、「その理由」というのは私の立場からは成り立ちません。
あえて何か言うとすれば、「日本民族のアイデンティティは世襲制によ
る個人を引き合いに出さなければ説明できないほど脆弱なものなのか?」 といったところでしょう。
あなたと19番さんの意見が立場は違っていても、天皇制に対する否定的な 見解としては非常にわかりやすい。感情的な天皇嫌いの方もおられようが、 その人達に対しては反論のしようがない。まさか、私はとにかく好きですでは討論に なりませんからね。
そこで、もう暫く討論を続けたいと思うのでよろしくお願いします。
>「日本民族のアイデンティティは世襲制によ る個人を引き合いに出さなければ説明できないほど脆弱なものなのか?」
アイデンティというか民族のルーツというか、確かにそれを語るには天皇家の存在を 抜きに語ることは日本の場合は不可能です。 それは置いておいて、これからは批判を承知で<深みにはまる>事にします。
あなたが言わんとするところは、能力や努力と関係のない身分とその世襲についての ご不満であると考えます。 また、これは個人的な動機によるものとは思いませんので、より政治的或いは 社会的な見地から検証することにしましょう。
ずばり、万世一系の問題です。あなたも聖徳太子や古い時代の天皇が日本の政治の 中で果たした数々の功績を否定するものではないでしょう。 この遥か大昔は天皇家が日本の指導的立場であったことは紛れもない事実です。
問題なのは、その天皇家の血筋というか血統が貴ばれ、その血統によって皇位が 維持されてきた点についてでありましょう。
実はこの万世一系を生物学的あるいは遺伝学的に説明しようという試みが なされていますが、そのような考えでは長い歴史の中では矛盾を来たさないわけには いかないでしょう。
私は故にこれを理念とみます、つまり生物学上の一系の意味とは同列ではないということです。 この理念によって世襲はなされてきました、では外国には例を見ないこの万世一系という 理念とは何であるのか? それを考えてみたいと思います。
私はこの転載された冒頭のスレッドでも、愛国党の今は亡き赤尾総裁の言葉を紹介しました。
「天皇が偉いのではなく、それを守ってきた我々が偉い。」
ここでこの意味をもう一度考えて欲しいと思います。
何故に天皇は人々から崇められてきたか、それは一つの権威として歴史上に 君臨できたからです。人々は良くも悪くも“権威"を求めひれ伏すものなのです。
ひれ伏すという表現が嫌であれば、礼を尽すとでも言いましょうか。
そのような存在は人間社会の中では決して珍しいことでなく、ごく自然に 行われてきたことです。この権威というのは実に便利なもので、これが ある事によって社会が平穏であったり秩序が保たれたりします。
では、その権威の中身は一体何で在るのか?
為政者はそれを民衆支配の道具として使おうとした事実もある。 しかし、それにはその権威というものが、誰にでも認められた存在でなければならない。 そこで導き出せる結論は"権威”とは信頼と尊敬である。
これがなければ権威などすぐにも吹き飛んでしまうであろう。
日本人は天皇という存在が万世一系という日本独自の理念として、 それを信頼し尊敬し、その権威を守りとおしてきました。
西欧社会では権威とは唯一絶対のキリスト教のローマ法皇によって、各国の王様に 与えられました。しかし、その王とは個人的には善人や賢人や英雄であった。 西欧ではより善人や賢者、英雄が現れる度に前者は駆逐され、革命という手段 によってその連続性は断ち切られた。
対して、我が国では最初から基準が善人や賢人、英雄とは違ったもの
つまりは血統であったが故に、国家の同一性、無窮性が維持されてきた。
これが他の西欧の近代国家と日本の大きな違いです。
この国家の成り立ちを認めない、悪い見本と見るのか。 それとも、それを日本独自の国家のありようとして大切なものと 考えるのか。 まさに、そのことが現在討論されている、私と反天皇性論者の 違いではないでしょうか。
瀬戸氏への反論を続けたいと思います。
まず、瀬戸氏のおっしゃる「万世一系の理念」を「権威装置としての 天皇制の連続性と自己同一性」と解釈する事を前提とした上で以降の 論を展開します。
まず、天皇制が「一系」であるというのは、日本の歴史上、南北朝時 代が存在し、権威装置としての天皇制が2つに分裂した時点で終了し ています。同時に、その無窮性もまた崩壊しています。
