2018年02月10日

2月11日


明日11日 建国記念日大阪講演

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 2011年2月11日

奉祝 建国記念の日

 皆様と共に国家の繁栄を祈願します。


栃木県付審判裁判・もう一人の敗北者

ジャーナリスト・安田浩一氏も猛反省を!

 今回日本人の若い警察官に対する、殆ど虐めにも近い「特別公務員暴行陵虐致死罪」で宇都宮地裁は無罪判決を下しましたが、これは人権派を自称する反日弁護団の完全敗北です。

 と同時にこれはこの裁判で一貫して支那人の側を擁護し、この不法滞在者を日本社会における被害者との位置づけから、今回の裁判を我々とは逆の立場から見続けてきたジャーナリスト・安田浩一氏にとっても、これまでの活動を振り返り反省を求められるものとなった。

 安田浩一氏は左翼サイトのレイバーネットで次のように書いていました。

以下、引用

 私は事件現場での聞き込み、関係者への直当たり、中国四川省での出張取材などを通して、今回の事件は明らかに警察側に非があると思っています。だいたい、職質から逃げた人間に対し、威嚇射撃もせずに発砲することなど許されるでしょうか。判決において、羅成さんは「武器を持っていた」とのことですが、直径一センチにも満たない細い竹の棒(植木の支柱)と、石灯篭の一部(これに関しては目撃者なし)を、その場で反射的に手にしたに過ぎません。

 しかも発砲時における巡査と羅成さんとの距離は、弁護団などの調べにより、五メートル程度であったと推察されます。これだけの距離があれば、仮に羅成さんが襲い掛かってきたとしても十分に威嚇射撃ができたはずですし、あるいは警棒などで制圧することもできたことかと思います。そもそも本当に、巡査が「襲われる」ような状況にあったのか、これはまったく明らかとはなっておりません。

 遺族と弁護団は「不当判決」であるとして、ただちに控訴しました。舞台は東京高裁に移ります。

 一方で朗報もあります。
 刑事告発については昨年七月、宇都宮地検はこの巡査を不起訴としています。

 しかし原告側はこれを不服として付審判請求をしていました。
 昨日(四月二七日)、宇都宮地裁はなんと、この請求を認める決定をしたのです。つまり、特別公務員暴行陵虐致死罪での審判が開始されることになりました。

 民事で蹴っておきながら、刑事裁判の開始を命じるとは・・・裁判所ってやつも、よくわかりません。が、支援を続けてきた者としては、素直に喜びたいと思います。

 なお、一連の裁判におきましては、「中国人を日本から追い出せ」「警察官の発砲支持」などと訴える保守派団体が毎回押し寄せ、原告側支援者らと小競り合いを繰り返してきました。

ここまでが引用

>そもそも本当に、巡査が「襲われる」ような状況にあったのか、これはまったく明らかとはなっておりません。

 今回明確にその事実が認定されました。襲ったのは支那人の不法滞在者であり、逃走していた犯罪者であった訳です。日本社会にこのような不法滞在者は現在も十五万人以上もいると考えられます。如何なる理由を以ってしても彼らの存在を正当化することは出来ません。

>保守派団体が毎回押し寄せ、原告側支援者らと小競り合いを繰り返してきました。

 よくこんな事を書けたなと驚くばかりです。最初に妨害してきたのは彼のほうです。私が宇都宮地裁の前で演説していると、突然寄って来て「瀬戸さん、アナタが言っていることは間違いだ」と文句を付けてきた。

 私は怒鳴り返すこともなく、冷静に対応しました。先ず彼にマイクを渡し自分の考えを話させ、それから私が彼の言ったことについて反論したわけです。

20080420_443900

















 以上

 この年の建国記念日はこんな記事を挙げていたのですね。安田浩一なる男とはこの日が初対面でした。私が話をしているのに、それを遮って勝手に喋り始めた、とても常識人とは思えない人間でした。

 jpg largeこの男が何やら我々が行っている関西での活動に、連帯ユニオン関生支部に協力して参戦してくるようです。

 もし、本当にその気があるならば、こちらは堂々と受けて立ちます。公開討論でもやりますか?互いの支援者の数を同数にして、公開討論会を開いてもいいですよ。

 是非、お電話下さい。

 ツイッターでも取材を始めるなどと書いていますが、その前にお互いに討論会で互いの意見を述べましょう。

 本当に連帯ユニオン関西支部が労働者の味方なのか?

