[連載]強者こそが担うべき国家の責務!

戸塚ヨットに学ぶ大人の責任
―叱正と体罰なくして人間性育たず―
崩壊が指摘されて久しい我が国の教育だが、今年は教育基本法の改正案も提出され、かの『戸塚ヨットスクール』の戸塚宏校長が今春に出所・現場復帰を果たされただけにこの平成18年は�犇軌藝洞集鞠��瓩噺世┐襪世蹐Α�
最高裁が戸塚ヨットスクール側の上告を棄却し、戸塚校長の実刑が確定したのは今から4年前のことだった―。この戸塚ヨットから多くの子供達が奇跡のように更正した事実がある以上、解決の糸口を探しあぐねる日本社会は、出所後、メディアに頻繁に登場しては教育再生への意欲を示す戸塚校長の力説に耳を傾ける必要があるのではないか―。
戸塚ヨットの生い立ち
今から二十数年前、私塾の戸塚ヨットスクールで死亡事故が起きた。飽くまでも事件ではなく��死亡事故�瓩任△辰燭�、どうしても事件にされてしまう。
当時、児童の登校拒否が激増し、各家庭や学校教育の最前線では親や教師が頭を悩ませる。
そうした状況下、戸塚校長らはヨットスクールを始め出す。そこに偶然入校していた登校拒否児がいたわけだが、ただの1度ヨットに乗っただけで更正し、学校に行き始めたという。
それまで親と共にカウンセリングや児童相談所を何度も訪ねたが、良くはならなかった。それが日曜のある日、一度ヨットに乗っただけで小学校5年から中学1年まで3年間も登校拒否をしていた子供が中学2年の5月から自ら学校へ行き始めたのだ。
その親から話を聞いた知人の親が子供を戸塚ヨットへ入校させる。すると、また立ち直る。たちまち評判は広まり、また別の子供がやって来て立ち直り、瞬く間に十人、二十人と続き戸塚ヨットは登校拒否児童を立ち直らせるスパルタ式教育で一気に注目を集め出す―。
欠落した父性・父権を担う!
子供の目に見る危機意識の現われとは?
頽廃極める青少年の更正とは何を以って更正というのだろうか。
学校にはきちんと行っているが、人間的に見て素行に問題のある者もいる。偉そうにする―、意気地が無い―、嘘ばかりつく―。およそ子供にあるまじき態度だ。
こうした子供におそらく将来はないだろう。戸塚校長はこれを「戦後教育の結果である」と断言する。
戸塚ヨットにやって来た子供はどの子も目が吊り上っていた―。
戸塚校長らはそうした子供らに体罰を加えることで矯正を図った。時間にして十秒もかからない。一発ぶん殴った後に、殴る前の写真と見比べる。すると吊り上っていた目は自然と下がっている。どこか安堵感に満ちたような目になっているのだという。
その原因はどこにあったのか?家庭環境である。
第一に父親が弱い…相当なかかあ天下か、父親の気が弱過ぎる、あるいは母子家庭か、どれかに当てはまることを突き止めた。自分を庇護する者らは極めて弱い…必然、子供らはいざという時、自分は守ってはもらえないという恐怖心に駆られる。だから目は吊り上ってしまう―!戸塚ヨットの教育は家庭から喪失された父性・父権を担ったのである。
「男、父親とは強くないといけない。強さとは正しさであり、力は正義である」
戸塚校長は常々、戦後の家庭教育から欠落した父性・父権の復活を提唱されている。戸塚校長をはじめ戸塚ヨットのコーチ陣の面々は強そうだ…だから戸塚ヨットに来る子供らは言うことを聞く―。
「言うことを聞くのは強い者だから言うことを聞くんですよ。弱い者の言うことなんて誰も聞きやしない。我々だってそうなんですから、子供だってそうなんです。
平等だよ、なんて言っていたら言うことなんか聞くわけがない。ましてや子供にへりくだってしまう。子供の言う通りになる親の言うことなんか、子供が聞くはずもない。全て自分のこととして考えて下さい」(戸塚校長)
国家に置き換えても当てはまる。
自宅に賊が侵入したとしよう。家族に危害が加えられそうな時、誰しも身を挺してでも助けようとするだろう。それが国家の在るべき姿だ。
北の暗黒独裁国家に同胞を拉致され、二十数年にも渡って放置してきた国家に誰が尊厳を抱くだろうか。靖国参拝で周辺国から内政干渉を受けても、政治家や政府に腹が据わっていないから国民も右往左往する。その場凌ぎや責任回避の答弁に終始していては国民からの尊敬は得られまい。この半世紀間、国民は国家から守ってはもらえないという危機感に怯えてきた―。
我々極右は戸塚校長及び戸塚ヨット・スクールが提唱する父権の復活を目指したスパルタ式教育に全面的に賛同する。
それが、いざ国難に対しては全身全霊を投げ出すエリート(強者)が国家・国民を導く真の国家に通ずると確信するからだ―!弱者とは強者のみが守り得る―!
