2023年01月26日
選挙情勢「川崎区(2)
選挙情勢「川崎区(2)
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川崎区で前回取った佐久間吾一さんの票が私の最低の目標であり、それが取れたとしても当選できない、佐久間さんには地元出身、学歴があり、佐久間さんの票に遠く及ばずせめて500票取れれば良いほうだと言う人もいます。
しかし、私はそれは当たっているかもしれないと思う、当選ラインは3000票であり、どんなに頑張ってもそれは無理だと思う人もいます。
参院選挙のような国政選挙と違い、地方選挙の場合、地元に密着した活動をしていない人は
無理だ、そのような意見も頂いた、公園の掃除をしたことがあるのかと、そのよううなこともしないで甘いことを言うなとのお叱りである。
しかし、最低ラインを知ったことは私に取っては有意義なことだ、最低でもそれだけの票があると言うことが今後の励みとなる。前回得票率は40%を切って全国最低でした。ふるさと納税の額も確か全国一だったはずです。
この数字から一つの戦略が見えてきた。
なぜ街宣車で私が在日朝鮮人批判を言ってきたのか?それを相手は差別だといった。批判は差別ではない、誰も口にすることのなかった話を聞いた川崎市民は驚き評判となった。
桑崎ではマイノリティー(少数民族)の声が多すぎて配慮しすぎる。
対してマジョリティ(多数派)日本人の声が弱かっ遠慮しすぎた。
サイレントマジョリティーという言葉があります。
まさに私の戦略こそ、この物言わぬサイレントマジョリティーの反撃なのです、確かにこの戦略は選挙戦略としては対決を生み容易ではないことを知っています。
しかしもの申してこなかった、いやできなかった、
川崎市民の目覚めさせ、無関心であり続けてきた川崎市民に訴えかけて投票率を上げることでです。
私の戦略こそ、左翼在日に支配された川崎を解放する戦いなのです。
是非とも私の最後の戦いを支援して欲しい。
サイレント・マジョリティ(英: silent majority)とは、「静かな大衆」あるいは「物言わぬ多数派」という意味で、積極的な発言行為をしない一般大衆のこと
もう日本人は黙っていない、裁判所で彼らは沈黙し続けた。やり過ぎたことを知っていたからだ。
目覚めよ!川崎市民、
川崎区で前回取った佐久間吾一さんの票が私の最低の目標であり、それが取れたとしても当選できない、佐久間さんには地元出身、学歴があり、佐久間さんの票に遠く及ばずせめて500票取れれば良いほうだと言う人もいます。
しかし、私はそれは当たっているかもしれないと思う、当選ラインは3000票であり、どんなに頑張ってもそれは無理だと思う人もいます。
参院選挙のような国政選挙と違い、地方選挙の場合、地元に密着した活動をしていない人は
無理だ、そのような意見も頂いた、公園の掃除をしたことがあるのかと、そのよううなこともしないで甘いことを言うなとのお叱りである。
しかし、最低ラインを知ったことは私に取っては有意義なことだ、最低でもそれだけの票があると言うことが今後の励みとなる。前回得票率は40%を切って全国最低でした。ふるさと納税の額も確か全国一だったはずです。
この数字から一つの戦略が見えてきた。
なぜ街宣車で私が在日朝鮮人批判を言ってきたのか?それを相手は差別だといった。批判は差別ではない、誰も口にすることのなかった話を聞いた川崎市民は驚き評判となった。
桑崎ではマイノリティー(少数民族)の声が多すぎて配慮しすぎる。
対してマジョリティ(多数派)日本人の声が弱かっ遠慮しすぎた。
サイレントマジョリティーという言葉があります。
まさに私の戦略こそ、この物言わぬサイレントマジョリティーの反撃なのです、確かにこの戦略は選挙戦略としては対決を生み容易ではないことを知っています。
しかしもの申してこなかった、いやできなかった、
川崎市民の目覚めさせ、無関心であり続けてきた川崎市民に訴えかけて投票率を上げることでです。
私の戦略こそ、左翼在日に支配された川崎を解放する戦いなのです。
是非とも私の最後の戦いを支援して欲しい。
サイレント・マジョリティ(英: silent majority)とは、「静かな大衆」あるいは「物言わぬ多数派」という意味で、積極的な発言行為をしない一般大衆のこと
もう日本人は黙っていない、裁判所で彼らは沈黙し続けた。やり過ぎたことを知っていたからだ。
目覚めよ!川崎市民、
2023年01月25日
選挙情勢「川崎区」
選挙情勢「川崎区」
前回までの分析と課題
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最後まで悔いの残らない選挙をしたい勝ち負けは二の次、と言いたいところだが、やはりやるからには善戦したいし、可能性にかけてみたい。
よってどのような戦略と戦術が考えられるのか?既に政策については述べた、戦術についても書いた。街宣車を町中を走らせて、チラシ配布に力を入れる。
それとは違う、どれだけの可能性があるかです。選挙になれば、前回の川崎区の選挙にも、組織票に支えられた人間が上位当選した。
自民党の国会議員の秘書2名、公明2名、立憲民主国民含む2名