 色眼鏡で見なければ、あなたにも彼らの存在が、ただのならず者に過ぎないと分かるでしょう。

 早くしないと、この連中が逮捕されてからでは、あなたもやり難いと思いますので、お早めに決めて頂ければ幸いです。

確認用_カラーチラシ



















































 以上

 

昨日、我々の車両を見ると連帯ユニオン会館の入り口は、慌てたようにシャッターを降ろしました。何をビビっているの(笑) 我々は話し合いを求めて行っているのに?

 音楽を鳴らさずに周りをゆっくりと走っているだけなのに、西署の警察官が来た。理由を聞くと会館内にある幼稚園の子供が怖がるからと110番をしたようです。

 反権力の過激労組団体などと言われてきた連帯ユニオンも、今ではすっかり警察に毎度助けを求める革命集団に成り果てました。


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明日11日 建国記念日大阪講演会

明日11日 建国記念日大阪講演会

 建国記念日のブログ (2006年〜2010年)


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 2006年2月11日


3dc28a8c.jpeg写真:靖国神社の『遊就館』に展示されている零戦

「建国記念の日」愛国心について

 本日2月11日は「建国記念の日」です。国民の祝日に関する法律第二条で、「建国を偲び、国を愛する心を養う」とあります。日本の歴史の中で、今日ほど国民の間で“愛国心”が軽んじられている時代はないと思います。

 あなたがもし「明日戦争が起きたら、戦場に赴く事が出来るか?」と問いかけられたら、先ず真っ先に何を思うでしょうか。家族のことでしょうか。友人のことでしょうか。そして死と向き合うかも知れません。誰しもが「戦争は嫌だ」と思うでしょう。

 私は戦後生まれの日本人であり、戦争の悲惨さも残酷さも知りません。有り余る自由と豊かさの中で育ってきました。このような自分が戦争と愛国心を論ずることなど、実際にそれを経験した人からすれば、不謹慎なことと批判されるかも知れない。

 なぜならば、我々戦後世代の日本人にとっては戦争などと言われても漠然としたもので、それは書物や映像からしか知り得ていない。確かに日本は平和であった…しかし戦争は世界中で行われてきた。

 我々はそれをテレビニュースで見てきたが、やはりその感想も「戦争はいやだな…」という本心からのつぶやきだった。それは誰しもが思う人間としての本音だろう。

 今から半世紀前、我々の先輩は戦場に赴き多くの若者が死んで行った。彼らも現在の若者達と同じように本音としては「戦争はいやだった」でしょう。しかし、彼らは戦場に赴き戦った。

 では、なぜ我々の先輩は戦争に参加して、自らの命をかけて戦ったのか―。それを観念的に捉えるのではなく、実感から捉えたいと考えた時、靖国神社はなくてはならないものです。

 靖国神社は亡くなった人達の最後の手紙を遺稿集として発行している。この遺稿集を読むと、彼らの愛国心が痛いほど伝わってくる。国家とは家族の集合体であることが理解出来る。

 そして、かつての教育の素晴らしさを認識出来る。戦後の教育とは国家を批判の対象としてしか教えず、国家に報恩することは罪悪と見なして攻撃した。国家とは終局的には破壊の対象でしかない、という左翼思想の教えである。