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Posted by the_radical_right at 19:15│
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教育・日本人精神
戸塚ヨットスクール校長の戸塚宏氏が先月29日に刑期を終えて静岡刑務所を出所した....
教育関連雑感【もののふのこころ】at 2006年05月05日 10:32
>もののふ様
トラックバックを有り難う御座います。
このほど新たにリンクに加えさせて頂きました。
生半可な知識では戸塚校長の教育論には太刀打ちできませんね。
小生、“馬鹿”故に、戸塚校長の素晴らしさを決して認めることはないでしょうな。
失礼します。
戸塚氏の方法について::
戸塚氏の実践はヨット(今ではウインドサーフィン)を使った治療プログラムである。
基本は、自然に任す(自然の中に放り込む)ということである。
そこで、出来るだけ危険の無い方法をとるということである。
自然というものは危険に満ちている。(登山事故を考えればよく分かる)
ついでに言えば、100%完全な治療法はありえない。
手探り状態の中から、戸塚氏の卓越した、心身能力で体系化されたものである。
こういうものは、理論化は非常に難しい。
分かる人は分かるがそうでない人は無理という、所謂「馬鹿の壁」が存在する。
この前のテレビでの戸塚氏の回りの連中の反応を見ていて、特に痛感した。
彼らは、例えて言えば、中学校の方程式程度しか解けないレベルの人間が、位相数学についての連続概念は間違っているというようなものである。
お弟子さんへ
丁寧なご返答痛み入ります。なれど、正直なところご説明で得心がいった訳ではありません。戸塚校長はインタビューに答え、子供を従わせ、やる気を引き出すには、暴力による恐怖が必要だと言っていた。そこには始皇帝やイヴァン雷帝などの暴君と何ら変わらぬ、絶対服従を強いる姿勢しか感じることができなかった。私ごとで恐縮だが、大学生の頃とある学生寮に寄宿しておりました。蛮カラの気風の残る寮で、上級生が如何に愚かしい命を下しても従わねばならなかった。拒めば鉄拳制裁が待っていたからです。小生はその経験から仮令、上役の命であろうと理の通らぬものは拒むを矜持としてきました。為に割りを食うことも少なくありませんでしたが、後悔はしていない。この件について、小生もお弟子さんも互いに相手を納得させられるとは思えませんが、一言だけ申し添えておきたく、再びコメントさせて戴きました。あしからず。
田中弘之 (1862〜1934 仏教会の活動家。満蒙問題にも積極的な論客。東亜女学校開校者)
「私はかつて学業を修めました後、三年を費やして国民の現状を研究いたしました。 その結果、ヨーロッパの精神に惑わされた人々を見い出しましたが、女性の本性は悪しき品行に流され易いので、ヨーロッパ人旅行者の感化は女性においてより甚大であることを確認したのです。 かくして日本女性の民族精神護持の必要を痛切に感じましたがゆえに、身の貧困をかえりみず、今日の仕事を引き受けた次第であります。(拍手)」
