石橋学 @ishibs_kanagawa
2019年も川崎市がヘイトとの闘いの最前線。求められる、差別を禁じ犯罪として処罰する条例の制定を、市民の力とそれを報じるメディアが後押ししていきます。刻む2018〈5〉差別禁止してこそ 川崎市のヘイト対策 記者の視点=川崎総局編集委員・石橋学http://www.kanaloco.jp/article/378681 #神奈川新聞
1、地方公共団体が条例で定める罰則規定について法制度における条例は、地方自治法により
定められており、地方公共団体がその事務について規定するものである。
普通地方公共団体は、地方自治法第14条第3項に基づいて、条例中に罰則の規定を設ける
ことができる。
1 条例に定めることのできる罰則とは
○2年以下の懲役もしくは禁錮(行政刑罰)
○100万円以下の罰金、拘留、科料若しくは没収の刑(行政刑罰)
○5万円以下の過料(秩序罰
上記のとおり
日本人拉致被害者奪還デモを妨害
北朝鮮批判の高まりを恐れて左翼が妨害に結集
そこで左翼はヘイトスピーチ反対などでカウンターをかければ、拉致奪還デモがヘイトデモにすり替わる。それを狙っての結集だった。
日本人拉致被害者を取り戻そうとするデモに、反対してカウンターとは、まるで拉致被害者は返ってこなくて良いと言っているようなものだ。
北朝鮮の手先共が今北朝鮮が攻撃されて滅ぶかもしれない中で、必死に妨害行動に出たというところでしょう。在日も哀れだね。北朝鮮は在日もろともミサイルぶち込んで焼き払うと言っているのに、未だに祖国北朝鮮を守る為に必死だなんて、本当に殆ど頭の狂った連中というしかありません。
ヘイトも何も日本に対してミサイルを発射すると宣言しているのに?何を考えているのでしょう。
左翼は「恥を知れ」などと野次っていたが、おまえらこそ拉致批判デモにカウンターかけるなど恥さらしもいいところだ。
有田ヨシフも姿を見せていた。北朝鮮が消滅するのが迫っているので内心穏やかではない表情だ。居ても立ってもいらねない心境なのでしょう。
朝鮮人女性が「川崎にこないで下さい!」
日本人がどこに行こうが問題ない。往来の自由があるからね。
新宿の拉致被害者奪還デモにこの在日朝鮮人の女性を見かけた。

これは昨年夏に銀座で我々のデモに妨害している時の写真です、前回もそうだが今回も中指立てたり、ギャーギャー喚いている姿は見ていない。他の人達からみれば余程マシな人かと思ったら、やはりトンデモナイ人間でした。
デモが終わり集合場所から私は一足先に別な場所に移動するために離れた。そしたらカウンターの女性の一団に遭遇してしまった。
「何、一人で歩いてんのよ?」などと言いながら数人の女性の一団が前を塞いだ。こんなキチガイ共と話をしてもしょうがない。私は逆向きになって歩いた。
とにかく面倒なことには関わりたくない。すると警察官が何かトラブルかと思ってやってきた。だからカウンターの女共とはある程度距離が保たれた。
すると、この写真の女性がいきなり私に向かって声を出した。
「又、川崎に来るんですか?」 別に答える必要もない。黙っているとこの朝鮮人の女性は次のように言った。
「もう、川崎に来ないで下さい」
<もう、一回言ってみろ!>と返してやりたかった。
私は日本人だどこに行こうが本人の自由だ。川崎で講演会を開いた時もこの女は反対していたようだ。
川崎に来るなという理由を聞いてみたい。あの講演会でヘイトスピーチなど一切しなかった。それは多くの人が認めるところだろう。全て映像は編集なしで公開されている。
どんな理由で私が川崎に行くことに反対するのかが分からない。ひょっとして川崎を自分たちだけの街と勘違いしていないか?
日本は日本人の為の国であり、街だ。勘違いされてもらっては困る。
川崎デモから6月5日で一周年になる、川崎市の施設を借りて集会を開くと公言して来ましたが、5月27日神奈川県横浜市で日本第一党の党学校が開催されることになりました。
党員の勉強会です、これの責任者が顧問の私なので、先ずはこれを成功させねばなりません。その一週間も過ぎない内に川崎市での講演会は時間的に無理になりました。
よって、川崎市における講演会は時期をずらして開催の予定です。
以上
佐久間吾一@川崎市
サクマゴイチコウエンカイ
三菱UFJ銀行
川崎支店



佐久間 吾一@川崎市
今年は統一地方選の年。
日本を救うため絶対に勝ちます
この連中は会場に入ろうとする参加者に対して、入れないように仲間に扇動しています。明らかな威力業務妨害であり、これが犯罪行為にならなければ、彼らが何をやっても許されるということになります。
彼らが会場周辺で何を参加者におこなったのか?多くの映像と写真、そして証拠があるのに、川崎警察署はこの事件を闇に葬ろうとしています。



日本という国は本当に素晴らしい国家なのだと自覚して、新しい時代を自信と誇りを持って生きていくことこそが大切ではないか? その上で最後に訴えたいことがあります。