 では、我々戦後世代にとって「国家」とは一体何であるのか?これを抜きに愛国心を語ることは出来ない。ましてや戦争で自らの命を賭けて戦うことなど不可能である。

 我々は先ずそれを知らなければならない。それを知ることによって戦後社会と戦後教育の誤りに気がつく事になり、本当の意味で「祖国」に目覚めることが出来るだろう。

 この難問題を解き明かしてくれるのも、また靖国神社なのです。靖国神社に祀られた戦没者を国家の為に戦った「殉教者」と自分の目で見れるようになった時、我々は真の祖国を感じ、そして自分の胸の内に「日本人の魂」を甦らせることが出来るのです。

 それは知識を会得するという行為とは根本的に違うものであり、自分の心に中に一気に情念として燃え上がるものなのです。

 私は右翼活動を20代から30代中頃までやっていました。街宣カーを止め多くの人々に呼びかけてきました。特に「建国記念の日」は、一日数十箇所で演説しました。当時を思い出し再現させていただきます。

「皆さん、日教組はこの国旗・日の丸は人殺しの旗であり、国歌・君が代は人殺しの歌であり、靖国神社の英霊は戦争犯罪者であり、天皇陛下はその戦争犯罪の責任者であると罵倒してきました。そのような教育を受けて育った私が、何故、今この場で堂々と日の丸を掲げ君が代を歌い、靖国神社に眠る英霊を敬い、天皇陛下には礼を尽くさねばならぬと訴えているのでしょうか?」

「それは我々は日本人(ニッポンジン)であるからです。この日本に生まれ、日本人を父と持ち母と持ち、この日本で育った真の日本人であります。我々の帰るのはこの日本の大地しかありません。だからこそ愛国心が今この心の中に甦ってきたのです…」

 2007年 2月11日


427f82aa.bmp祝 建国記念の日

 本日2月11日は建国記念の日です。
 私は田舎に戻っていますが、わざわざそう書かないとならない。朝からそんな気分です。―と言うのは地元新聞に何も書かれていないからです。

 社説にもありません。読者の声の欄にもありませんでした。左寄りの新聞ではありませんが、この取り扱いはどうしたことなのでしょうか?残念でなりません。

 今朝もこれから実家の農作業の手伝いです。剪定して切り落とされたリンゴの小枝を片付けしたり、リンゴの木の古い表皮を、草削りのようなもので削いでいきます。

 その裏側に越冬する害虫の卵があるからです。農作業は一年中あります。自然が相手ですから雨が降るとできません。今朝雨が降って心配しましたが晴れてきました。

 84歳の父は現役バリバリでリンゴ栽培をしています。80歳の母は人工透析で一日おきの病院通いですが元気でいます。親孝行をしなければといつも毎週は手伝いをしているわけです。

 その両親に戦前の建国記念日のことを昨日聞きました。昔は紀元節と言いました。学校は休みでなく、朝、皆集められたそうです。校長先生が白い手袋をして、箱から紙を取り出し読んだそうです。

 残念ながら、その内容は覚えていないそうですが、日本国の成り立ちを説明してくれたのではないか―そう両親は語っていました。今度調べてみたいと思います。

 驚いたのは母はその時皆で唄った歌を覚えており、それを私に聞かせてくれました。もう、30年近く母の歌を聞いていなかったのでビックリしましたが、その覚えているという記憶力に関心しました。

 丈夫な内にビデオに撮って保存しておきたいと思いました。私は初めて聞いたのですが、非常に唄いやすい感じでした。今度このような昔の唱歌を覚えて唄ってみたいものです。

 この日は帰りには紅白の饅頭を全員頂いたそうです。父や母の小学校の時代は日本は貧しくて、饅頭などを口に出来るのは、この日くらいだったそうです。

 日本は豊かになりました。今では饅頭を喜ばない子供もいるようです。でも、このような話を聞くと何となく饅頭を食べてみたくなりました。お菓子屋に寄って、饅頭を買って実家に行きたいと思っているところです。