共産党2名のと後援会や地域を代表するような保守系が二名の9名です。どのような組織票があるのかこれを比例代表の選挙で調べてみた。
令和3年 参院選 日本第一党 257
新党国もり 137
維新風 470
2
参政党 2837
NHK 党 2538
以上
平成31年 川崎区市議会 佐久間吾一 959
ゆば和敏 812
ちなみに平成28年 の川崎信貴線日本の心を大切にする党の清水太一さんの票は1005票、平成25年の参院選挙での維新政党 新風の溝口敏さんの票は1038票であり、反自民の保守系の票は約900票と見込まれる。
これに右派系の候補者にいれる無所属票を800票とみなせば、何とか当選ラインには食い込めると判断した。
しかし川崎区では維新の会が勢力を拡大しており、ましてや女性の若い候補者なので保守系の票をを取ってトップ当選の勢いであり、保守系票の7割を取れば確実にトップ当選となる。
いずれにしても厳しい戦いとなる。
前回までの分析と課題
最後まで悔いの残らない選挙をしたい勝ち負けは二の次、と言いたいところだが、やはりやるからには善戦したいし、可能性にかけてみたい。
よってどのような戦略と戦術が考えられるのか?既に政策については述べた、戦術についても書いた。街宣車を町中を走らせて、チラシ配布に力を入れる。
それとは違う、どれだけの可能性があるかです。選挙になれば、前回の川崎区の選挙にも、組織票に支えられた人間が上位当選した。
自民党の国会議員の秘書2名、公明2名、立憲民主国民含む2名
共産党2名のと後援会や地域を代表するような保守系が二名の9名です。どのような組織票があるのかこれを比例代表の選挙で調べてみた。
令和3年 参院選 日本第一党 257
新党国もり 137
維新風 470
2
参政党 2837
NHK 党 2538
以上
平成31年 川崎区市議会 佐久間吾一 959
ゆば和敏 812
ちなみに平成28年 の川崎信貴線日本の心を大切にする党の清水太一さんの票は1005票、平成25年の参院選挙での維新政党 新風の溝口敏さんの票は1038票であり、反自民の保守系の票は約900票と見込まれる。
これに右派系の候補者にいれる無所属票を800票とみなせば、何とか当選ラインには食い込めると判断した。
しかし川崎区では維新の会が勢力を拡大しており、ましてや女性の若い候補者なので保守系の票をを取ってトップ当選の勢いであり、保守系票の7割を取れば確実にトップ当選となる。
いずれにしても厳しい戦いとなる。
2023年01月24日
川崎での戦い(2)
川崎での戦い(2)
同志 津崎尚道さんに捧げる
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多くの人が津崎さんを人を孤独の人と思っていたかも知れません、しかしそのような人ではなかった。病院で亡くなられ不動産屋が動産を片付け欲しいといいってきたが、私達にはそのような権利はないので探したら出てきた。
女性であり自分が引き取りたいものがあるというのです。こちらは一緒に裁判をしている関係なので、その資料だけ引き取りたいと言った。
その時に女性と電話でお話しました。一緒に住んではいなかったが時折部屋にお邪魔していたというのです。二人の思い出の品といえば、レコードプレーヤーとその盤だという。
プレーヤーまでは記憶は定かではないが、その盤だけ引き取りたいと言った。クラシックを二人で楽しんでいた・・・その一面は私のような人間にはわからない。
津崎さんは病院で亡くなられた余命が金を払ってくれないので、治療も受けられないとは私の最後の言葉でした、
私もこの頃何回も倒れ入院したので当時手持ちもカネがなく、近く金がはいるので、一週間待ってくれといったのが、最後の言葉でした。
当時コロナ問題で持続か給付金200万円の入金を確認して連絡したが連絡が取れない、病院で亡くなれられたのを知ったのはその数日後でした。
かなり也長い時間ですが最後に中原公園で邪魔された、内容を詳しく話しています。
同志 津崎尚道さんに捧げる
多くの人が津崎さんを人を孤独の人と思っていたかも知れません、しかしそのような人ではなかった。病院で亡くなられ不動産屋が動産を片付け欲しいといいってきたが、私達にはそのような権利はないので探したら出てきた。
女性であり自分が引き取りたいものがあるというのです。こちらは一緒に裁判をしている関係なので、その資料だけ引き取りたいと言った。
その時に女性と電話でお話しました。一緒に住んではいなかったが時折部屋にお邪魔していたというのです。二人の思い出の品といえば、レコードプレーヤーとその盤だという。
プレーヤーまでは記憶は定かではないが、その盤だけ引き取りたいと言った。クラシックを二人で楽しんでいた・・・その一面は私のような人間にはわからない。
津崎さんは病院で亡くなられた余命が金を払ってくれないので、治療も受けられないとは私の最後の言葉でした、
私もこの頃何回も倒れ入院したので当時手持ちもカネがなく、近く金がはいるので、一週間待ってくれといったのが、最後の言葉でした。
当時コロナ問題で持続か給付金200万円の入金を確認して連絡したが連絡が取れない、病院で亡くなれられたのを知ったのはその数日後でした。
かなり也長い時間ですが最後に中原公園で邪魔された、内容を詳しく話しています。
