最大の政治決選が呆れる自民内紛と野党の傍観
最大の政治決選と政界関係者を言わしめた郵政法案は、与党自民党の中から51人もの造反者が出てわずか5票差で可決された。
次に参院選での攻防となるが、参院にはもともとこの法案に反対する勢力が根強く、衆院とは反対に否決される可能性もある。
さて、今回の騒動を見て感ずることは議会制民主主義は今や地に堕ちたと言って良いほどの惨状を呈したと言うことだ。
先ず、政治決選と呼ばれるからには与野党の激しい攻防が普通である。
ところがどうだ、野党は与党の“分裂”だけが期待の消極的な対応に終始した。
小泉首相は自らの掲げる構造改革の本丸と郵政改革を位置づけた。
この郵政民営化に反対する勢力を守旧派と呼び、「抵抗勢力」と決め付けた。
この「抵抗勢力」とされた方々は、旧橋本派や亀井派であり、どちらかと言えば、古い自民党の体質を持っている。
よって、民主党もこの古い自民党のイメージで見られる反対派とは距離を置かざるえなかった。
身内に同じように労組体質という古い勢力を抱え込む民主党としては尚更である。
小泉首相もこの辺りはよくわきまえており「民主党さんは郵政民営化に賛成なのですか、それとも反対なのですか、はっきりして下さい」などと挑発した。
確かに、自民党の中における賛成、反対の両勢力の言い分はそれなりに国民は知ることが出来た。しかし、民主党の側は本当はどうだったのか?
労組依存から抜け切れない勢力は郵政民営化には反対だったが、党内には民営化に賛成する議員もいたようだ。
党としてまとまった行動をしたのは、もし否決となれば、衆院解散総選挙になり、それを考えての行動だった。。そのような切羽詰った政治状況でなければ、民主党の中にも民営化に理解を示す議員もいたと考えられる。
議会制民主主義はしょせんは虚妄の産物か
今回の自民党の騒動を見るとバカバカしさが伝わってくる。先の総選挙で自民党はマニフェストで郵政事業の民営化を掲げ、小泉首相を先頭に戦い勝利した。
党人であるなら、その党則・選挙公約に従うは当然であり、もしこんなことが許されるなら、国民への公約など薄っぺらなものでしかなく、国民をないがしろにした行為に他ならない。
私は始めから「自民党」の存在に期待していないし評価もしていない。
しかしながら、小泉首相の共産中国に対する姿勢だけは評価する。
執行部が反対派を除名できないとしたら、それは政党としては自己否定にも等しい。
また、反対派も党を出るくらいの覚悟を示さないでは信用できない。
ここ十年来の日本の政界は「出たり、入ったり」のデタラメぶりだ。
一端は出ても、蕩児の帰還よろしく舞い戻ろうが、誰もそれを咎めようともしない。
政治不信を増幅させるだけだろう
衆議院議員の本音はこれで一安心といった所だろう。票差が接近していたので反対派も面子が保てた。何より怖いのは衆院解散である。
参院で仮に否決されても、それは参院のことだと小泉首相に圧力をかけるだろう。小泉首相も迷ってそこまでは踏み切ることは出来ないのではないか。
一部のマスコミはこれで小泉首相の「死に体」化が始まったなどと書いているが、待って欲しい忘れてはならないことが取り残されている。
靖国神社への公式参拝問題である、これをやり遂げて共産中国に気概を見せて欲しいものだ。
しかし、深刻なのはこのような節操のない政党や政治家に選挙の度に一票を投じなければならない国民の側だ。
議会制民主主義とは、民意が最大限に努力を発揮しうる制度ではなかったのか。
国民の代表である議員とその集合体である政党が、かくもだらしなく体たらくな現状をどうするのだ。
そして国民の側も、この政治に対して魅力を感じることが出来ず信頼もおけないとしたら、そこから導き出される答えは一つだ。
「議会制民主主義よサラバ」である。
ここは一つ若者に呼びかける。
絶望による政治からの逃避か、
希望を持った祖国改革への
闘争かである。