 
2008年2月11日

 

62f28ff5.jpg奉祝 建国記念の日

神話と現代社会の接点


 世界に多くの国家が存在しますが、その中にはお隣のシナ・中国のように建国の宣言を発した国や米国のように独立宣言をして発足した国があります。

 このような国家においては、建国の年月日も明確であります。しかし、日本の建国となると、確かに本日は建国記念の日ではありますが、正直なところ、このような明確さはありません。

 残念ながら、本日の2月11日の建国記念の日が、どのような意味において建国記念の日なのか?そのことについて、明確に答えられる人も少なくなっているのではないでしょうか。

 そのようなことから、本日はわが国の建国ということについて述べてみましょう。

 日本は神武天皇の開いた国です。

 昭和前期までの日本人ならば、このことを知らない人はいませんでした。学校でそのように教えられ、当然のように日本人もそう思ってきたからです。

 戦後教育を受けた人間はこのことを一切知りません。日本の国家がどのようにして成立してきたのか。現代は民主主義の世ですが、最初から皆の話し合いで国家が成立したわけではなく、そこには歴史的に見ても、神によって興された国であると記されてきました。

 それが神武天皇のご事蹟(じせき)…残されてきた事実の痕跡なのです。第一代天皇がいかにして、大和に国の礎を築かれてきたのか。そのことは長い日本の歴史の中で、唯一のものであり、誰もそれを否定することなど出来ません。

 そして、その神武精神と呼ばれるものが、伝承されて来ましたが、それは「神事」として執り行われてきました。日本に仏教、儒教、外来文化がやってきても、日本人がそのようなものを日本的文化の中に吸収し得たのも、この「天皇」による建国という精神が守られて来たからなのです。

 かつてこの日は紀元節として、この国家の祝祭日として明治時代に定められました。

 『神武天皇即位ヲ以テ紀元ト被定』

 これが2月11日です。戦後の敗戦などによって一時は否定されてきました。また、反日左翼勢力も反発しています。しかし、国家の祝祭日があって何が問題なのでしょう。

 遠く歴史のふるさとたる日本の神話史話に思いをはせることが重要なのです。「記念日」とは何でしょう。心に残してとどめておきたい。忘れないように心に刻んでおきたい。

 その願いならば、自らのこの生まれ育った国家の生い立ちを忘れない日、それを感謝する日としたいものです。


 2009年2月11日


 

祝 建国記念の日


 
427f82aa.bmp
本日2月11日は建国記念の日です。

 このブログを読んでいる方なら、わざわざそう書かなくとも皆さんご存知なのですが、一般の人の認識としてはどうなのでしょう?

 新聞社も最近は社説でも取り上げないし、読者の声の欄にもありません。テレビなどもまったくと言って良いほどに取り上げることはありません。

 2月11日が、わが国の歴史を語る上で非常に重要な日であるのに、それをマスメディアがまったく伝えずに、そして学校の教育の中でも真剣に教えることをしなくなった。

 だから、この日の本当の意味というものを多くの若者が理解することが出来なくなってしまった。年々そのような傾向にあるのではないでしょうか。

 今日の祝日を戦前は「紀元節」と呼びましたが、一旦廃止されたこの日がまた復活したのには、多くの日本人による戦いがあったことも忘れてはならない重要な点なのです。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用

制定後から「建国記念の日」に変わるまで

 紀元節には、宮中皇霊殿で天皇親祭の祭儀が行われ、各地で神武天皇陵の遙拝式も行われた。1889年(明治22年)には、この日を期して大日本帝国憲法が発布され、これ以降、憲法発布を記念する日にもなった。

 1891年(明治24年)には小学校祝日大祭儀式規程(明治24年6月17日文部省令第4号)が定められ、天皇皇后の御真影(写真)に対する最敬礼と万歳奉祝、校長による教育勅語の奉読などからなる儀式を小学校で行うことになった。1914年(大正3年)からは全国の神社で紀元節祭を行うこととなった。1926年(大正15年)からは青年団や在郷軍人会などを中心とした建国祭の式典が各地で開催されるようになった。