ジャポンヤ・イスラム系ロシア人の見た明治日本より抜粋
続き
これは明々白々な自然の摂理です。 しかるに、いかなるヨーロッパではどうですか。道徳と自然とに逆らう輩が男女平等を誇らしげに吹聴してるではありませんか。これはまさに犯罪であります。(拍手) 私は日本人であります。生まれながらにして数々の特徴を身につけております。万が一にも、これをヨーロッパ人の感化を受けて改変するようなことをしましたら、私は日本人とその民族性に対して罪を犯したことになりましょう。(拍手)」
桜井熊太郎 (1867〜1911 弁護士。日比谷事件でも活躍)
「今日学校に学ぶ女生徒諸君も、明日は国民の母となります。 しかして国民の母の第一の使命とは、子供たちの精神を外国人の感化から守ることであります。 母の使命とはただ子供を作る事では有りません。男らしさ女らしさを備えた人間を生み出すことです。 そして男女の職分、これもやはり自然が定めたものです。どんな女性も男性の役割を果たせぬように、いかなる男性も女性の役割を果たすことはできません。
>愛犬ぷう様
犬の躾よりも、人間のくそ餓鬼の躾が重要だと言われますね。
躾が出来ているから教育する事も可能です。この根本が今の日本からは廃れつつありますね。何もスパルタだからといって敢えて叩いたりする必要はないわけですから。
追記です。
>体罰と言うのは洗脳兵器になります。教師も人間なので憂さ晴らしに生徒を殴らない保証はなく、
>体罰権を与えられる教師がいい人間という保証がないことは
だからといって体罰を否定する理由にはならないでしょう。問題は体罰が悪いということではなく、戸塚校長の講演にもありましたが、体罰の「仕方」です。
>こういう子供が増えている根拠はあるんですか?
失礼ながら、あなたの言い分は「何でこんな事しなきゃいけないの〜?」という子供とダブってしまいます。事実、学校も頼れず相談所も頼れず、まして家庭でもどうにも出来ない親が戸塚ヨットに殺到したのでは?現実のものとして問題が起きているわけですから。
少年犯罪の件数を云々すれば、今は少子化で数が減っているわけですから、数十年前のデータと比較して当てはめるのは無理があるのでは、と思ってしまうのですが。
Xさん
>例えば日教組が、自虐教育に意義を唱えた子供をぶん殴って、
>左翼歴史観を刷り込んでもいいのですか?
そういう子供はまっすぐ育たないでしょうな。だから私も極右です(笑)。
そう言えば戦争反対を唱える左翼偏向教師から暴力を受けたことはありませんが、精神的苦痛は多々ありました。日教組の偏向教師は戦争や暴力に反対を唱える建て前上、暴力は振るわないのでしょうかね?でも、彼らが日本男児としての気概なり肉体強健を求めると厄介です。それを生かして振るうべく日本人としての戦い自体を否定しているわけですから。だから力の使い方も間違えて暴力になってしまいます。
>怒る小市民さま
こんにちは。
人間のやる事ゆえ、戸塚ヨットに過失が全くなかったとは言えないでしょう。然るに戸塚校長らが下獄するに至った罪が過失致死であったとしたら何ら異を唱えることなく法の裁きに潔く従ったのではないでしょうか?
