レイシスト狩りと暴力是認
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反レイシズムを唱える人達は、相手がレイシストであれば、何をやっても許される。それが例え暴力的であろうが一向に構わない。そのような風潮に酔い痴れているのではないか?
西欧社会ではネオナチの集会やデモに対しては、左翼がこれを襲撃するのは日常茶飯事であり、見慣れた風景となっています。デモに石やビンなどが投げつけられ、かなり危険な状況の中で行なわれています。
かつて、行動する保守運動への暴力的な妨害が何度か起きています。例えば秋葉原でのデモの際には、空き缶ではなく中身の入った缶が投げつけられて大騒ぎになったこともあります。
間違った正義感に酔い痴れた反レイシスト運動が最終的には警察の介入となって潰されると私は予想していますし、おそらくそのような道を辿ることになるのではないか?
折角、高揚してきたナショナリズム運動をより広めていくには、それに立ちはだかる勢力の存在もまた必要な時もあります。その意味から言えば相手が勝手にこけてしまわないようにして欲しいと正直な心を吐露しておきます。
さて、日本では余り見られませんが、外国ではレイシストというレッテルを貼って、その人の全てを葬ってしまうようなことが度々見られます。今回ギリシャでそれが起きたので、それを取り上げながら考えてみることにしましょう。
この人はネオナチの活動家でもなければ、その信奉者でもありません。
○選手が「ナチス式敬礼」 代表から永久追放へ
ギリシャ・サッカー連盟は17日、国内のリーグ戦でナチス式の敬礼をした1部リーグ、AEKアテネのMFヨルゴス・カティディス選手(20)に対し、ギリシャ代表チームからの永久追放処分を科すと発表した。AFP通信が伝えた。(SANKEI EXPRESS)
・20歳「意味を知らずポーズ…」
カティディス選手は16日、首都アテネで行われた試合でゴールを決めた後、ナチス式敬礼のポーズで喜びを表した。U−19ギリシャ代表の主将を務めたカティディス選手は「(ポーズの)意味を知っていたら、あんなことはしなかった」と語っている。
☆写真:ヨルゴス・カティディス選手
http://sankei.jp.msn.com/images/news/130319/
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□ソース:産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130319/
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試合に勝って歓喜の余り観衆に向かって手を挙げた、ただそれだけの事なのに、何とこの人は不運なことか・・・永久追放処分という措置を受けてしまいました。
この選手にとったら、これが自分達を応援してくれた人達への率直な気持ちの表現だったのでしょう。しかし、左翼はこれを許しません。言い訳すら聞いてもらえずに永久処分となってしまった。
差別されていると主張する側というのは、このように相手に対しては容赦ないもので、自分が正しいことをしているとの感情だけが先行して、物事を冷静に判断することが出来ない。だからこそ、差別主義者でも何でもない人をこのような目に遭わせても一向に平気なのです。
現在、有田芳生参院議員達は法規制によって、ドイツ社会のように極右の政治運動を弾圧する法案を作成する動きに出ていますが、そのような法律が出来上がると、日本においてもこのような手を挙げただけで逮捕される人が出て来るようになるかも知れません。
もう、全員逮捕、刑務所送りです。まさかと思う人もいるでしょうが、ドイツでは出来ません。本人達にそのような思想や考えがまったくなくとも、ただ格好が良いと思って、そのファッションを真似ることも許されません。
言論の自由どころか、表現の自由も認められない。そんなことをこの現代社会において成立させようとしてる人達がいるほうが怖い。
賛同している国会議員だって、実際はそんなことが出来るとは思っていないので言っているだけだとは思います。
オウム真理教に対しては何をやって構わない・・・そのような事も言っていましたね。
有田芳生 @aritayoshifu
ナチズムやネオナチを社会として許さないのがドイツの戦闘的民主主義である。日本でいえばオウム真理教やその残党に対する基本的立場でもあった。いままた殺人教唆を常態とする「在特会」などの人間としてもっとも恥ずべき排外主義、人種差別主義者たちにこの精神で立ち向かうつもりだ。
だったら先ずはカルト宗教を根絶する為の法案こそ早くやるべきではないのか? 破壊活動防止法によって監視されているカルト宗教こそ、解散させるべきだと思います。しかし、それが出来ない。
地下鉄にサリンを撒いて多くの人を死に至らしめたオウム真理教も解散させられないのに、現段階で我々を人種差別主義者呼ばわりして、弾圧しようなどと思っても出来る筈はありません。
かつて、2006年5月24日の記事です。