 第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)、片山哲内閣により、日本国憲法にふさわしい祝日の法案に紀元節が「建国の日」として盛り込まれていたが、連合国軍最高司令官総司令部により削除され、法は1948年(昭和23年)7月に施行された。日本独立の1952年(昭和27年)から復活運動がおき、1958年(昭和33年)に国会への議案提出があり、1966年(昭和41年)に祝日法が改正され、さらに佐藤栄作内閣により建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)として再制定され、1967年(昭和42年)2月11日建国記念の日として実施された。

(引用終わり)

 このように米国占領軍により、わが国の建国を祝う日は廃止されたのです。この廃止された「紀元節の日」を再び復活させるには、多くの愛国的な国民の広範囲な運動が提起されました。

 将に言辞につくせない苦難の連続の中で、国民の各層に広く浸透し、そして支援を受けながら大きな輪となってこの紀元節復活は成し得たのです。

 確かに戦前の名称である「紀元節の日」としての完全復活とはいきませんでしたが、「建国記念の日」としてその戦いは実を結んだのです。この「建国記念日」が復活したということは本来は日本の国体の復活の兆しとならなければなりませんでした。

 敗戦・占領という未曾有の歴史的体験の中で、日本の国体そのものが否定されてきたのを、再びそこに回帰させたわけです。この運動というものは真の意味で、日本人が再び自信を取り戻すためのきっかけとならねばなりませんでした。

 しかし、今日残念ながらその気運は感じられません。

 2月11日に我々が追憶すべきことは、太古の神話の世界に想いを馳せながら、実はそう遠くない時代におけるこの紀元節復活の国民的な戦いであり、その勝ち取った成果ではないでしょうか。

 これを受け継ぎ、更に前進させることが出来るのかどうかが問われていると感じています。


 2010年2月11日


 嬉しいことのご報告

 病院の粋な計らいに感動しました。

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 今朝は寒い日でした。福島駅に着いた時には、肌を突き刺すような冷たい風に震え上がりました。新幹線から在来線に乗り換え実家に直行しました。

 注文を受けていたリンゴジュースとジャムの荷造りを終えた後、病院に母を訪ねた。丁度お昼ご飯の時でしたが、そのお膳の上に何気なく添えられていた紙に感動しました。

 建国記念の日に関するエントリーは朝だけで終わろうと思いましたが、これを見せられたからにはもう一度書かねばなりません。

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 驚きました。食事の上にあった紙は上の写真でもお分かりのように、建国記念日を説明する小さなパンフでした。

今日は、建国記念の日です。

建国記念の日とは、かつての紀元節です。

「建国をしのび、国を愛する心を養う」と定められ、

1967年(昭和42年)から

国民の祝日となりました。

 感動しました。このような病院で母が入院していることに、何とも言えない嬉しさがこみ上げて来たのです。

 母もずいぶん元気になりました。もう自分で起き上がり、ベットの脇に一人で腰掛けて食事をしています。入院した時には寝返りも打てなかったのに驚異的な回復ぶりです。

 一日おきの透析は毎回4時間以上にも及びます。それから病室に戻れば点滴が夜まで続く。84歳の高齢にはかなりの負担となります。

 しかし、思ったより元気でした。歩けるようになって退院出来るかも知れません。多くの家の玄関にも日の丸が掲げられていました。今日はとても嬉しい一日となりました。


 夕方また続きをUPさせて頂きます。


 



 連帯ユニオン関生支部の張り付いていた気色の悪い車両は消えました。この会社が裁判所に訴えた街宣禁止の仮処分は認められました。
 もう、街宣はできなくなりました。そしてここに送りこまれた方は勇気を持って連帯を抜けました。嫌がらせ行為はもう出来ません。

 昨日、我々の車両を見ると連帯ユニオン会館の入り口は、慌てたようにシャッターを降ろしました。何をビビっているの(笑) 我々は話し合いを求めて行っているのに?