事故であるものを故意とされたが故に異を唱え続けたのではないかと思うのです。「立ち直って欲しいと云う真心」が見ている第三者にも伝わったからこそ政治家をはじめ各界で戸塚式スパルタ教育に共感を覚える向きが多いのではないでしょうか。
>農民さま
追加コメントを有り難う御座いました。
昔は「地震、雷、火事、親父」と言われたように、父親とは畏怖されるべき存在で、子供には表面的な優しさは見せなかったように思います。それでいて表面上の厳しさの中に、どこか優しさがあったりと。冬の寒空の下、家の庭にて竹刀で子供をしごきながら、稽古の後には「子供部屋に暖を焚くよう」に母親にそっと命ずるといったような。
一方の母親は表面上の優しさとは裏腹に「甘えは許さない」という厳しさを持っていたように思います。
昔は自然と出来ていたのですよね。
はなび様
こんにちは。
何も事情を知らない人がマスコミ報道だけを見ていれば、そう思ってしまっても無理はありませんよね。私はこの事故が起きた当時、まだ子供の頃で、強制収容所か何かのようなイメージを持ちました。一方向的なマスコミ報道と世間に定着してしまったイメージを受けてか、何かの漫画でも私塾ヨットスクールがまるで暴力学校のように描かれていましたし。
「戦争反対」「暴力反対」を唱える正義感に燃えたつもりの新聞記者によって戸塚ヨットが標的にされたのでしょうが、力と暴力、侵略戦争と愛国心を混同して、果ては家庭における父権までを否定して悦に浸っている連中には反吐が出そうです。
テレ朝の番組私も見ました。
私も戸塚校長の考えには全面的に賛成は出来ません。(部分的には納得できます)
しかし其れにも増して気になったのが、話を聞く司会の2人が戸塚校長の考え方を全く調べずに本番に臨んでいたことです。
従って既に裁判で反省、謝罪をし落度を認めた部分部分までも、今更改めて訊くという無駄なことをしてしまう。
それに戸塚氏が扱う子供はそもそも手のかからない子供では無いのに、いつの間にか一般的な学校教育や家庭教育と混同されていて益々話が進まないちう悪循環。
それで消化不良のまま時間切れですから、呆れてしまいましたよ。
でも其の後の駄目警察犬候補生キナコは可愛かったですね。あれは犬が駄目なんじゃなくて単なる太りすぎでしょう。
人も犬も正しい教育は大切ですね。
体罰を肯定していますが、
例えば日教組が、自虐教育に意義を唱えた子供をぶん殴って、
左翼歴史観を刷り込んでもいいのですか?
体罰と言うのは洗脳兵器になります。
そのへんにも触れた方がいいのではないですか。
教師も人間なので憂さ晴らしに生徒を殴らない保証はなく、
体罰権を与えられる教師がいい人間という保証がないことは
右翼であればあるほど分かるはずです。
>学校にはきちんと行っているが、
人間的に見て素行に問題のある者もいる。
偉そうにする―、意気地が無い―、嘘ばかりつく―。
およそ子供にあるまじき態度だ。
こういう子供が増えている根拠はあるんですか?
凶悪少年犯罪が増えているのようなマスコミの無駄に不安を煽る
いつものミスリードのような気もするのですが
(実際は団塊の世代のとき今の7倍の凶悪犯罪があった)
瀬戸さん、お弟子さんこんにちは。
戸塚ヨットスクールの戸塚宏校長。異論を申し上げるようで甚だ恐縮ではありますが、小生も先にコメントされた直助さん同様、この人物に対し全面的に共感を抱くことが出来ません。暴行により二名が死亡、逃亡しようとした二名が行方不明、この結果は重い。戸塚校長が生徒に死亡するまで暴力を加えなかったら、或いは、生徒の死を悼んで剃髪し仏門に発心でもしたのなら、孤高の教育者として尊敬もしたでしょうが、謝罪はもう済んだと嘯く様には教育者としての資質に疑念を抱かざるを得ません。確かに昨今の子供たちを見ていると、無気力、我儘、凶暴性といった面が垣間見え眉を顰めたくなります。なれど、暴力の介在する教育は否定はしませんが、そこに子供への愛情があったなら、立ち直って欲しいと云う真心があったならば、最悪の事態は防げたと思うからです。これが小生の偽らざる感想です。
追加コメント致します。
父性に厳しさ、強さは大切だと思いますが、それより大きな優しさが必要だと思います。
時には子供と一緒に笑ったり遊んだりふざけあったり、しかし締める時はキッチリ。
ただ厳しいだけでは子供に伝わらないモノもあるでしょう。
とは言ってもまだまだ父親としては新米です、色々な人の意見を聞いて自分なりの理想の父性を見つけたいです。
瀬戸さん、お弟子さん、こんばんは。
