自由がなくて不平等な社会の末路
共産中国はいつ頃になったら崩壊するのか?
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「天安門事件」の研究会出席者、相次ぎ拘束
【北京=竹内誠一郎】中国で学生らの民主化運動が武力弾圧された1989年の天安門事件に関する研究会に参加した改革派知識人や人権派弁護士らが、相次いで当局に連行、拘束されていることが6日わかった。
関係者によると、研究会は北京市内で3日、事件が6月4日で25年の節目を迎えるのを前に、共産党が「反革命暴乱」と定義した事件の再評価などを求める趣旨で、10数人が参加して開かれた。
開催後、参加者の多くが当局から呼び出しを受けたり、連行されたりし、著名な人権派弁護士の浦志強氏の刑事拘留処分が決定したことが確認されたほか、民主活動家の胡石根氏ら数人が消息不明となっているという。
香港の人権団体「中国人権民主化運動ニュースセンター」は6日正午頃、参加者のうち計9人が当局に拘束され、北京電影学院の崔衛平、●建の両教授ら5人がいまだに釈放されていないと伝えている。(●は赤におおざと)
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読売新聞 5月6日(火)16時6分配信
何故、堅固なまでの共産主義国家であるソ連邦が脆くも崩壊したのか?共産主義イデオロギーに基づく社会には理想があった。それは万民が平等だという社会の仕組みである。共産党によれば資本主義社会とは一部の冨を独占する資本家階級と搾取される貧しい労働者階級に分かれる。
労働者が革命を起こして資本家を打倒すれば社会には搾取がなくなり、全ては平等になるなどと言ってきた。共産党が独裁体制を敷き言論の自由がない社会であっても、平等であれば少しの不自由を我慢する人もいるかも知れない。
しかし、現実にはどうであったのか!自由もなければ社会は貧富の差が著しい不平等なる社会でしかない。これでは国民大衆もいずれは共産党の独裁政治体制に不満を募らせることになります。旧ソ連ではゴルバチョフがペレストロイカなどという政治体制の変革運動を推し進めた。しかし、これが共産党独裁体制の崩壊を早めた。
自由闊達な社会を目指せば経済は立て直すことは可能だったが、一度味わった言論の自由への渇望を大衆が諦めることはなかった。その点の失敗を中国共産党の独裁者達は良く分かっています。よって言論の自由を求める民主化運動などを許しはしません。
今回の民主化運動家の拘束もその変わらない姿勢の現れですが、果たしていつまで持ちこたえることが出来るのでしょう。
人民解放軍の戦車が無抵抗な学生を次々に踏み殺して行く。あの衝撃的事件を忘れる人はいないと思います。
この生々しい映像は世界中に配信され世界中の人が、その余りにも残酷な映像に戦慄した。共産主義者とはこのように冷血で非人間的ことを平然と行なえるのです。
このひき殺された学生は「反革命暴徒」とされており、中国では大犯罪者です。その人の名誉を回復するような試みは絶対に許されない。必ず弾圧され投獄されてしまいます。
5年前の文章になるが紹介しましょう。投稿掲示板のネットに上がっていました。
天安門事件20年に想う
2009.6.4 08:41 (1/3ページ)[石平のChina Watch]
今日は6月4日、私にとって終生忘れ難い日である。
今から20年前のこの日、北京の天安門広場を本拠地にして民主化運動を展開した学生や市民に対し、1992年2月、血の鎮圧の決定者であったトウ小平は有名な南巡講話を行い、「経済の発展がすべてだ」と語って市場経済への全面的移行を呼びかけた。
それ以来、中国は「経済発展一辺倒」の時代に突入して「成長と繁栄」のわが世の春を迎えた。今から考えてみれば、この時代の出発点となった南巡講話の根っこは、やはり天安門事件にあったのではないか。
つまりトウ小平は、人民とエリートたちを市場経済の中での富の追求に狂奔(きょうほん)させることによって天安門事件に対する彼らの記憶を希薄にし、経済の成長と繁栄をもって血の鎮圧を正当化しようとしたのである。
その一方、天安門事件の直後に誕生した江沢民政権は南巡講話の発表とほぼ同じ時期から、もう一つの国策級の戦略を打ち出した。
「反日教育」の推進とセットにされた愛国主義精神高揚運動の展開である。
実はそれもまた、「天安門」を強く意識した政権の策略であろう。国民の憎しみを日本という「外敵」に向かわせて共産党の犯した罪をもみ消し、崩壊した共産主義の神話に取って代わって「愛国主義」を政権維持の新しいイデオロギーに奉ったわけである。
言ってみれば、90年代初頭から中国の二大「潮流」となった経済成長と愛国主義精神高揚運動の展開は、いずれも共産党政権による「天安門善後策」の産物であると理解できよう。
そして、この十数年間における中国の政治的安定と経済の「繁栄」は、政権の「善後策」が挙げた魔術的な成果であると言ってよい。 しかし、ここにきて、「安定と繁栄」の時代をもたらした共産党政権の魔術は、いよいよその効力を失おうとしている。
2005年春、反日教育によって育てられた「愛国青年」の巻き起こした反日デモの嵐は、反政府運動へと転化する一歩前となった。それ以来、共産党政権は「愛国攘夷(じょうい)」というもろ刃の剣を安易に使えなくなったのである。
そして2008年からの世界同時不況の影響を受け、対外依存型の中国の高度成長もいよいよ、その終焉(しゅうえん)を告げようとしている。
以上
5年間は何も起こらなかった。しかし、これからの5年間はどうだろう?今度「反日愛国運動」が中国で起きたらどうなるだろう?もはや警察力での沈静化は望み薄となるでしょう。その時こそが危ない。内乱の危機に晒されたときに、外部に目をそらす意味で人民解放軍は日本に向けてその攻撃の火蓋を切ると考えられるからです。
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