 音楽を鳴らさずに周りをゆっくりと走っているだけなのに、西署の警察官が来た。理由を聞くと会館内にある幼稚園の子供が怖がるからと110番をしたようです。

 反権力の過激労組団体などと言われてきた連帯ユニオンも、今ではすっかり警察に毎度助けを求める革命集団に成り果てました。


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2018年02月09日

過去記事ですが、今度も逮捕されます。

過去記事ですが、今度も逮捕されます。

 7年前にも逮捕、今度は何人逮捕されるのか?

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生コン出荷100人で妨害、関生支部組合員ら12人逮捕

生コンクリート会社に集団で押しかけ、出荷を妨げたとして、大阪府警警備部などは
11日、威力業務妨害容疑で、全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部
(関生支部、大阪市西区)の副執行委員長、高英男(コウ・ヨンナン)容疑者(54)
=韓国籍、京都市南区東九条明田町=ら計12人を逮捕した。
府警の調べに対し、いずれも黙秘しているという。

逮捕容疑は昨年5月14日朝、大阪市此花区の生コンクリート会社の工場に組合員ら
約百人で押しかけ、出社する社員に立ちふさがったり、工場長を取り囲んで謝罪を
求めるなどして、同社の生コンの出荷を妨げたとしている。
関生支部はセメント、生コン業界などの労働者で組織する労働組合。

★全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部から逮捕者の報道に各メディアが大きな注目★

全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部が生コンクリート会社に100人程の集団で押しかけ、社員の出社を妨げたり工場長を囲み謝罪を求めるなどして同支部の副執行委員長、高英男(コウ・ヨンナン)容疑者ら12名が威力業務妨害で逮捕されたことを産経ニュースが報じた。

このニュースはネット上での注目を集めるだけでなく、過去には宝島社から発行される月刊誌「月刊宝島」の2010年2月号で、『生コンの帝王が送った「カネ」と「票」辻元清美と黒い労組幹部』という見出しで大きく報じられたこともある。

辻元清美首相補佐官は現在114万円の出張費の用途などでも疑惑が持たれており、今回の報道は更に辻元議員の周りで大きな波紋を呼びそうだ。今後の辻元氏や関係団体・議員の動向が注目される。

参照元:MSN産経ニュース

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 これは2011年の記事ですが、今回やったことも同じです。今回も100人以上で押しかけて暴行しています。暴行された社長は傷害事件として告訴しています。

 診断書の写真を見ましたが、酷い打撲を受けています。何人の連帯ユニオンの活動家が逮捕されるのか?まだ分かりませんが、この2011年の時と同じ規模で逮捕されるでしょう。

 

 連帯ユニオン関生支部の張り付いていた気色の悪い車両は消えました。この会社が裁判所に訴えた街宣禁止の仮処分は認められました。

 もう、街宣はできなくなりました。そしてここに送りこまれた方は勇気を持って連帯を抜けました。嫌がらせ行為はもう出来ません。

 
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関西生コン・過去の金銭スキャンダル

連帯ユニオン関生支部・過去の金銭スキャンダル

 今抱える金銭問題の全貌も近く明らかに

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new!関生支部の金銭スキャンダル��

1978年〜1983年の5年の間に、争議解決金として約7億5千万円、
政策協力金として2億8千万円、合計10億3千万円の収入を得ていた。
この5年間の組合費収入は約4億9千万円で、組合費の2倍以上もの
カネを企業から獲得していたことになる。