卍(まんじ)とハーケンクロイツ(鉤十字)
ドイツでは「卍」やめます、阿波踊り協会
サッカーワールドカップ(W杯)を前に、国際交流の一環としてドイツで阿波おどりを披露するイベントで、徳島県阿波踊り協会がナチス・ドイツのかぎ十字に似た「卍(まんじ)」の柄を使わないよう、衣装を新調した。「連想による余計な摩擦を避けたい」(協会事務局)との配慮からだ。
卍は江戸時代の徳島藩主、蜂須賀家の家紋。「連」と呼ばれる踊りのグループのうち、協会所属の17の有名連の半数近くの浴衣や帯などに入っている。かぎ十字は卍を裏返した形のため、外国で「阿波おどりはナチスと関係があるのか」と尋ねられ、説明したこともあるという。
卍が大きく入った浴衣の蜂須賀連の岡本忠連長も「卍はナチスより歴史が長く、いわれがあるものだが、楽しい踊りを披露する時なので配慮した方がいい」と理解を示す。(昨日の共同通信より引用)
これを卍(まんじ)とハーケンクロイツ(鉤十字)は確かに似ているが、姿形が似ていてもデザインは全く逆であり、日本の一つの伝統文化として貫くべきとの主張も当然あろう。
また、これだけ似ている以上、誤解を招く可能性もあり、今回の措置は正しいという判断も理解の範疇ではある。何故ならば、日本人サポーターがドイツにおいて日本にいる時と同じような気持ちで行動したら、それはとんでもなく不幸な目に遭う事がはっきりしているからだ。
例えば、韓国人サポーターがドイツの選手達にハーケンクロイツの書かれた旗をかざしていた映像を見たことがある。そこには「敗戦国・日本と同盟だったドイツ選手へ」とハングル語で書かれていた。
もし、これを見た日本選手が日の丸とハーケンクロイツの旗を同時にサッカー場で掲げたとしましょう。その日本人はたちまち警察官に取り押さえられ、刑務所にぶち込まれるでしょう。外国人であってもドイツの法律に従わない訳にはいきません。
ドイツにおいてはハーケンクロイツや他のナチス関連のものを、公の場所で大衆に見せる行為は法律で禁じられているのです。これは旗や写真だけでなく、行為そのものも禁じられています。
例えば、これは私の友人が直接経験したことですが、酒場で飲んでいてネオナチ風の若者に「ジャパニーズ?チャイナ?」と聞かれたので、「ジャパニーズ」と答えたら、若者等は笑顔で「シンジュワン」と言って乾杯する格好で手を挙げて近付いてきた。
友人は酔った勢いもあり、右手を前にかざしてナチ式敬礼をして「ハイル・ヒトラー」と叫んだら、皆即座に酒場から出て行った。慌てた友人が店の人に聞いたら「警察に通報されたら、あなたは間違いなく逮捕され刑務所に入れられるよ―」と教えられ、友人も逃げるように酒場を後にした。
もし、日本人がこのように政治的な理由もなく、ただ悪ふざけで「ハイル・ヒトラー」などとやったとしても、暫らくは日本には帰国できなくなってしまう。
さて、何故冒頭のニュース記事からこのような記事を書いたかと言えば、共同通信の配信記事だったので、多くの地方紙がこの記事を転載しました。
しかし、それは事実関係とあくまでも誤解を受けるために見合わせるとしているだけで、ドイツ国内においてこのような厳しい思想統制の現実があることを全く触れていないためです。
西欧社会における極右勢力の台頭は、今や保守勢力と社民勢力が力を合わせなければ、対抗できない程に顕著になっています。この動きは現在の西欧社会が抱え込んでしまったイスラム系移民の問題が解決できなければ、いずれ極右勢力が単独で政権を奪取する国が誕生することになるでしょう。
その中でドイツの極右政党が国民議会や欧州議会に議席を持てないのは、かつての反省からではなく、極右の活動が厳しく制限され、事実上禁止されて来たからに他なりません。
力で抑えなければ復活する恐れがある思想―、それはまさしくその思想の正しさの証明でもあります。勿論反対意見もあるでしょう。しかし、如何なる思想であっても、それを禁止することは、その思想を禁じなければ、それを信奉する人を抑えられないという恐れがあるからでしょう。
私は統一ドイツ誕生前に『ヒトラー思想のススメ』という自著を出版しましたが、その中で「ナチズムは東ドイツから甦る」と予言しました。共産主義国家の東ドイツにおいて、ナチズムこそは最大の敵であり、その協力者は全員逮捕され処刑されました。徹底的な思想教育によって、ナチズムは根底から否定され根絶された。
いや、根絶されたはずでした。しかし、私は「東ドイツから甦る」と予言しました。純粋培養されたナチズムの遺伝子は必ずや甦ると。―その理由をこのブログでは書きませんが、今日書きたかったのは、今我々は自由にモノが言える社会におります。
しかし、世界ではまだまだ自分の信じる思想・信念を語ることが出来ない世界が多いという事です。何故日本のマスメディアは言論や政治活動の自由がない―それらの国々について論評しようとしないのか?
私にはそれが不思議で仕様がない。言論の自由、政治活動の自由、それを守るためにこそマスメディアの存在価値があるということではないでしょうか。
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