戸塚ヨットスクールの事が話題になった頃、あまり世間でおきていることに興味が無かったため、本質があまりわからないんです。生徒を何人か死なせたとか、スパルタ教育という事だけは知っているんですが。その当時は酷い男もいるもんだな〜と思っただけでしたけど、もっと情報を集めてから判断したほうがいいのかもしれませんね。
父親のあるべき姿についてはおおいに賛成です。男女の歪んだ平等が浸透してからの日本は余りにも狂っています。何も韓国のように男尊女卑がいいなんていう話ではありません。体の造りも考え方も違うんですから、男は男らしく、女は女らしく。お互いを尊敬し、尊重しあえればそれでいいと思うんです。子供が最初に触れる世界、【家庭】がしっかりしていないと、日を追うごとに日本は駄目になっていく気がします。
直助 さんへ
コメントありがとう御座います。確かに戸塚氏については賛否両論あると思いました。以前、この方を我々の会合に呼んだことがあります。非常に気さくな方でいろいろ話してくれました。今回出所されテレビに出て持論を述べています。昨日はテレビ朝日の昼のワイドショーで「戦後、朝日が日本の教育を破壊した」と語っていました。批判はあろうかと思いますが、弟子がこの連載を始めたので、皆さんにも是非読んで頂きたいと思います。
はじめまして。いつも読ませて貰っています。
正義感溢れる、分析された完結的で丁寧な文章は、
素晴らしいと思います。
今の日本人にとってみれば、
瀬戸さんの文章は凛々しくて、とても心強いです。
今回のエントリーは、戸塚さんの意見と重ね合わせて
今の日本男児を立て直す願いがこめられていますが。。
すいません、この戸塚さんの言い分には共感できません。。
確かにこの人の説く戦前の父親像と、本来日本人が持っていたたくましさ、
凛々しさとリンクするかも知れません。
しかしこの方の行った行為は、許される事ではありません。
この方を引き合いに出されたのは少し残念に思いました。
瀬戸さんの幼少期にも重なる貴重な思いがあった事も、重々承知していますし、共感出来ます。私の母も、父には良く殴られたと思い出話をします。
その父(祖父)は、戦前戦後を生き抜いている人です。
農民さま コメントを有り難うございます。
私にも同じような経験が何度かあります。あの時、殴ってくれる人がいなかったら、説教してくれる人がいなかったら、今頃はどうなっていたのか…。むしろ殴られた経験よりも、そちらの方が背筋が寒くなります。
昨日は言葉がきつくなってしまってしまい申し訳無いです。
僕も親として、時には体罰は必要だと思います。(限度はありますが)
僕が昔、親の財布からお金を盗んだ時に、思いっきり殴られました。その後、人のモノを盗むという最低の行為をしたらどうなるか、お金を稼ぐとはどういう事なのか説教されました。
道を外れるような事をしたら罰を受ける、当然のことです。
それが強烈であればあるほど後々に生きてくると思います。
夫は威厳を保ち、妻は夫を立てる―。
これ一つで大抵の問題は解決すると言いますね。小中学校時代の同級生の家庭がこれに近かったと思います。彼の家ははっきり言ってしまうと父親は安月給(?)のサラリーマンで、家も失礼ながらボロアパートの一角にいました。しかし、貧しいながらも父親は威厳を保ち、妻は夫を立てるという昔の一般的な家庭像だったと思います。そういう家庭であったからこそ同級生の彼も幾多もの苦難を乗り越えられたのかも知れません。子供の頃の私は心の奥底で馬鹿にしていた側面が否めませんが、今にして思えば理想の家庭像ですかね。私の記憶では同級生の彼は母親によくシめられていました(父親にもシめられたのでしょうが)。お母様は豪胆な方で並の男なら恐妻家になること間違いなし。彼曰く「鬼婆」だと。しかし、その鬼婆が崇め奉る父親の言うことを子供の彼が聞かないわけがない。
二極化構造で「勝ち組」「負け組」などと揶揄されますが、今一度、この旧き良き日本の価値観に立ち返ってもらいたいですね。
私が幼少の頃、父はとっても怖かった。すぐ殴られた真っ暗な蔵に閉じ込められた。いつも助けてくれるのは母と祖母だった。昔の父親というものは本当に怖い存在でした。私は福島に家族をおいて東京で仕事をしてきたので、子育ては殆ど妻任せでした。子どもを殴ったこともありません。子どもが父に対してどのような気持ちを抱いていたのか、今度知りたいものです。
nerinaさんには「力」と「暴力」の区別がつかないのでしょうね。
その体罰で人が死んでも�犹猖柑�故�瓩砲覆襪鵑任靴腓Δ諭