「こちらの天皇が正統だ!」
「いや、こちらの天皇こそが正統だ!」
などという権威に、無窮性は求めるべくもありません。
熊沢天皇問題などはその残滓と言えましょう。
次に、天皇制の権威を「万世一系」の連続性で説明しようとすると、
「初代天皇」の権威の論拠が説明できません。
瀬
戸氏は「"権威”とは信頼と尊敬である」とおっしゃっているので 初代天皇の権威は「信頼と尊敬」が根拠になっているものと思われま
すが、そうなると信頼と尊敬を集める対象でさえあれば血統は関係無 い事になり、氏の「西欧ではより善人や賢者、英雄が現れる度に前者
は駆逐され、革命という手段によってその連続性は断ち切られた。」 の発言での西欧権威と差別化できなくなるので、日本の特殊性を説明
する論理としては使用できなくなります。
それでもなお「万世一系」の論理を使用しようとすると、「天皇の血
筋は神代から続いている」などの宗教的論理を用いるしかないですが、 そうすると今度は他の宗教的権威との差別化ができなくなるので、こ
れまた日本の特殊性を説明する論理としては使用できなくなります。
結論:
「万世一系の理念」では天皇を中心とする日本の特殊性を説明できない。
以上の結論を導き出すための前提条件として、瀬戸氏の発言しか使用し ていないことにご留意下さい。
148でもって「内部矛盾のある論理では議論できない」と打ち切ってしまっても 良かったんですが、それではこの議論の本質に迫ることは出来ないので理念レベ ルの話をしようと思います。
おそらく瀬戸氏は天皇制に日本民族の安定性と秩序の象徴を発見したのだと思い ます。
「安定性と秩序こそは日本民族の美点である。」
「それを象徴する天皇制が政治機構(国家)として歴史上に君臨してきたが故に、 国家と民族の概念は日本人にとって一体である。」
だからこそ、瀬戸氏は国家社会主義を主張しているのではないでしょうか? 瀬戸氏が「象徴」天皇制の議論を振ってきたのも、この辺りを確認するためで しょう。
>この国家の成り立ちを認めない、悪い見本と見るのか。
>それとも、それを日本独自の国家のありようとして大切なものと
>考えるのか。
そう、私はまさにそこに日本民族の病理と業を垣間見るんですよ。
私は、「日本人」である前に「人間」です。そして人間が人間であるためには デカルトの「考える葦」発言を持ち出すまでもなく、自ら思考する意思を持た なければなりません。
そして、権威という物が絶対性を掲げるが故に思考停止装置として働き、人間 ¥性を失わせる。それが政治機構と結びつくと巨大な強制力となる。更に日本に おいては、常に時の権力者が天皇を思考停止装置として利用してきた。
だからこそ、天皇制は私にとっての打倒対象なんです。
私 が「皇族絶滅」発言をしたのは、権威装置としての天皇制を完全に破壊する ためには、天皇制が世襲制であるために制度と個人が不可分であり、制度だけ 廃止しても血統が存続する限りいつかまた復活する。ならば絶滅させるしかな いではないか、という理由です。殺さずにすむならそれに越したことはないん ですが。
あなたが日本の歴史、いや天皇の歴史について相当の知識を有していながら それを否定的な主張を展開する時の根拠としてしか、それを見ないのは非常に残念に 思います。
しかし、それもあなた自身の思想から発するものであれば、 私としてはそのように考える方もおいでになるのか、と言うしか言葉がありません。
「果たしてしからば敢えて問う、日本歴史上における南北朝の歴史や如何に。 国民の一部は正統の皇室たる南朝に忠勤を励み、他の大部分は潤統たる北朝の旗風に 靡いたではないか・・・」この文は里見岸雄先生のものです。
里 見先生は「天皇とプロレタリア」をもって一大センセーショナルを巻き起こした人です。 軍国主義が高まっていた頃、陸軍士官学校の生徒の中にも、 何故、天皇は「現人神」なのか?万世一系などというが、それは信じられるのか? と言った疑問の声が彷彿していたそうです。
確かに南北朝に分裂して争った事実を否定する事は出来ません、しかし、それをもって 無窮性が崩壊したと結論づけるのは早計過ぎるのでないでしょうか。
この問題はそれを信奉するものにとっては理解できても、信奉しない第三者にとって の広い意味での肯定や支持を得ることは非常に困難なことです。
