「移民の受け入れ」についての論争を今振り返る!
フランス全土に拡大した移民の子弟達による暴動は収まる気配がない。もう、フランスという国家がこれから十数年先には瓦解して行く様を我々は目にする事になるのではないか。そもそも、人種も民族も伝統も風習も違う人達が、一つのエリアの中に混住することの危険性は分かっていたことであり、それを人権などという奇麗事で覆い隠してきた結果が今日の無惨な姿である。
よく似非人権派は「不法就労者」や「不法入国者」についても、彼らの権利を声高に主張する。本来は日本にあってはならない存在なのに、そのことはすっかり忘れ、不法滞在者の権利を奪うなと主張する。移民の受け入れが合法化されればこの問題が解決されるわけではない。しかも、移民=経済難民というのでは、これは明らかに日本国家にとっては災いをなすものとなる。
私は今から6年ほど前になるが、インターネットの掲示板において、読者というハンドルネームを名乗る方とこの「移民政策」で論戦を行なったことがある。その論戦の一部(主に私の相手への反論)がパソコンに残されてあったので、それを紹介することにしよう。
>読者さんへ
>経済難民というが、それも正当な移民の理由にはならないのか?
>現在のように受け入れキャパが少ないから、違法な手段で入国する人
>がいる、だから正当に移民を受け入れる立場を取ればいいのではないか。
「経済難民」を正当な移民として受け入れるべきとの考えであれば、あなたとの意見の一致はどこまで行ってもないでしょう。左翼や人権団体は「日本は豊かなのだから、貧しい国の人達を受け入れるのは当然だ」などと主張します。
この論を借りれば富が無限であれば、それも一つの理由にはなるかも知れない。(同意は出来かねるが)しかし、富は無限ではない、豊かさは永遠には続かない。だからこそ、何が優先されるかが決まるのです。つまり、先ずはこの国に住む国民を優先させることが大切なのです。
あなたは非寛容は恥ずかしいと書いた。しかし、私はそうは思わない。頑なに守るべきものがあってもいい、そう思っている一人です。あなた方は自分の国民にだけ寛容の精神を説くのではなく、例えば他の国の人達にもそれを説く勇気がおありなのでしょうか。
例えばイスラム原理主義者の場合などだが、彼らに寛容の精神があるとは思えない時もある。他の神を一切認めない宗教がある以上、世界の人達全てが寛容の精神をもつなどとは甘い幻想に過ぎない。
>現在受け入れ枠がないから違法な流入がおこり、結局地下に潜るようになるから治安が悪化する。
では聞きますが、あなたはどれくらいの移民を受け入れるべきと考えているのか、移民という形でやってくる人は「定住者」なのか、それとも「永住者」になるのか?この場合、彼らに日本国籍を与えるのか。彼らに日本国籍を与えた場合、彼らの母国との二重国籍を容認するのか。この問題は複雑であって軽々しく論じるべきではない。
>各国で起きている移民と先住民の衝突は、先住民の非寛容さに原因があるのではないか。日本人は他の民族より古来より寛容の精神に溢れていたではないか。
確かにあなたの言われるように日本人は世界でも稀に見る寛容性に溢れた民族であり、そのような社会を創ってきた。しかし、これまでの歴史とは全然違う一旦流入してきたら、その数は驚異的な数字になってしまう。それでも寛容でいられるなどとは思わない。
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