事情を知る当時の運輸一般労組関係者は、
「数字は、会計報告として大会に出されたものですが、代議員には
その内容も分からず、また検討する時間もない、事実上の秘密報告
でした。
 たとえば、80年の大会の会計報告は、当日配って当日回収、
81年は(報告書に)ナンバーを打ったうえで回収、82年の会計報告では
なんと模造紙にマジックで書いて見せ、説明のみで終わらせようと
したため、代議員からの抗議でプリントが配布されましたが、議事
終了後に回収しています。しかも、各年度の会計報告書は、いずれも
勘定科目ごとの内訳が一切書かれていない、総額だけの報告書でした。

そもそも記帳自体もでたらめで、80年から公認会計士に会計監査を
委嘱して以来、毎年、『監査不能』あるいは『意見書』のみで、
一度も監査証明を貰えなかったほどのシロモノなんです」
(『月間宝島』2010年1月〜3月号連載スクープより)

2018-02-08 22:38:38 返信編集
   
一ノ宮
   
new!関生支部の金銭スキャンダル��

⇒複雑な手形取引で巨額のカネが関生支部に還流

※発覚の発端:2003年に起きた武委員長による“粛清人事”
武委員長が、当時の幹部を役職から追放、組合員ら9人を権利停止、
除名処分(のちに最高裁で無効判決が確定)し、組合員資格の
ない人物を幹部に据える独断人事を強行。
  ↓
この直後、武委員長が関生支部として、兵庫県内の生コン会社に
29億6千万円を貸し付ける。
3年後の2006年には貸付金が30億円に膨れ上がったほか、これとは
別に十数億円の貸付金もあり、関生支部として合計四十数億円を
貸し付けていた。

この一件で捜査本部が関生支部の幹部宅を一斉に家宅捜査。

この問題を告発した元連帯労組幹部が、貸付金のカラクリを解説。
「兵庫の生コン会社が約束手形を持ち込み、関生支部が受け取り手形を発行。
この受取手形と関生支部が別に振り出した約束手形を抱き合わせ、
(闇人脈の)企業に持ち込んで、割引してもらう。
この割引料を差し引いた現金が関生支部経由で兵庫の生コン会社に
振り込まれるという、不可解な処理がなされていた。

結果、2003年中頃には、生コン会社に貸し付けたカネと同額の
29億6千万円の約束手形が生コン支部に蓄積・保管され、2006年に
その額が三十数億円に膨れ上がった。
その手形を武委員長が裏書きしているため、会社が倒産したら、
関生支部が損害を被ることになる」

以上、当時の連帯労組幹部の告発状、武委員長に対する公開質問状、
元幹部の証言を基に大阪府警が捜査に当たり、資料を押収済み
(『月間宝島』2010年1月〜3月号連載スクープより)

※闇人脈企業:捜査当局作成の闇人脈チャートに登場する企業

2018-02-08 23:53:26 返信編集
   
一ノ宮

 以上

 これは過去の問題ですが、今も変わらない。連帯ユニオン関西生コンは私がいい加減な金銭スキャンダルを流し続けているなどと言っていますが、言わせておきます。皆さんもよーく覚えておいて下さい。

 現在、大阪広域生コンコンクリート協同組合が調査を始めていますが、その結果はいずれ公表されますが、巨額な数字が並び多くの人が驚愕することになるでしょう。

 何も知らされないのは一般の組合員です。幹部級であっても知らされない。一部の幹部というか、武建一と数人の執行委員長しか知らされない。

 一昨日、被害に遭われた会社社長への取材の事です。関西生コンに脅されて3千万円の金を脅し取られた。その社長へ取材していた時に、関西生コンの労組を抜けた2名が立ち会った。