なぜならば、この議論を突き詰めていけば、「天皇陛下の為に死ぬ」という 意味まで行くからです。現実に半世紀前、日本人はそうした。
しかし、この「天皇陛下の為に死す」は信奉しない人には絶対に理解の
範疇を超える事でしょう。 147よりは157のほうに議論を進めたほうが有意義な議論が出来ると思います。
総論的な議論は終息に向かっていると思うので、今回は各論的な反論でも。
>人々は良くも悪くも“権威"を求めひれ伏すものなのです。
まあ、カルト宗教にハマる人間も多いですから一概に否定できませんが……。 しかし、同時にまた、人間とは本能的に自由を欲する生き物なのです。
戦前の天皇が現人神と呼ばれた時代でさえ自由民権運動が発生した史実は その証左でしょう。
>147よりは157のほうに議論を進めたほうが有意義な議論が出来ると思います。
147じゃなくて148なんですが、その辺は置いておいて。
確かに、解釈論に終始すると「ポストモダニズム」スレッドみたいになってしまいま すからね。ただ、理念レベルの話だと、最終的な結論ってどうしても「見解の相違」 になってしまうので、もう少し具体的なレベルの議論にしたい所ではあります。
>この問題はそれを信奉するものにとっては理解できても、信奉しない第三者にとって の広い意味での肯定や支持を得ることは非常に困難なことです。
結局、天皇制を支えているものってある種の「信仰」ですからね。
外野から見た場合、宗教にしか見えないです。
で、仮に瀬戸氏の主張を全面的に肯定したとしても、このスレッド のタイトル『「神」「天皇」「国民」の間に溝はない』は現時点で は成立しないです。何故なら、そこには「宮内庁」という厳然とし た壁が存在するからです。
番号を間違えておりました、申し訳ありません。
いかがでしょう、このスレッドでの続きを、21世紀の天皇制はどうあるべきか? と題して、パネルディスカッション21世紀に日本の方でやりませんか。 そちらに投稿を続けます。 又、このスレッドで発言をなされていた方もおいで頂ければと思います。
http://ebi.2ch.net/sisou/kako/958/958624785.html
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8年前の議論です。当事の2ちゃんねるには、今のように相手を罵倒するだけの投稿ではなく、互いの立場を認め合いながら、討論を進めるだけのマナーが残されていました。
今日の2ちゃんねるには残念ながら当時の面影さえもありません。今回これを読み返して見て、当事を懐かしく感じました。このような方々は今どうされているのか、再び論を交えて見たいものです。
※14年前の議論です。日本国家、或いは日本民族における天皇陛下の存在は今でも議論が沸騰すると思います。今度反天皇連絡会の連中と討論してみたい気持ちも少しはある今日この頃です。
反靖国・反天皇・反原発 極左キャンドルデモへのカウンター
靖国破壊を求める極左デモに断固抗議しよう!
極左・反日外国人をまとめて東京湾に叩き込め!
日本国と英霊を罵るヘイトスピーチを絶対許さないぞ!
毎 年8月15日を目前にして反日極左集団が首都東京で大規模な反日デモ(キャンドルデモ)を繰り返しています。このデモは靖国神社の破壊を主張し、また「天 皇いらない」と叫び続け、反原発まで訴えるようになりました。悪質なのはこのデモに韓国など外国から多くの反日活動家たちを呼び寄せて参加させていること です。反日デモ粉砕! 入管法違反(政治活動の禁止)外国人の即時逮捕を求めて今年も在特会は極左キャンドルデモにカウンターを行います。
【集合日時】
平成25年8月9日(土) 18:00集合
【集合場所】
神保町交差点
地下鉄神保町駅A5番出口付近集合
http://map.enjoytokyo.jp/spot/?id=l_00006397
【告知動画】
http://www.nicovideo.jp/watch/sm24144357
※ 有志による告知動画です
【生中継】
ニコニコ生放送にて17:30より中継予定
http://live.nicovideo.jp/gate/lv188413916
【主催】
在日特権を許さない市民の会 東京支部
【共催】
在特会 埼玉支部 / 千葉支部 / 神奈川支部 / 茨城支部 / 群馬支部
【現場責任者】
桜井誠 (在特会会長)