 この2名の内の1名がこの社長への嫌がらせを当時、上からの命令でやらされていました。関西生コンからこの3千万円要求され払ったという事実を全く知らされていなかった。

 関西生コンの幹部数人しか知らない。他の組合員には何の説明もされていません。まさに北朝鮮と同じような独裁体制下にあるのが、関西生コンなのです。

 今、武に命じられ大阪市内で街宣をしている下っ端の活動家が不憫でなりません。彼らは何も教えられていません。巨額な金の流れがもうすぐに判明します。

 何十億の返還請求、何十億の損害賠償、

関西生コンは多くの人から脅し取った天文学的な巨額な資金を有しています。関西生コンからその脅し取った金を吐き出させる戦い。

 ここにも、この戦いの<正義>と<大義>はあります。関西生コンには未来はありません。騙され続けている組合の皆様もう潮時です。1日も早くお辞めになることです。

 

 https://www.youtube.com/watch?v=_7TdhR9GlBw&t=350s


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2018年02月08日

京都街宣から連帯本部へ

京都街宣から連帯本部へ

 閉鎖に追い込まれた生コン工場(京都)

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  私は昨日の街宣には参加していない。連帯ユニオンによって倒産に追い込まれた経営者のご子息、解決金という名目で金をむしり取られている生コン会社の経営者などの話を伺っていたからです。

 昨日の朝、突然予感が走った。京都府木津川町で昨年末に閉鎖している加茂生コンに、もう一度足を運ばなければ・・・と思った。

 

 街宣隊にもう一度行って見てくれないかと頼んだ。当日は日曜日だが、普通の日なら誰かいるのではないか?従業員はいなくても連帯の連中が見張っている可能性もある。

 彼らは閉鎖に追い込んでもそれで終わりではない。執念深さにかけてはこの連帯をしのぐ組織は日本には存在しない。

 街宣隊から電話が入ったのは午前11時頃でした。現場に行くと事務所の前に車が止まっているので、中に入ってみて声をかけたら、何と社長の息子さんがいた。

 話を聞いたらば、閉鎖に追い込まれてからも1月中は毎日来て監視して、近づけなかったそうです。しかし、私が京都に街宣で入ると宣言したら、道路向かいの会社の土地を借りて建てていた監視小屋を片付けて撤退したというのだ。

 社長とも近くお会いすることにしました。身体を壊して入院されていたと聞いたが、だいぶ良くなったようです。我々としては又工場を再開して頂きたいと思っています。

 何故ならば、この地域に入って地元住民の話を聞いたらば、連帯ユニオンを酷く怖がっていたが、同時に地元の働き場所を奪った連帯に強い怒りを持っていた。

 再開するのは大変な苦労が伴う。一ヶ月という短い期間でもあっても、工場を閉鎖すれば取引先からは全く信用を失ってしまいます。軌道に乗せるのは大変だそうだ。

 しかし、何としても再開して欲しい。連帯によって工場閉鎖に追い込まれた所が、再びその圧力を跳ね返して操業を始めたというニュースが伝われば、近畿地方の生コン業界には衝撃が走る。

 そんなことは過去に一度もなかったからだ。このまま工場を閉鎖して会社を畳んでしまったら、連帯に対する損害賠償も取れない。理不尽な攻撃を受けて閉鎖せざるを得なかったが、再び操業を開始して欲しい。

 おそらく、連帯も操業再開となれば、総力を挙げて潰しに来るでしょう。しかし、我々は負けません。全国の皆様に呼びかけて、暴力労組の妨害を跳ね除けます。

 この加茂生コンに対する嫌がらせや恫喝、恐喝目的の押しかけての威力業務妨害、この話を聞くうちに、連帯ユニオンに批判の声を挙げない訳には行かなくなった。

 その怒りの街宣の模様が下記の映像です。御覧ください。

 

 

 我々は京都でこのような企業つぶしを行う連帯ユニオン関西支部 副執行委員長 湯川裕司を許さない。

 川口本部では我々の街宣車に対して良い子ぶって「帰って下さい」などと言っています。

 これまで自分達が押しかけて「帰って下さい」と何度も言われたよね。本当にふざけた連中です。

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Posted by the_radical_right at 06:32 │ mixiチェック